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●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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そういえばすっかり忘れそうになるけれど。
着付けもまだ続いております。
これはゆるっと続けないと
なかなかどうして
一筋縄ではいかないものの代表
ちなみにこれは去年の夏。
紗の着物にこれまた夏の帯です。
洗ってしまって縮んでしまった間抜けな帯。
わっちがでかいのではなく
帯がちさいのです
お間違いないよう
まぁ。わっちもでかいけどもさ。




そいでもってこっちが今年の新年会。
このように無理やり着ることにより、強引に
着付けのレベルを維持しようとしているのです。
これは沖縄紅型染の派手派手な振り袖で
良い年ぶっこいて独身を良い事に無理やり着ていきました。
はずかしぃ~・。・;
これでは振袖だとわかりませんね。



てなわけで
こちらがその前の前の年の
先生の着付け師歴何十周年かを祝う会。



なぜにわかに焦ってこいう事になっているのかといいますと、
馬的着付け人生などというタイトルを銘打ってしまっているため
どうも着付け方面のアクセスがあるらしく
yahooの番付のようなものに乗ってしまっているようで。
これを着付けのブログだと思って開いた人は一体何のことだと
今頃首をかしげているに違いないのです
音楽音楽ってなんやねん
着物の一つも載せんかいっ
という事でね。

関東着装師会という物々しプロの着付け師を要請するところです。
そういったレベルには程遠いですが。
現在はゆるゆると人様に着せる練習を開始している所です。

ぐだぐだですので
これを見てしまった方は
速やかに己の
清く正しく美しい方の
着付け人生に戻って行ってください

東京風はパリッとシャキッっと小粋に着つける
はずが
グダッとメロッとドロドロになっております。
そんなわけで
今月はバイトの忙しさもあって
とうとうお休みしました。
5月はまだ暦上は袷のようだけれど
このご時世ありえないような気もします
浴衣で行きたい気分です
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着付けの教室で川越散策をしました。隣にいる美しい方は、中学高校とテニスのパートナーだった友人です。
着付けを紹介して、逆に乗馬を紹介してもらったという決定的な重要人物であります。
何だかんだのお付き合いすでに20年以上。
いつも相変わらずの美しさであります。
全てにおいて人並み以上の努力をしている人だから。
こんなに美しいのです。
すごいなー。

ここは川越のお菓子横町から少し小道を入ったところに広がる不思議空間で仙人のようなおじさんが住んでいました。
写真を取ってあげるよ、と、ほぼ無理やり撮っていただいたものです。

中には長火鉢が置いてあり、縁側には猫が7,8匹おりました。
写真を撮ってくれたおじさんが呼ぶとなぜか全員勢ぞろい。
不思議なパワーを持ったおじさんでした。

先日一週間ぶりに着付けに行った。
来週は勉強会なる名のもとに3時間の正座をするという罰ゲームが待っている。
3分も持たないのにどうしてくれよう。

生徒たち各々指定の季節の着物を着て、それを先生が色々説明してくれるのだ。
着物は季節とシチュエーションと年齢と体型によって微妙に異なった着付けろする。
わっちの担当は真夏の着物ということで、黒いバックに小さなお魚さんがたくさん泳いでいるという涼しげな絹芭蕉のシャの着物に、クリーム色のシャの帯で石榴の模様のついたものを着ることになった。

紗には紗、絽には絽という合わせが妥当らしい。
決して色が合うからとか柄が合うからという理由ではずしてはならない。
もっともっと厳密にいうなら柄も色も季節によってある程度限定的なる。シチュエーションが柄や色を決定してしまう場合もある。

先生の昨日の一言。
「こういう事を覚えて“わきまえれば”ああいう事件は起きないのよ。」

日本には、想像はるかに超える、古より伝わる約束事が沢山ある。
それらの約束事は隣人や周りの人々と円滑に、失礼のないように、気持ち良く過ごすために、長い時間をかけて編み出されたものであって、決して時代遅れの意味のない古臭いしきたりなのではない。古の人の知恵の結晶なのだ。

「躾」

字がすごいではない!
身を美しく保つものが躾、美しく見せるのが躾。
すべては不躾の仕業だったのかも!

いつからか躾は親から怒鳴り怒られながらされる調教のようなものに変貌してしまった。
躾をすべき親が躾の意味を理解していない、あるいは履き違えてしまったのがそもそもの原因ではないか?

