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●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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で。結局そういうことなんだと思いました。
広島を2、3日の滞在で語ることはできないけれど、
広島で新鮮に映ったことを通して
東京の様々な当たり前と思っていたものが
実はどうも違うらしいという事がより見えて来る。

大変有意義な。
しかも発見のそこここに多い旅でした。

で。
報告は後ほど。

今咀嚼中。

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私事ではありますが、22年半連れ添った猫さんが先日とうとう逝きました。

我が家の家の道を挟んで目の前が、幸か不幸か動物のお墓であり、
そこへ持って行けばあっという間のお別れという何ともコンビニエントな流れ。
しかしそれをどうも何かが拒むらしく、住職に聴きに行くと今日のお勤めは終了しましたという。
明日またおいで
となり、
猫さんを囲んで久々にお酒を飲みながらのお通夜となりました。

22年というのは猫としては相当な長さです。
私年表で言うと、丁度アメリカから帰国して、
中野の松が丘のマンションに引っ越して
久々の日本にまったくなじめず状態の頃に猫さんが来たのであります。

猫でも飼おうかという流れが
どこから出たのかはよく覚えていませんが、
偶然のように何かの流れで、
ある日、里親の方が猫が4,5匹入った箱を持って来てくれて、
コロコロの子猫がワラワラうちの部屋を駆けずり回っていた光景は
まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。

あれから既に22年が経過し、
その間色々な事柄が起きて、
そのすべてを横目でずっと見るともなく眺めていた猫さんは
見届け人のような存在でもあり、
ある時は妹、ある時からねぇさん、ある時から母さん。
ある時から世話役。そして仕舞には仙人。師匠。
最後は化け物と化していました。

最後の何日かは立ち上がることもできず、
こうやって生き物は次第に
「風に還るんだ」
と改めて深く感じ入りました。

発見したのは

人は苦しみや悲しみを何とかしようとすると、
無意識にアドレナをドバット出すという事。

バイオリズムに同調するという事。

猫の体調がまずくなるにつれ、
わっちも体調が悪化し、
リハーサルをやむなく中止し、
一日家で休むことにした。
まさにそのタイミングで猫さんはゆきました。

こちらは悲しみと痛みを何とか軽減しようと、
気持ちよくなってきて、爽快な気分に。
何でも出来る。今なら飛べる。
そんな万能カンに満たされ。
超危険。

別のところで声がするのです。

いったいいつになったら
GETOVER(乗り越えられる)のかよくわからないけど、
生きとし生けるものは死ぬ。
そんなのわかっってっっけど、
体は無意識に反応する部分が9割で
それはアンコントローラブル。
そちらをどうすることももはやわっちには出来ない。
マラソンを走ってる人にアドレナを出すなと言っても無理なように。

とにかくこんなに長い間
一緒にいられて
幸せであったことだけは間違いない。

猫さん豊かな人生をありがとう。

今日の散歩は2時半に始まった。
家からまずは光が丘の公園を目指す。
途中の家の庭先で。





これがあまりにもすごく圧倒される。
しばらく行くとまたボタン。
う~ん。







芝桜も満開で。
どうだどうだと迫ってくる。




やまぶきさんも
負けていられるかと
どっさり向かってくる。






はぁはぁ
息を付きながら
ひと先ず緑を見て
落ち着こうと





それでもなんのなんのと
迫られて、
もうあかん
目が回るし










そこへワンコがやってきて
「おねぇさんバカ?」
というから








と申し上げました。

また怒涛の牡丹攻めにあい、








目の前がぐらぐらと揺れだしました。






おしまい。

大学時代に与えられた命題にいまだ頭を抱えて悩んでいる。対話と会話の決定的違いは何か?


