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●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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いつかそうなる訳だけど。
なってみるとそれはあまりにも突然である。
父が飲んだくれになったのは
サラリーマン時代で
毎日飲んで
しょうもない理由を見つけては私をよく殴った。
それを止めるのはいつも母だった。
そもそも何の理由があったのかが何年も謎だった。
殴られたショックで
いろいろな事を忘れてしまっているようなのだ。
しかし最近の父は人を殴るような体力も気力もない
そうなったときに始めておぼろげながら理由
が見えて来た
話はいつも私が母の奇行を責める事から始まる
何でもかんでも勧め過ぎ、与え過ぎ、やり過ぎ病を持つ母
昔うちに来た友達に食べ物を勧めすぎて吐かせた事が有る。
父がアル中になったのもどう考えても
母の与え過ぎ病の影響だ。
しかし母は言う。
「断らない方が悪い」
しかし母の申し出を適量で押さえるためには
9割は断り続けないといけない
途中でこちらも我慢の限界がきて切れてしまうのだ
そうすると母と私の口論を聞きつけておりて来た父は
やってもらっているのに責めている私を見て
「親に向かってその口の聞き方は何だ〜!」
ぼっこぼこ。
という流れだったようなのだ。
そんなことに今更気付いた。

父の介護をするという事は
母の介護をするという事でもあり
母が直らないことには
父が直るという事はまず無い。

という事が分かって来た。

母はなぜそのような奇病にかかっているのか。
それは最初の旦那さんを結婚3ヶ月でなくしているからだ
そのショックを未だに引きずっている
次に結婚する人は絶対に死なれないようにしなければ
という思いがどうやら強すぎるようなのだ。
結果、色々勧めすぎ与え過ぎで
かえってそこら中の者を壊しまくっているようなのだ
父はアルコールに依存しているが
母も母でそのような自分の体質に依存しているのだ。
さてどうしたものか。

これを世間では業というのかもしれない
因果応報というのかもしれない

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43)13人の刺客
44)武士の家計簿
45)the magic on belle isle
46)グスコーブドリの伝記
47)少年と自転車
48)僕たち急行A列車で行こう
49)悪人
50)恋はデジャヴ

45)自分の中にある忘れがたいアメリカ人の部分が一気に噴出し快楽的に楽しめた。
監督を調べたらロブライナーはスタンドバイミーやミザリーを撮った伝説的な人だと知った。
奥さんに先立たれ、生きる気力を失った初老の西部劇作家が
別荘で一夏過ごすうち、お隣に住んでいる人々と出会い変わってゆく。
特に隣に住む9歳の少女に物語の作り方を教えているうちに
忘れかけた書く事への情熱を次第に取り戻す。
言葉がものすごくきれいで聴いていて気持ちがよい。
それに子供に話を教える過程がまるで音楽と一緒でこれまたはっは〜ん。
子供は既に物語を作る事が出来る。
それを知らないだけなのだ。
彼が少しずつヒントを出して気付かせる。
そうそう。音楽もそんな感じ。
「見えないモノを探し続けるように」


46)絵はとても美しい。ブレードランナーみたい!
でも宮沢賢治が残したメッセージって言うのは違うんでないの。
プロパガンダ映画もしくは宗教勧誘映画に見えてしまった。
昔の美しい暮らし(自給自足)→戦争(干ばつ)→高度成長何も考えず働く。思考停止。(繭を編む)
→自分の事しか考えないでゴミや悪い空気を他の国に向かって垂れ流す(アカヒゲ田んぼ)
→勉強して理想ができる。人の役に立つ。自分が味わった辛酸を次の世代に渡したくない。
強い意志により自己犠牲的に私利私欲を捨て他者の役に立つ。
熱く、熱く、なんなら暑苦しいくらいに。
頑張ればいい。。
頑張ったってどうにもならないのが世の中だよ。
滅私ってそういう事ではないと思う。
誰にも知られず埋もれる生き方を恥じないという事じゃないの?
死んで役に立つって、今時人柱じゃ有るまいし。
だれにも認められなくてもひっそりやる事をやってれば
良いではないかって事何じゃ無いんですか?
命かけて何かを守るって美談のように言いますが
それはただの粗忽者です。
命をかけずさっと守ってそれについて一言も言わないで黙ってる。
誰からも評されない。何故なら誰もその人が助けたという事を知らないから。
こうして英雄的に少年が奇跡を起こした!って新聞の見出しみたいに宣伝するのが
そもそも本論と真っ向からぶつかっちゃうではないでしょうか。


43)13人の刺客!!!
三池監督=悪の教典の監督そうか。結びついてなかった。わっちのばかばか。
顔をゆがめながら見る。冒頭の切腹シーンも首に欠陥が浮き立ち
ぐちゃぐちゃという肉の切れる音とあいまって。
エチケット袋プリーズ状態。
田舎の小さな藩に立ち寄った殿はそこの若い侍の妻をレイプ。
駆け寄る若君を串刺し。滅多切り。
続いて、手足を切り落とされた女が殿の生きたラブドール。
いらないからポイ捨て。
殿は切腹してまで訴えた間宮家の残された家族を的にして
弓道。
エチケット袋溢れる。
稲垣吾郎さんの役所にこの間みたダークナイトの
ジョーカー役ヒースレジャーを見た。
突き抜けた悪。悪のイディア。
武士の世の矛盾をついてくる。
盲目的に上に従うしか無い形式の中では
かような凄惨な事がまかり通り許される。
ある意味一番空の境地に近い存在。
主君に仕えるのが武士の勤め。
しかし武家の構造自体が崩壊している江戸末期。
形だけ有って機能してないもの。
世の中に沢山転がっている。
形だけ有って機能してないもの。
資本主義、家族、地方自治、会社。
逆切れ、素直、すねる、マイナスな反応は稲垣。
このままでは駄目だ。なんとかしないと。プラスな反応。別所。
つまり同じ主題に対する表と裏なのだ。
市村さんは矛盾する体制の迎合的象徴⇄山の男。伊勢谷。誰にも何処にも属さない。
剣豪にお手合わせを願い出た島田。
しかし「大事の前に辞めておいた方が良いですよ」と
一蹴される。
このシーンは剣術を扱う人の研ぎすまされた感覚を表す面白いシーン。
島田の佇まいを見ただけでこれから何か大変な事をしようとしている
と見破る。
それだけこの剣豪は凄いということを台詞のやり取りで表している。
実際剣豪同士は抜く前に優劣が分かってしまうらしい。
島田にコンプレックスを抱く鬼頭の様子もよく描かれていて
認めているけど認めたくないだから卑屈になる意固地なる。
わかるなぁ。同感!
鬼頭の台詞で島田は凄いだから周りに凄い剣豪仲間達が集まる
という事の説明になっている。
13人で200人以上の兵に挑むという無謀な戦いが始まる動機付け
ばっちり!
で面白い事にこの戦いな無意味な事を島田も殿様も分かっている。
市村だけが形式という箱を守ろうとするからこの戦いがある。