調教としつけでは意味が全然違うし、立ち位置が全然違うではないか。
「調教」は完全な上から目線による押しつけであり(馬の調教はまた意味が違う。外国では日本より階級意識がはるかに進んでいる、というか徹底している。馬などはそもそも低いのだ。低いからと言ってそれを差別しないのが向こうのやり方なのだ。低いけど、低いから寄り添う。大切にする。)
「躾」は美しくありたいという本人の自覚を促すもので、寄り添っていなければこれは出来ない。最終的には本人の自発的な努力次第というところがある。親はこうしたほうが美しく見えるという模範を子供に常に示す。(馬を調教することはできても躾ることはできない。自覚がないからだ。自覚は無いけどやつらは美しいのだ、もともと。)
着付けなどでは古い習慣をいまだに大切にしている。
入り口で挨拶をすると、次の間の控え室に荷物を置き、もうひと足袋先生に声をかけて入口の襖を開けてそこで一礼。立って中に入り後ろの戸を閉めて正座しなおしてから改めて先生に一礼。お中元もお歳暮もある。お金の下には台というものを入れる。お金だけをいきなりぼことっお渡しするのは失礼だからだ。

こういうことをあの秋葉少年は知っているだろうか?
知らないだろうな。

なぜって原因は戦争だと思いますね。

躾とかごちゃごちゃ言ってる場合ではなかった時代があった。
その頃子供だった人はいまだに、ものすごい不躾だし無礼だなと感じることが多い。電車の割り込みから、しゃべり方から、考え方(何も考えてないというのがその考え方だけど)、我先に、むき出しの欲望。
そういう人を見るたびに戦争の残した痕跡は現代にもむき出しにあるよなと思う。
そうしなければ生きていけなかった人たち。
でそんな人たちに育てられた子供の子供が今の我々世代だ。

躾なんかはお前がやっとけ、会社で稼いてやってるんだこっちは!誰のおかげで食えてると思ってるんだ!
こういう余裕が全くなく、不躾な大人が大量に生まれる。
そのもとで育った子供たちにちゃんとしろというのは酷な話だ。

こんな不躾な大人を生み出した最大の理由はやはり戦争による過去からの一時的分断と圧倒的な速さでのアメリカの流入であったろうと思う。
しかもアメリカの悪いところばっかりが輸入されている。
躾という文化が寸断されたところにアメリカ的合理主義的コンビニイズムが雪崩れ込んできたのだ。

「面倒臭くなる」

いちいち盆暮れに中元だの歳暮だのってめんどくせ。
箸の上げ下ろし置き方ごちゃごちゃ色々うるせ。
めんどくせーからフォークとスプーンで食うわ。
食事作るのめんどくさい。
外食外食。
面倒くさがらず一日を過ごすのは実は相当な努力を要する。
毎日続ける。季節の変化を読みながら、洋服を入れ替え、選択掃除をし、周囲を気遣いながら。
米は藁で焚く。風呂は薪で。洗濯は板で。
当たり前のようにそうしてきた。
超エコ人間昔の日本人。

頭が下がる~っ。

今月から人に着せる稽古が始まった。
とはいうものの、まだ1回しか行けていない。
記念すべき春一番の吹いた日の稽古が「初人着せ」とあいなりまして、風の強さとあいまって心がフワフワ躍るようだった。
人に着せるのは自分が着るのと全てにおいて手が逆になる。
さらに人は自分とは違う体型だから色々と勝手が違う。
ここの着付けの極意。
誰でも最低限の綺麗さ、当たり前の普通の出来栄えを前提に、様々な決めごとがある。
この線は足袋と足袋の間、巻き込んだら5センチ上げる、襟は指一節半とる、裾は床に3センチくらい引きずるとか、そういう細かい約束が何十個、経験が増すほどに何百個と増えていく。
もしかすると、やってもやらなくても、誰も気づかないようなことかもしれない。
それでもやはり7年選手10年選手を見ると、何かが決定的に違う。
はっきりとあるラインが出てくるのだ。

ぎりぎりの緊張感を持ったラインが随所にせめぎ合っている感じとでもいおうか。

そのラインの戦いは、ふんわり上品なのにきりっとシャキッとして、痩せてすっきりした印象を与える。
わっちなどは一歩間違うと、ぞろぞろダラダラなのにきつそうで結果下品という印象を与えてしまう。
いわゆる理想と現実が真逆現象が起きてしまうのだ。

で結局音楽に立ち返ってみると、「ゆったりなのにスピーディー」になるはずが何か一つボタンを掛け違うと、「もっさりなのにバックをどんどん追い抜いてテンポだけ早くなるという凶悪な演奏」ができあがっちゃうんだということがわかる。

着付けにおけるゆったりラインを決める要素としゃっきりラインを決める要素はどこにあるか。

まずしゃっきりは確実に襟元に現れる。
襦袢と着物の襟は鋭利なⅤ字を出したい。V字の両サイドは首とぴったりくっついていると上品さアップ。離れているとだらしなさアップ。下品さアップ。

着物の裾にも現れる。
裾は床から5センチ上がっている。それを支えるのは腰ひも一本。
そこに得も言われぬ緊張感が生み出される。
チョンと触ったらはらりと崩れ落ちるような砂の城がごとき脆さのもたらす緊張感。
セクシーな芸術です。

帯が、前から見た時、まっすぐに腹に横文字に通っているのではなく、中心は低く、脇へ向かうほど高くなるような、うっすらⅤ字を描くと、帯から上の胸の部分が横長でなく縦長に見える。このような工夫が体を細く見せるコツ。

着付けも馬も音楽も全部そう。
「目(耳)くらましの芸術」

着物をうまく着ていくら細く見えても体重変わらないし!!
見えてほしいように見せることが出来るようになりたい。
どう見えてほしいと思っているんだろ。

着物に関してはふっとっては見えたくないな。
ただでさえ色々巻きつけて実際は明らかに膨張しているわけだから・・・。

今回の先生の指摘は腰布団を作り直せというものだった。
窪んだ場所を補正するための腰布団が、出っ張っている所にあったってしまっているために、凸の上にまた凸=デブ
恐ろしことになっているらしい。
首のところから襟が抜けすぎるのも悪い癖。
着付けなかなか一筋縄ではいかないです。オモロ~。

帰りの電車は春一番の影響でストップしており、タクシーを拾おうと駅前の大通りで立ちすくんでいると、交差点のど真ん中でおじさんの乗った自転車がガッシャリ倒れて、籠の中からトイレのすっぽんやら、カンカラやらがらがらおもちゃ箱をひっくり返したように出てきて道いっぱいに広がって大変でした。

「主観的な人生は悲劇に満ちているが、客観的に見れば大いに喜劇である」
みたいなことを誰かが言ってたよなぁ。

雪の影響で外がガリッてますな。さすがにみんな慎重に運転しているようです。

これは先日の話。
着付け新年会@ホテルニューオータニ
40回のスカイラウンジというところでランチビュッフェ。
30人ほどの女性が、着物姿で食事をする光景は圧倒的を通り過ぎて、気色悪かったです。
お師匠さんを中心にキャリアの長い順に座る席順も決まっており、私などは完全に末席を汚す係りでありました。この軍隊風の新年会。
毎年あるのかと思うと、キモチ、ぐったりするのですが、実はこれも稽古の一貫。
始めて間もない人たちは自分で着ていくことも許されず、事前に先生のお宅で着せてもらってから来ていたらしい。しかも一人一人が挨拶に来なかったとかでお師匠さんは完全にご立腹。近くの席の人たちは食事も喉を通らないような有様だったらしい。末席で良かった。と、ホッと胸をなでおろす。
しかもここは、何をまかり間違ったか、プロの着付け師さん養成所で、一切の妥協というものが許されていない。
ビビりでアガリ症の私といたしましては早くもビックビクであります。

着付けは指先のスポーツであります。
頭の後ろに目があるような感覚を身につけるにはもってこい。

音楽はさておき乗馬には確実に必要な感覚ではないかな。

わっちは、今回の新年会では、薄いピンクの緞子(ドンス)という生地の小紋にオレンジの芥子の花ような模様が金の不日取りをされているピカピカの着物に、オレンジがかった朱色の帯に金銀の花があしらわれた帯を締めました。
とにかく新年会だから第2礼装で皆さんど派手な着物なのでした。
さらにホテルということもあり床につきそうなくらい長く着て、巻き込みはばっちり多めに。
覚えきれないくらいの決めごと。

ごちそうさまこんちくしょ~っ

なのであります。

live info
■7/29(mon)
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000


都内ツアーのスケジュール詳細
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profile
ボンバードラミ

10月1日火曜日生まれ
天秤座 A型 寅年

職業:天職探し中
趣味:考えること
気質:ゾウ的
着物を着て、馬に乗って、作った音源を売り歩く。
そんな夢を実現するために格闘悶絶,抱腹絶倒,七転八倒三歩進んで五歩下がる日々を恥も外分もなく送る生き物。


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