44)43あとにこれを見ると。残念な気持ちになる。
仲間由紀恵のわざとらしい演技に吐きそうになって一回さらっと見るのがやっとであった。
結婚式のシーンの沈黙目と表情だけの演技にはエチケット袋が必要だ。
編集やシーンの選び方などからも、もっさりカンが漂っていて
2時間が果てしなく長く感じた。
故に1日自体が長かったことに感謝。
そろばんで武家を支える刀を使わないけれど武士。
という部分と
父子の間の葛藤。
そろばんなんかで生業をし武士で有るという事に合点の行かない息子。
生真面目な性格で藩内の横領に気付いて帳簿で証明し出世する下り。
なのになぜか貧乏で家財道具を売らなきゃ暮らしていけないのか。
家計簿帳簿を付けるプロなのに家の者を全て売り払わないと生きて行けない
って。
それプロとしてどうなの?
主題がぶつかりすぎて、意図が全く読み取れなかった。
そろばん方は刀で武士をしているより
低いとか悪いとかそういう前提が有るのだろうか。

47)少年と自転車。
父に捨てられた息子。事実を受け入れる事が出来ない。
お父さんが自転車を売ってしまうはずが無い。
=自分を愛していないはずは無い
淡い期待に人生のすべてをかける少年の幼い壊れ易い心。
児童ホームに入れられてもなお信じ続ける。
記を見計らっては脱走し家に帰って父の部屋に入れてもらおうとする。
其処で知り合った女性に週末だけ里親になってもらう。
まず日本だとこの制度が無い。
子供から「ねぇ週末だけ里親になってよ」
「寮長に聞いてみないと」
っていう台詞は日本ではまずあり得ない。
日本にもそういうのが有れば良いのに。
両親のいない子とそうではない子がどんどん離されて行く
両親のいる子の生きる普通の社会から隔絶されて行きやすい
息子が重荷だからホームに入れてもう会わないと考える
父親も日本にはいないのかもしれない

邪魔だという事を言い続けながら子供を直接的に傷つけ続ける。
ヒミズの父親のように。
どっちもどっちだけど。
フランスの方が国としてそういう父親の犠牲になる受け皿を
2重にも3重にも用意しているのだ。
ホームが有り、週末里親制度が充実していて、そういう環境を当たり前とする
里親予備軍的存在もいる。
両親から捨てられた息子が一人でボートハウスで暮すなんて
ありえないわけだ。
日本ではレールに乗った人は何処までも住みやすく
乗れなかった人には何処までも厳しく住みにくい世の中である。
逆もしかり
施しを受けるのをよしとしない
恥をかくくらいなら死んだ方がまし
優しさや施しのようなものを偽善ととらえたり
横柄何様と考える風潮もある。
だからどっちに転んでも
優しさを発揮する方にも二の足を踏むような仕掛けが有り
優しさを施される方にもそれを受け入れられない仕掛けが有る。
日本はほとほと生きにくい国になって来ている。
お父さんをお金でつなぎ止めようとするけなげで幼気な少年に
愛をもらえない人の必死さをみいだし人生の重さ、辛さを改めて考えてしまった。
最後に殴った青年に殴り返されて死にそうになる場面。
これは何のメタファーか。
里親ままを悲しませないために絶対に喧嘩したくない
気付いたら誰を責めるでも無く
自転車に乗って里親ままのもとへ帰る
少年は希望を知った。
それを与えたのは里親ままの無償の愛。
子供の演技が抜群に良くてぐわーっと話に引き込まれる。
世間が与える圧力縛り拘束を無言の目つきと態度で弾きちぎって行こうとする彼の
熱い愛への渇望が切なく胸に響きました。
フランス映画ディープ。

48)大丈夫。少しだけ好き。
仲間由紀恵さんわざとらしいとか言ってごめんなさい。
武士の家計簿よりはるかにわざとらしい。
けどわざとわざとらしくやっているのだという事が分かりました。
わざとらしくやりまくる事でわざとらしさの先に突き抜けて行く。
つまら無いのかと思ったらつまらないを超えていく。
超局所的な鉄ちゃんが二人。
車窓の景色を楽しみつつ音楽を聴く不動産関係の会社員の小町圭さん。
鉄道の鉄の素材やエンジンや電車そのものに興味が有る下町工場の機械工のコダマさん。
鉄道マニア的独特な間で会話が時代を無視した人たち
ある者に異常なまでに特化した人たち独特の
不思議な雰囲気。
気持ちがよい。
世間で今何がはやっているかとか
そういう事に全く頓着しないから何の焦りも無い。
そういう人たちにしか出せないのんびりとした空気。
それを象徴するかのような衣装。
時代を感じさせない。
つまらない訳が分からない
から一気に超大好きに変更。
面白いフックのある映画でした。
しゃべり方もわざとものすごいところで切ったりして
独特だ。
信じられないほどわざとらしいとこれまた気にならなくなってくる。
見る側に変換スイッチを入れさせればこれははまる。
いつも見ている者と同じテンションで見ると多分好きに離れないだろう。
見る側のギアを問うている。
こっちにシフト変換機能がいるのですね。
面白い。







30)コクリコ坂から
31)ハートロッカー
32)ちょんまげプリン
33)岳
34)腑抜けども悲しみの愛を見せろ
35)パーマネント野ばら

30)演奏前日に緊迫した気持ちの中で見た。落ち着く。
かつての自分が音楽を見つけた部室、部活、仲間を思い出す。
だけど絵の切り貼りにいくつか疑問が残った。
技術は世界を支えるモノで
世界が足りないと技術が目立って来てしまう。
そういう箇所が何カ所かあった。
だけどそれは音楽も一緒で
全てがうまく行くと世界が現れ
技術には目がいかなくなる。
カットの切り替わりが唐突で
例えば旗を降ろすときに彼がおっこってくる絵を重ねてそれを受け止める
彼女のアッップショット。
これ他の映画でもやってたし。(多分ゲド戦記)
今必要だったこれ?
こういう難しいカットが出来ますと言いたかっただけ?
一番入り口の主人公が部屋の中を歩くカット。
この子は目が見えない役なんだろうか?
目が死んでいるみたいに見える。
なんで?
もったいない。
感情移入しにくい。
今回は筋が簡単だからまだましだけど
ゲド戦記で感じた伝わってこない感じは
やはりまだ残っている。
手島葵が巧過ぎて浮くって言うのも
こういうプロジェクトに素人を使うリスクのような気がする。
声優を使わないのは声優臭さを嫌い自然やリアルにこだわるからだと思うが
アニメを分かっていない素人がやると
音楽のプロ、女優のプロかもしれないが 
結果台詞まわしの違和感がものすごい。
違和感の有る台詞を通常役者のプロなら自分の外見をあわせて使って軽減させられるが
それに合った絵に見えない。
現代劇的な要素を取り入れている。
平田オリザさんのやり方に影響されているということもわかる。
絵で見ると違和感が強い。
巧く伝えるって言うのは本当に難しい事なんだ。
目をリアルに見せるために白く抜いているが黒の部分が目立って
結果目が死んで見える。
同じ日本物で「耳を澄ませば」と比べてみる。
確かに日本のものでは黒目を一色にしているようだ。
ということはやはりシーンのつながりの違和感
音楽の違和感。 話に入り込みにくい。
そんな中カルチェラタンの魅力は一際光っていた。

33)ものすごい残念な仕上がり。演出って重要なのね。
山の素晴らしさ、残酷さ、過酷さ、その中で力強く生きる救助隊。
泣かせるように泣かせるようにと演出しすぎて結局全く泣けない展開に。

ものすごいのめり込んで陶酔しているシンガーを思い出してしまった。

脚本も大事なんだなぁ。事件が起きる。三歩が解決。涙。
事件が起きる。三歩が解決。涙。以下延々続く。最初の5分だけで良かったね。
っていう展開。で感情的なしかも絶対に言わないような台詞が横行する。
仕方なく演技が過剰になる。そして最後には山には合ってはならない展開。
(まだ見てないけど)でも三歩が解決。以上。で涙を流せと要求。
原作もこんなだっただろうか?
大切な主題を見落としたまま映画を作ったとしか思えない。
まず演出的に三歩が無謀な馬鹿にしか見えない。
山に対して死ぬ覚悟を持っているとは思えない。
演技の過剰が気持ち悪い。おセンチなドラマが延々続く。
山好きが見たら泣くだろうなぁ。
この映画に出た事で役者はこれからの評価が落ちるという
事を覚悟の上だったのだろうか。
ぐちゃぐちゃの死体とか体とか、トランシーバーの使い方とか、山の基本的なルールとか、もう少しディテールを山好きに対して誠実にするべきではなかったのか。
こんな過酷な思いをさせてこんな仕上がりって役者がかわいそうすぎる。
憤り!!!
こんな野に出ようってよっぽどお金に困っているのだろうか。

ミュージシャンでもこういう仕事有りますよ。
雇い主が全くわかってない。
なんで呼ばれたのか?
何のビジョンも無い雇い主。
好きにやってください。
そうじゃないでしょ?
客層、どんな曲をやってほしい。
どういう雰囲気の会にしたい。
何でもいってくださいよ
ギャラ払うんだから。
好きにしてください
と何もしなくても良いですよ
は同じ意味。

おセンチな感動風メロドラマ。
おえっおえっ。
久々にひどい仕上がりの映画だった。
こういう書き方は絶対しないと思っていたけどしてしまう。
なめてるってこういう感じなんだな。
映画業界の場合。
なるほど。

音楽もこんなのばっかだから
気をつけよう。

雪の中の我慢大会。役者の方達お疲れ様。
だからいきなりクレバスにおっこって行くなんてあり得ないんだってば。
それで登っている最中の彼女の上に落ちたらどうするんだって。
そういう演出をするなよ!腹立たしい!!!
そしてチューさせたいために彼女を殺すのかよ!
はいはい。
で生き返るのね。
山って楽勝な感じ。
そういう生温い演出をしないでほしいよ全く!
山を分かってない中途半端な素人が
軽はずみな行動に出ても三歩は見捨てない。
何故なら三歩は超人だから?
そんな感じにしかとれない。
普通の人でいつでも死ぬ覚悟があるとこうなるっていう
演出が出来てない。
それを説得するシーンが無さ過ぎる。
なぜならお涙頂戴のシーンが全体の9割を占めているから。
分かってない素人を演出するために
長沢まさみを入隊したてにするのはいいとしても
その彼女がいきなり普段着で任務に就くって言うのは
ありえない!山をなめている。
人を担いで山をあがったり下りたりしなきゃ行けないのに
あんなやせてぎすぎすの体の役者を使うのも
山をなめている。
山が好きなら絶対見たら行けない映画でした。
山好きじゃなくてよかった。
栗木史多さんや服部文洋さんや山野井泰史さんなんかの映像を見ていると
彼らは死線で生きている。
指が無くなろうが大した問題じゃない
一般人には計り知れない価値観の中に生きている。
それを描けなければ意味が無い。
過剰な演出をすればするほど山男の魅力が薄れて行く。
山岳救助隊の焦りの演出も過剰過ぎて
こんな人たちに命を助ける事が出来るんだろうか?と見える
実際こういうところのプロはこんな焦ったりしないだろう。
そういう事をして無駄に心拍数を上げると山に入ってから
良くないことが起きるという事くらい
誰でも分かりそうだ。
三歩というキャラが生きるための演出も
盛り、盛り、の演出をしているけれど
能天気。超ハイテンション。元気。焦らない。
だけど実は心に大きな傷がある。
隠しながら勇敢に生きている。
それを表現するために他の人を大バカにしてちょう焦らせる演出をするのは
学芸会演出だ。
佐々木蔵之介がかわいそうだ。
漫画の三歩さんのようなどっしりとした体躯が小栗さんに無いのも残念なポイント。
他に会う人がいなかったのか?
彼級の役者で体格がいいって言うのは厳しいのかな。
良いシーンでは蔵之介さん過剰な演技を押さえている。
という事は方々でやっている過剰演技はこの映画を意図的に演技力で
陥れようとしているのかな?
やり方が気に食わなかったから途中から演技方針を変えて映画にもの申す!
みたいな事をしたとしか思えない。
うぅ。せっかくの雄大な山の景色がもったいない。
こういう映画は演技力より体つき一つがすべてを表してしまう。
もったいない。
山本太郎君とかの方が肉体的には適任では?
自分より死体を担いで崖を上れるという説得力が体から感じられない。
ひとりで山を登る人ような人としてなら全然ありだと思うけど。
役者云々より監督演出脚本があまりにも映画をなめている
いや人をなめている。

音楽もこういう上から目線のこうやったらエンターテインメントだろ。
こうやったらここで泣けてここで笑えるだろ?
どうだよ?みたいなのが多いけど
問題に直面して
なんとか解決しようとするような

姿勢を忘れないようにしなければと
身の引き締まる思いです
反面教師的にありがとう。

あのナポリタンは食べたい!


31)ハートロッカー
ハートロッカーってそもそもどういう意味なのか?
hurt locker  痛みを閉じ込める?
=drug?=war is a drug?=war is unbarable unless you're knumb?
そうでないと生きて行けないからそういう風に生きていますという
イケイケ爆弾処理の男。
家族なんてどうでも良い。

戦場で完璧な仕事をこなしている時しか達成感を感じない。
音楽もそうだなぁ。 
辛いから結婚したり伴侶をもうけたりするけど

結局音楽の現場で得られる感じ
高揚感、dopeness,気持ちよさ含め
自分と直で向き合っている感じは
他の場所では得られない。
戦争なんてもうたくさんだ=子供が欲しい。
ってなる一般的な人代表の台詞はよくわかる。
音楽だってのめり込んでいるのは異常事態なわけで。
これで金が儲かりまくる訳でもない。
業界はイラク戦争もそうであるように
矛盾だらけ。
だけど、嫌だ。駄目だ。意味が無い。
hopeless  自己嫌悪 自己憐憫
どんなマイナスな言葉を並べてみても
自分の下手さ加減、駄目さ加減を憂いてみても
結局其処に戻るしかない。
戻りたくない。
子供つくって幸せになりたい
そう思っても結局無理なんだよね。
だって好きだから
ぶーっ
好きだからとか言う言葉が出てこなくなるくらい
身にしみて来ている
歯磨きをいちいち好きか嫌いか考えないのと同じ。
完全に感覚を失って、自分の置かれた状態を当たり前と思う上司。
感覚を失いたいと思うのにビビりすぎて失う事さえできず結果痛い痛い辛い辛い部下。
感覚がありなんとか平常心を保とうと折り合いを付ける真っ当な部下。
真っ当な感覚があったら音楽はやめるんだよ。子供が欲しくなるんだよ。
何処かに無感覚にアディクトした部分が有るから音楽を続けて行ける。
そういう事を強く想起させる
映画だった。
人生とは無感覚に何かにアディクとしていないと
やり切れないものなのかもしれない。
少なくとも耐えきれない。
子供を産んで平和な家庭を作っている一般的な過程でさえ
そういう家庭という名の無感覚のなかで生きているに過ぎない。
人生の皮をめくったらどうあっても
生きて行くには辛すぎる現実が待っている
そこが戦場でなくても
人は死というあまりにも未知で
恐怖でしかないものに
向かっている。
向き合う気がなくても
向き合いたくなくても
向き合っていても
どんな態度だろうと
其処に向かっている。
彼は結局正面から向き合うしかないから
また其処に戻る。
私たちにもそれぞれ向き合うしかない現実があり
其処に戻るしかない。
結局其処しか戻る場所が無いのに
休息場を作るなんて人生に保険かけ過ぎ
じゃない?
戦場にはかなわないんだから。
ということで戦争に反対する映画ではなく
人は死と自分の仕事にどう向き合うのかという映画に見えました。

32)ちょんまげプリン
現代にやって来たお侍さんがある母子とマジワって何かをつかんで過去に帰って行く。
タイムスリプ設定はテルマエロマエと一緒なのだけど。
話の規模を小さくたのと主題を現代の問題にした事によりより共鳴出来る仕上がりに。
テルマエロマエでは仕事に悩んだ男が
現代と過去をいったり来たりするたび新しい仕事のヒントを得てゆく。
仕事をただパクって行くだけなので行き来にもあまり共感出来ない。
プリンは仕事人間で家事を何もしない父を離縁して
二人で暮す母子のところに途方に暮れた侍がやってくる。
優しくもてなしてもらって恩を返すべく侍が母に替わって家事をする。
母は仕事に専念出来るようになり仕事が巧く行く。
一方家事の中で侍が菓子作りに才能を発揮。
それで仕事を得るようになる。
すると離縁した旦那のように仕事人間になってしまい、結局男なんて同じだと母は再び失望する。
しかしある事件をきっかけに侍も母子も絆を深め侍は過去に戻ってゆく。
現代の夫婦がかかえる潜在的な問題。
夫婦ともに働くのに家事子育てをするのは女の仕事。
不公平さ理不尽さが離婚非婚を呼び
男尊女卑の男性中心の現代社会の有り様を描き
そこに全く違う価値観の人を投入する事で問題がどういう化学反応を起こすのか
昔の人の丁寧な物腰が現代にあった場合。
昔の人の子育て感が現代にあった場合。
昔も今も男性優位の社会だけれど
昔は相手に対する尊敬と人生に対する丁寧さ慎ましさがあったのかもしれない。
同じ仕事一途でも今の男には家事子育ては面倒くさいから女房に任せている
という感覚が少なからずあるように思う。
それに対する言い訳としては
朝から晩まで仕事を頑張ったから他の事は女房に任せて当たり前だと思っている。
女性側も朝から晩まで家事をして子育てをして、あげく会社での仕事もしている。
こんな面倒な事を押し付けられているのに、何の感謝もされないという不満がある。
家事子育ては面倒くさい仕事という位置づけにされているところがそもそもの問題で
過去においてはそれは奥向きの仕事ということで表向きの仕事をする男とは隔てられ
しかしそれに対する根本的尊敬が互いに合った。表と裏。
どちらも無くてはならなかった。
仕事が有る無しに関わらず家督に合わせて禄高が決まっていたというのも
今には無いセイフティーネットだろう。
いまだったらプータローにしかならない人にも嫁を持つ権利が合った。
それを保証していたのが身分制度。
現代では面倒が勝って尊敬が無くなった。
そういう事を色々考えてしまう本作でした。
あと錦戸さんは確実に何かを持ってます
福君も。




お笑いの芸人さんには仲がいいタイプと本番まで別々に過ごすタイプがいると聞く。
話芸の世界で別々に過ごすなんてありなんだろうか?
と思うが、翻って自分の世界を考えたとき。
確かに。その日演奏する共演者とはリハーサルと本番でしか会わない。
それは非関係者には奇異に移るのかもしれない。
お客さんによく聞かれる。
「ずっとこのメンバーでやってるんですか?」
「いえ。今日でX回目です。」
「演奏以外はどういうコミュニケーションを?」
「全く会いません。」
「友達じゃないんですか?」
共演者は友達ではない。
友達ではないが、会っていきなり友達より深い会話をする。
互いの本音を語り合い今どの辺りにいるのか探り合う。
そしてそれを感じながら演奏に入る。
だからこそリハーサルは大事。
リハーサルで何かがかみ合う地点に行けるために。
練習が大事。
準備が大事。
本番も誤解を恐れず言うなら本番というパフォーマンス込みの練習だ。
その場でどれだけ伝える事が出来るか
伝えるに足りる資料を準備出来るのか?
家にいて一人でなんの承認も確証も保証もなく
演奏を準備しひたすら考える。
伝え方を。
お客さんに伝わるマエに演奏家に伝わらなければ
意味がない
お客さんは演者に伝わったかどうかを移す鏡なのだ。
巧く伝わっていればそういう反応がお客さんからくる。
まずはミュージシャン同士が何かを共有し合えるのかが
大切。
それを伝えるのがバンマス。
技量がないから切るというやり方では
共演者もバンマスも育たない。
それには相手を犯す事無く本音を引き出し
それに対応しうる構成や曲やキックやリズムを提供できるのかを模索する。
色んな物を入れまくる。
だから映画!
総合芸術。
目が行き届かない事がまだ多い。
演出がまだあまあまだ。
だからこそおもしろい。
難しい。
ちっとも巧く行かない。
だから面白い。
出来ない。
何も出来ないから。
面白い。
全て分かってしまったら辞めるしか無い。
全て出来てしまったらつまらない。
ちょっとした音楽的な演出でライブは劇的に変わる。
ちょっとしたを探して今日も色々吸収したい。
吸収すると同時に思い込みを一つひとつ
解き放ちたい。

デブは無知と貧困の象徴

こういうキャッチフレーズに全身を預けてしまうのは容易い。
何も考えなくても良い。
しかしそれなら飯野賢治は?
伊集院光は?
無知や貧困とは無縁のデブさんもいるのだ。
失礼。
何も考えずに簡単な標語のような言葉や音楽的形式を我々は信頼しすぎている。
Cとかいてあったらドミソと弾くとはどうやって決まった事か?
ジャズならこう弾けば良い。ボサならこうだ。
それをそのまま鵜呑みにしてよいのか?
世界はどういう順番で立ち現れるのか?
それをリハの1、2時間で一瞬に伝えるのはかなり困難。
だけどそれがやれなければ日本の現場はうまれない。
早く正確に面白く一瞬で。
瞬発力



1)Driver
2)Young adult
3)ヒューゴの不思議な発明
4)ヘルプ

立川に引っ越してもう二年以上経つけれど、初めてtsutayaでレンタルしました。
映画を毎日見るのは高すぎるし。
準新作4枚で1000円!とってもお得で有り難し。
宇多丸さんがハスリングしていた上記三作。
気になった4)ヘルプ。どれもこれも濃厚ですた。

1)ライアンゴスリング。エロっ!
なのにエロを押さえ込んで表面は飄々。
時々覆い隠した飄々の皮の隙間からエロが滑り出て来るチラリはみ出しエロ。
鼻血吹き出す!!!
古い80年風のタイトルロールや空気感。
でもアレンジが今風で、ものすごく新しい。
「トランスポーター」という映画に入口、設定が似ている。
トランスポータの007的華やかさに比べると地味だけどよりかっこいい。
かっこいい服を来て格好つけてだからかっこいいのではなく、
その辺のモノを引っ掛けたけどなぜかぱっちりはまってる的かっこよさ。
エドワードノートン、ジェイソンドーリングなどのたれ目金髪セクシーの系譜。
エドワードノートンの「真実の行方」、ライアンゴスリングの「完全犯罪クラブ」
マットデイモン「りぷりー」たれ目の白人の何とかなるだろ的犯罪。
同じ血を感じます。元の父はジェームスディーンなんだろうか。
間の取り方えぐい!
早くしゃべろうよ!って突っ込みたくなるくらい
印象的。
少し違和感があるくらい長い間がいい感じに鼻血を誘う。
エデュケーションのキャリーマリガンの可愛さ愛らしさ無垢さ弱さ儚さ
無言むっつりたれ目エロサイコ純粋青年の誤差ズレが
エロの幅を増幅させているのでしょうか。
キスの直後の殺人。
靜から動。
振り幅が整列的に整然と描かれる。
美しい。興奮する。とにかく鼻血。
i almost bleed to  death 

2)恐ろしい。自分過ぎるこの女。
とアラフォーシングル女子は全員思ったに違いない。
パソコンの汚さや、見られていないところでのぐだぐださ加減。
こんな誇張された人間がいるだろうかと思う人もいるのかもしれないが、私的にはこれは誇張が全くない。
こういう人が意外に多いのかもしれない安心してしまうくらいだ。
現実はしかも美しいプロムクイーンでさえないから悲惨だ。
every 37 year olds nightmare,
あぁ怖い怖い。

3)あこがれの舞台設定。
ああいう中で生きられるから役者さんってうらやましい。
ディズニーランドのパイレーツオブカリビアンを思い出してしまう。
これは何の感覚だろう。
ティムバートンのスウィーニートッドとか
クリスマスの映画スクルージとか。
屋根裏、低い斜めの天井、石畳萌え。
ライトニングインナボトルのマーチンスコセッシ監督なんだよね?
この振り幅!

4)この間gyao で弁論を題材にしたデンゼルワシントン主演の映画を見た。
ミシシピバーニング、など黒人と白人の関係を題材にした映画は白人のごめんね意識から生み出されるのだろうか。罪悪感強過ぎておかしな事になっている。結果白人の悪魔的描かれ方がすごい。あるいは言い訳的に優しい人もいますからみたいな無理矢理演出。こういう映画を黒人さんはどう見るのだろうか。
どんなに謝ってみても埋まらない溝。
自分のメイドにはトイレも使わせないのにアフリカの飢餓の子供は助けるという設定。
小さい時は可愛いくて無垢なのに、大人になると同じ差別主義者になってしまうという過程。
すごーく罪悪感を感じてるんだなぁ。
悪魔的白人より分かってます的白人の方がよりひどいと感じるのはなんでだろう。
ちょっとくらい反省したって結局メイドや庭師全員黒人じゃん。
いい人って言ったって結局雇ってるんじゃん。
いい雇い主ですってだけで上下関係に何ら変化は無い。
だからよけい興ざめするのかもしれない。
色々考えさせられるという良い意味で見てみてよかった。


こんな若さで逝くなんて
さぞ心残りだろう。
今から油が乗ろうかという。
若さのピークじゃないか。



ここ何年かで唯一
何故か演奏中の写真を
とったのです。
基本演奏日は集中してるし
通常自分も演奏中だから
撮れないわけだけど。
撮ろうとも思わないんだけど。

この日はわたしは実は
イラついていた。
適当な糞オファーを
受けてしまった自分に。

まず歌手が三人もいる。
店側の戦略ですね。
これならそこそこ入るだろうという。
このやり方がまずあり得ない
一ステージ二曲交代。
オリジナルのバンドで二曲ずつ
なんてライブハウス聞いた事もない
つまり、適当にみんなの知っている
楽しい曲をカラオケ的に
歌えばいいから
というわけだ。
やりなれないし、私は
普通には出来ないから
リハはやっぱり必要だな。
と痛感した。
そんならこんなオファー
受けなきゃ良いのに
受けた自分バカバカ!
だったらぶっ壊せばいいのに
全曲フリーで。とかさ。
店の形に収まってしまっている
弱いなぁ。
そもそも受けないが正解の
仕事もあるんだよ。
オファーは全部受けるは間違い
なのだ。今更。
わかってなくて受けたから
最後に一回演奏出来たわけだけど。

あなたもどうしてこんな仕事
うけたんだ?
やっちゃだめなやつだよこれは。
こういうヤツを二割三割と
増やして行くと
良くないよと、本当は言いたかった。

しかし良く無い仕事の
良く無いやり方に乗って
良くない演奏をしたあとで、
どのツラ下げてそんな事が言えるのか

結局通り一遍の会話で終わった。

結局お互い「堕ちたな」という
印象のまま別れてしまった。

今回あなたの死を受けて私は
決めました。
おかしなオファーは受けまいと。

自分のためにも、
お客さんのためにも。



rip 。



臨戦体制。
そら、いきなりカメラを
向けられたら
そうなるわな。



さっきの猫さんを分離させたわけではありません。



おいでおいで

で、座布団一枚挟む関係に。
昨日の落雷では1人亡くなった。
その前の竜巻でも1人だけ亡くなった。
だのに、誰も慰問演奏には行かない。
しかし亡くなった彼らの無念と
東北で亡くなった多くの皆さんの無念になんら変わりはない。
東北に限って
ミュージシャンが行くのは
偽善だと言いたい。
自己満足だと言いたい。
本当に死者を思うなら、
竜巻で死んだ少年のところにも
行ってやれと言いたい。
ヤレる事をやるとかいうなら
もっと身近にヤレることは有る。
老人、妊婦に席を譲るとか、地元の集会に顔を出すとか。
家の前を履くついでに隣近所の辺りも履くとか。
そういうヤレることを一切しないで
東北の方向に向かってだけ
何かをしている
多くのミュージシャンは
自分の頭の上のハエを無視して、
あるいはいることにさえ気づかずに
いるように見える。
そこの特区のハエを追うのには
理由があって
そこにだけ注目度が高いからよ。
メリットが有るからよ。
自分を見失っている人が
東北に行くのだとおもう。
誰かのために何かをしている自分に
酔いしれたいのよ。
陶酔願望プラス現実逃避ね。
本来自分に出来ることは何かと
真剣に考えるなら
自分の住む地域にそれがきた場合に
地域が連携して助け合えるような環境整備を整えるために
出来る事をするのが
先決だろう。
隣近所と話したり、地域の集まりに顔を出してみたり。
近所の子供に音楽を教えたり。
近所の集会で音楽を演奏したり。
有事の際に備える。
しかも音楽を使ってやるなら
せいぜいこんなところだろう。
東北のためにと限定して
何かをするなら、
家を空けて実家に帰り、
開けた家を彼らの疎開先として
提供するくらいが
最低出来ることだ。
そんな根性はない。
かといって自費で
瓦礫を片付けにいくような
金もない。
何もできないのだとまずは知れ。
己の小ささを噛み締めよ。
冷静になれ。
音楽や娯楽で癒すのは
長渕剛や吉本や
大きな組織に任せておけばよろしい。

どうしてもいくなら
密かに行け。
ピンサロに行くのと
同じ行為なんだよ。
行っちゃ駄目とはいってない。
どうぞご自由にだ。
ただ普通、いついつにいってきます!
と胸を張ってスケジュールをブログに載せないのと同じ事だ。

死人を利用して、自己満足、陶酔、にふけりに、欲望を満たしに行くのだ。

よくも恥ずかしげもなくスケジュールを告知できるものだ。

釈明してほしいもんだ。

東北のためになにか自分が出来る事をしている。

以外のちゃんとした理由をきいてみたい。

行くなら
黙って行け。
それがマナーだ。
全て顎足からなにから自費でゆけ。

それができないなら
死人を利用して食ってます
ご馳走様
くらい言え。

さも素晴らしい事をしに行っています
どうですか皆さん
偉いでしょうと言わんばかりに
告知をするな。

東北のなき魂は浮かばれないよ。
お前らの仕事を増やすために
死んだんじゃないよ。

恥をしれ!
豆苗が再び伸びて来ました。
いつ刈入れようか楽しみです。
洗濯物を干した瞬間曇って来ました。
晴れてたから洗濯したのに。
細かく上がったり下がったりしてます。
youtubeから新着動画通知が届きました。
小沢一郎、ロバートグラスパー、ダイノジ、佐藤優。
こうなるともう振れ方が分からなくなりますね。上下左右にぐるぐるしてしまいます。
立川談春と一字違い。





たまーに化粧を上手い具合に施せる時がある。

結局下拵えに時間をかけるべき
なんだなー。
入念なリンパマッサージにより
強引に二重顎を解消し
更に星一徹ばりの
平手パンチ連打により、
乳液やら化粧水を
毛穴の奥深くに染み込ませる。
んで、あとはまぁ普通に。
今日一つ良かったのは
眉毛を逆から描いた事。
眉頭から中に向かって
ひいてみたんだ。


なんかちょっと自然ぽくなーい。

で、いろいろ加工したら、




そしてしまいには




こうなる。

ひひひ。
実家近くの樹林公園に住む猫
白ちゃんと命名した。
呼ぶとどこからとも無くのそっと
現れる。

/private/var/mobile/Applications/5B855FC0-E232-40E0-A7B5-55DB30C1433B/Library/Preferences/

イタリアン猫。
コロセウム裏在住。



近くに魚屋があった。



イタリアンものグサカモメ。
追いかけたら、面倒臭さそうに
徒歩で逃げる。



イタリアン鳩。
斜面日当たり良好。



ペルージャ野良犬。
イタリアで唯一
なついて来た動物



イタリアンアメリカンショートヘア




イタリアンな出会い。



多摩川。
頭隠して尻隠さず
デモンストレーション中の
鴨さん。



優雅な場合。



地震後春のサギ。



春の鯉



春の鴨



多摩川緑地の自由な奴ら。




川崎ファクトリーの自由な奴ら





のどがな縁側ネコ 立川。



多摩川美猫



来年も色んな生き物に会う!
http://www.youtube.com/watch?v=6uAGGw1v1kY&feature=youtube_gdata_player

この方今始めて聴いたけど。
凄いと思いますた。
バランス感覚が。
一歩ずれれば時代遅れ
ダサい
ギリギリを通る
スタイリッシュ
カッコ良さ。
雄々しさ。

コレを日本人がやると
タダの止まりそうな音楽
になるのよね。

ほんの少しの違いで
天地

この人はすべてにおいてきっと
ほんの少しの違い
をわかってるとしか思えない
わかった上でギリギリ天の方を
選択できるセンス!
バランス感覚天才的
深いアメリカ臭と
田舎臭さ、
イタリア移民臭を
センスとバランスで
ステキ、カッコ良いに
転換する技を見ました
ユダヤ人なんだろなぁ。

他のも全部凄く惹かれる

ライブも!

白旗をグングン振りたい気分。
サリエリだなぁわたし。
凄いものの凄さがわかるのに
それを自分は出来ないという
代名詞。サリエリ。

この位置は誰でも
いられる位置じゃない
のだ~
わかってる人しかいられない
選民ポジション

白人でココまで行くからには
イタリア移民系ユダヤ人
なら納得
ワスプだったら
ノーベル賞ものだな
って感覚は多分
住んだ人にしか分からない
差別というなら差別
ユダヤの感覚に支配された世界

ユダヤじゃないから
分からないだろ
へへ~ん
って感じなの
差別されているのはこっち
目を覚ませ!

我々はユダヤシステムの
中にいるんだよ

分かっているのに
気持ちよいからつい
出てこられない

それを良いことに
彼らはその間も
ザクザク努力を重ねて
気付いたら
砂漠の蜃気楼状態
いつだってあるのに手は届かない。

いつだって見えるに手は届かない。

恐ろしいぞユダヤ人!
無精で散髪は年に一回だ。
そんなわけで、

どんなわけだ
美容師さんに
一年に一、二回来てもらっている。

本日はポカポカ陽気のため
ベランダで念願の野ざらしカット
当初は代々木公園でやろう
なんて言ってたけど
プロの人が公園で刃物を
振り回してたらダメなんだと

ふぅん。

とっととカットを終わらせ
多摩川に!

兄さんが録音は?
と言っている気がするけど


無視無視。

多摩川へ!


雨が降らないから川が干上がってました。

夕日は美しく、
絶景ポイントでは
おっちゃんたちが
望遠レンズを構えて
富士を狙う。

雲がかかってる方が
良いんだって。

へーっ。




日も落ち、腹も減り、
美容師さんを連れて
行きたかった蕎麦屋さんに



こんな外観の古い日本家屋。
初めて中にはいれたの。
いつも予約で一杯。



家主がJAZZ好きみたい。
そばとJAZZってなぜか
セットになるよね



座敷もある。
テーブルもある。
私たちが通されたのはかつては中庭だったという所。

したが石だから



寒さ対策の暖炉まである!


心も体もほっかほか。

で料理がいちいち
うまそー。



絶品ふわふわだし巻き
鴨のロースト



蕎麦焼酎蕎麦湯割!



こちらがわっちの美容師さん
ご満悦で気持ち良くなってます
演奏の時に髪をセットしてくれる
約束をしたよ!
不思議な人だから
友達になっちゃった。




こんな景色をみながら
蕎麦を食らい

帰り道
神社の建物の窓に映る姿をみながら
必死にヒップホップダンスをする
青年を見つけて

帰ったら録音するよ
と。
気が引き締まりました。

三曲とったよ。


新しい歌い方で
音程が少しだけ安定して来たのは

蕎麦屋で飲んだ梅酒が効いているのか、
はたまた
先日バルーンアーティストさんに
もらった風船を吹いて
顔が筋肉痛なのが良いのか、
はたまた
先日母から譲り受けた
顔面マッサージ機の電流で
顔の筋肉が鍛えられてるからなのか

なんだかよく分からないけど

明日はまた
ベース越智泰彦来訪
録音第二弾がはじまる



ペルージャに拠点を置いたまま一日アッシジ観光。
バスで1時間くらいの近距離なのだ。
ペルージャのバス乗り場で切符を買おうとしたら行列ができているのに
捌いている係員が一人だけだ。
後の5,6人の係員は後ろでぺちゃくちゃおしゃべりに興じている。
お客さまセンター。
ま。
もう慣れたけど。
でとにかく無事にアッシジ。
この日が一番寒かった。体感0度です。
風邪も吹きすさびとにかく寒かった。
で。
この空の色。
真っ青。
有名な聖フランセスコが修業したところ。
聖なる修業の地の売店で日本から来たシスターの格好をした
(おそらく)シスターが
「このロザリオかわいくねーっ。」
と話しているのを目撃した。
うーぬ。

昼は偶然にもガイドブックお勧めナンバーワンの場所で食べた。
ものすごくアルデンテの生パスタ。
トマトソースのみ。
日本のざるそば感覚なんだな。
ベーコンもなすも玉ねぎも一切なし。
潔し。
で美味し!




こちらがプレゼッペ。
教会に必ず一つはある。
キリストの誕生モチーフにその当時の人たちの
様子がわかるように色んな階層の人が
存在する。
当然真ん中には産まれたてのキリスト。
このドールハウス以外にも、必ず祭壇の正面に
実寸大の赤ちゃんの(もちろんキリスト)産まれたての人形
が必ずどの教会にもあった。
そして奥の中央には磔に会っているキリスト。
天井画にはキリスト神が天国雪と地獄行きを告げる最後の審判。
これらが鉄板。
沢山見た絵の(何千枚・・・。ごちそうさま)9割以上が
宗教画でした。
あまりにもたくさん見過ぎて多分こんな話なんだろうと
予測がつくくらいです。
多分こうです。
まずダビンチなどで有名な受胎告知がある。
マリア様、やってもいないのに突然はらんだと天使に告げられる。
いやいやそんなはずは~っ
とか言ってる間にあっという間に馬屋で子供が産まれる。
で成人したキリストは仲間たちのうちの誰か(たぶんユダ)の裏切りによって
磔になる。仲間の何人か同じ目に。
で磔中には母なるマリアさん
(年をまったくとっていないので姉にしか見えない。)
が足元に絡まりついて嘆いたりしているが
容赦なく、騎馬兵隊さんが(この絵は一回しか見なかったが)
右胸の下のあばら骨の辺りをグリッと槍で一突き。
力無く死に絶えたキリストをマリア様は抱いてまた嘆く。
だから何全体とあるキリストの像は必ず右胸の下から血を流しているし、
ほぼすべて(例外はあった)顔をたれる方向なども一致している。
あまりにもたくさん見たので芸術的価値などは薄れまくってしまった。

こちらの町は堅固な要塞作りなのです。
高台の絶壁とかに壁を貼りめぐらせて
その中に居住空間を迷路のように建てて
しかも石造り。門や窓には鉄格子。
どれだけ外敵からの侵入におびえているのですか?
島国日本にはありえない強固さ。
これは反面、
自分たちも行くときはこのくらいはしておかないと
すべて奪い去るからよろしくと言っているようでもあり
おっかない肉食系の一面を覗かせつつあるんじゃないの?
と美しい街並みを見つつも若干戦慄するのです。
屋根の色のトーンや壁の色のトーンを全部合わせてくるあたりは
さすがの美意識なんだけどもさ。


朝起きて窓から見える最初の鳥はカモメだった。
ここは海に近いのだ。
カモメは警戒心が弱いらしい。
まぁまぁ近くまで寄って行っても逃げない。
こちらは、
「なんだよぉ。」
「なんだよなぁ。」
といいつつやや逃げているものの、
脚で逃げている辺り危機感やはり弱いといってよいだろう。
飛べや!と突っ込んでしまいそうになる。
で。
名物の石畳。
とこの写真の地区はミートパッキングディストリクト。
下町だ。
ディズニーランドではないのだ。
ここでローマ(バチカン)終了。
いざペルージャに電車で。
市内のバスは全て無料だった。
本当や有料だけど券札機に券を通す人が一人もいないんだもの。
運転手は「俺の仕事は運転のみ。他のことは一切知らぬ存ぜぬ。」
であった。
だからわからないことはその辺のお客さんを捕まえて話すしかない。
するとたちまちバス中の人が話しだし、何とかそれらしい答えに行きつくのだった。
この国ではコミュニケーションを極力とりたくないような閉じこもり系オタク系
日本人はまず生きてゆけない。
コンビニは無い。
コンビニである必要が無いのだ。
すべては会話で何とかする。
欲しいものはスーパーに。
スーパーでも肉、チーズ、魚、お惣菜などすべて量り売り。
欲しいものを欲しいだけシステム。
だからイタリア語か英語かジェスチャーか絵か
とにかくコミュンケーションツールを何か持っていないと
絶対に無理。

日本は希薄化したコミュニケーション問題を何とかしようとしているみたいだけど
それはシステムの問題だと思った。
こっちにいると痛感する。
すべてはコミュニケションが無ければ無理なようにできている。
空港でも立ち往生。
スーパーでも立ち往生。
商店でも朝市でもどこでも。
無理。
生きてゆけない。
仕方なくその辺の人に聞くしかない。
勇気を出して聞けば聞いてない周りの人まで
反応する。
そうやって当たり前のシステムで
生きてる.


 

新年明けましておめでとうございます。
こちらローマからの暑ーぃ新年。
一番大きくて由緒あってふっる~ぃPLAZA(広場)
でもみくちゃにされ呼吸困難になりつつ新年。
この光の先にはイタリアの布施あきら(シクラメンを歌った人)
知名度はサザンオールスターズ的な国民的人気モノがいるらしい。


で後日この人だということがそこらじゅうに張られたポスターにより判明。
広場にいた全員がこの人の曲をすべて熱唱していた。
それってに日本ではあり得るだろうか。
老若男女全員に知れ渡っているって・・・。
音楽の在り方がこちらでは日本とはだいぶ違うようだ。
大体この人の歌い方だって日本でいちばんそっくしなのは布施氏だけど
とにかく息が深くて長い。
爺さんなのにロングトーンで平気でに2,30秒行きますもん。
年末から年始にかけてどんどん青ざめていくよ。


時間を見つけてこっちでもボイトレやっとかないと後が怖いよと
身も心も新たに。

かの有名なトレビの泉さんです。
とりあえず再訪を願ってのお賽銭。
年末だったので初詣も兼ねて。
更に願い事をかなえるためにもう一回というのが習わし。
願い事かぁ。
ライブにお客さんがどっさり入りますように。
セルライトがさーっと消えますように。
彼氏ができますように。
お金持ちになれますように。
アルバム完売しますように。
願い事が多すぎて絞れない。
はぅっと思いつつ投げてしまったので
トレビの神様はきっと「はうっって?何?」と
首をかしげていることと思います。

イタリア全体を(といっても一部だけど)通じて一番の喜びは
野菜の味が濃かったこと。
オリーブオイルが濃厚でパンにつけて食べる
やり方がなるほどしっくりくるのだ。
だって油もコユイんだもの。
青臭くて甘くておいしい。
イタリア人は全てのものに油をど~っさり
かけて食べるのだ。
朝市も充実していて新鮮で安くコユイものが
いつでも(とはいってもなんだかんだでしょっちゅう休んでいるようだ)
手に入る。
昔ながらの製法にこだわって・・・とかこっちでよく言ういい方は向こうには無い。
なぜってまだ昔のままだからよ。
形悪い。味は良い。
どっちか良いのか?
そんなこともわからないのか日本人はあほだね。
と言われている気がした。
実際はそんな事言って無いし
いちいちごちゃごちゃ気にする人たちではないのだ。

ローマで泊まった★★か★のホテル。
ローマの歴史地区の中にあり古めかしい建物でした。
入り口の感じからそこがホテルだとはだれもわからない。
この写真を撮ったのは部屋のものすごく高いところに
コンセントを発見し、いったい何に使うんだろうと悩んだから。
写真右上部。
これ長い滞在中に気付いたけれど、多分この辺にテレビを置くからだと思う。
このホテルには無かったけど。
12月28日東京~アムステルダム経由でローマに入る。
到着は夜の23時ごろ。
空港から、先にローマ入りしている友人との待ち合わせ駅
テルミニ駅に向かう。
向かおうとするも、日本の空港のように親切に一メートルおきに
行き先表示がしてあるわけではない。
分からなければ聞けよということらしい。
しかし見渡す限り係員らしき人はいない。
このあたりからして日本ならお客さまセンターものである。
何とかわずかなサインを頼りに電車のある場所にたどり着く。
エレベータも二階に行きたいのに乗ってみるとゼロと一の表示しかない。
ココはどこだ?二階とはどういうことだ?
乗り合わせた一同???
日本なら既にお客さまセンターを3回はコールしているようなぐだぐだなノリだ。
電車の切符を買うにもカードを使えるのは便利だが、
種類によっては使えないものがあるらしく、その理由も何もなく
ただカードが戻ってきてしまうので
前のお客さんは切符を買うのに10分以上かかっている。
あぁ。お客さまセンター。
私のカードは特に問題無いらしく、あっという間に切符が買えた。
電車が到着するも扉の開く気配がない。
それについての何の説明もないまま一同10分くらい待つ。
反対側が開くのかと反対ホームに重い荷物を引きずって行く人もちらほら。
しかしもちろん開かない。
15分後くらいにぷっす~ぅ
とアホのおならみたいな音がしたかと思うと
どうやら開くようになったようだ。
しかも今どき手動。
やや呆れつつも開くボタンを押して中へ。
何のアナウンスもないまま適当な時刻に突然発車を決めたように
音もなくホームから電車が滑り出す。
テルミニ駅までノンストップ。
その間一回も車掌が切符確認に来ない。
で下りる時にはいの一番で降りて行ってしまった。
しかも電気を消して。
ものあたりで既にお客さまセンター10コールくらいはいっている。
まってくれ~何も見えないと焦りつつ
開くボタンを探しつつ、
切符を10分以上かけて買った意味はっ!!!
なんだったんだこの損した気分!!!
くそっ!
怒りつつ、駅に着くと駅も真っ暗。
友達はいない。
しばらく待つが来ないので、とりあえず出口のほうに。
改札もなくいきなり出口だ。
駅前には人っ子一人おらず、きらきらぴかぴかした雰囲気も何もなく、むしろ
廃れて汚く荒廃した・・・。そんな雰囲気すら漂っている。
本当にここはローマなのか・・・?


今年のうちでは緑のカーテン計画実施
窓辺にゴーヤを植えました
実が付き始めて嬉しくてほおっておくと
どんどん熟れて黄色くなったのです。





見事な実が取れました。
と思って
この黄色い方を
水に放していたら
突然


どっか~んっ!!!


実が爆発して、
このような赤い種がうようよ
這い出てきたのです。

這い出てきたように見えただけで
実際は
止まっているのですが

何とも言えない薄気味悪さでありました。



live info
■7/29(mon)
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000


都内ツアーのスケジュール詳細
my space音楽配信
youtube風に還る日
youtubeニレの木祭り
youtubeニレの木祭り2
profile
ボンバードラミ

10月1日火曜日生まれ
天秤座 A型 寅年

職業:天職探し中
趣味:考えること
気質:ゾウ的
着物を着て、馬に乗って、作った音源を売り歩く。
そんな夢を実現するために格闘悶絶,抱腹絶倒,七転八倒三歩進んで五歩下がる日々を恥も外分もなく送る生き物。


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