「おはよう。いい天気ですね」
「そうですね」

が会話で、

「パレスチナの民族紛争の今後の行方をどう考察されますか?」
「(よくわかんないけどなんか取っても知的な答え)」

が対話。

という事ではないと思うのですね。

で、考えたのが第三者を想定していないのが会話で想定しているのが対話というもの。

同じ「おはよう。いい天気ですね」
「そうですね」でも朝のゴミ捨て場でのおばちゃんの寄り集まりなら会話で、
これが何かのシンポジュームだとか、ラジオだとかテレビ雑誌などメディアに乗るものであれば対話となるという考え。

これが結構イケてるんじゃないかと思うものの、いまいち決め手がない。

さて。

結局どういう事なんだろな。

英語ならconversation,dialogeとなる気がする。
そうすると対話は想定されたセリフのようなものなのか?
むぅ。

久々に中目黒へ演奏を聴きにゆきました。

帰り、目黒川から恵比寿に方面に抜ける坂を歩く。
かなりな傾斜。古い地形が残り、戦争を生き抜いたような建物を尻目に坂の上には巨大なマンションが林立している。

六本木へ日比谷線で出て、終電まで時間があるので、“店長”の店に寄ってみることにした。

音楽を始めるきっかけになった六本木の店の店長だった人が、今は小さなカウンターの居酒屋をやっているのだ。
酒を飲まなくなってから久しくいっていなかったのだが、普段の不義理をここで返さずいつ返す!と、思いきって寄ったのだ。

毎日毎日同じことを繰り返す料理人という職業。
店長を見ると色々な所作が「型」のようになっている。
それが何とも美しいのですね。
職人の技とはいつも人を魅了するものです。

いつしかそんな技を繰り出せるようになりたいです。



これが我が家のピアノの上の状況であります。
現在おじさんが三人ハモッており。(10年くらい前からずっとハモッている)
後ろには枯れ花のバスケット。
このランプはアメリカ時代から使っているものです。
写真を自分で貼り付けられるようになりました。
えへへ
先ほど衛星放送で父と娘の歌という宇野重吉と吉永小百合の両方音楽家というなんだか最初から見たかったなぁ~な、映画をやっておりました。
日本人がこんな風だった時代って本当にあるんだなとうらやむような気持ちです。
上品で清楚で静謐でだけど今よりあっけらかんとして底抜けに明るい。
用具室のおじさんをたたき起こして「ピアノ室の鍵貸して!」と吉永小百合扮する音大生。
「もうこんなに早く迷惑だなぁ。」と目をこすりこすりおやじ。
「そんなことどうでもいいから早くちょうだいよ」と、おじさんの手からカギをもぎ取り練習室へ駆けだす小百合。
今ならこういうことはやらないだろうな。やらせないだろうよ。天下のアイドルに。
けどこの時代にこういうのはちっともおかしくない。
むしろピアノが弾きたくてしょうがない女の子のはじけそうな心が的確に表れている。
けど今の映画でこれは無い。
なぜなら同じセリフを今の子がやったらタダのはすっ葉な不良仕立てにしかならないからだ。
小百合さんの清楚で上品な物腰は演技だけではない。
本人自身からにじみ出ちゃっているのでしょう。
一見乱暴なシーンも彼女なら下品な不良にならない。
それにしても白黒時代の吉永小百合最高です。
いろんな角度でいろんな違った小百合さんが見られる。そしてどの角度も印象的。
特に横顔なんかもう若いのにものすごい色けです。
「キュポラのある町」の小百合さんもこの小百合さんも魅力的です。
明日あたり伊豆の踊子でもやるのかな。
ちょっと楽しみになってきました。

思うように何かを表現するのは難しい。
うまくいくと良いなと思うものの、そうならない方が圧倒的に多い。
それでも少しずつ何かが出てくれればそれは大したことだと思う。
“何か”とは何だ?という基本的な問題はあるが、それが何だか分かっていたなら、もう大して面白いということもないから、あえて出そうと、もがく必要もないのだろう。

そのようにして(どのようにして?)少しずつはぐくまれる「何か」を大切に見守る感じは庭いじりと似ているのかもしれない。いじくったこと無いからわからないけど。
自分にしかわからない小さな変化の発見が、やがて誰にでもわかるくらいの庭を育て上げてゆく。

変化とはとても小さいものだから、毎日は只だらだらと意味もなく過ぎ去ってしまうようで。
いらだちがあり、焦りがあり、どうにもならない気持ちがぐわーぅっと積み重なってそうなってくるともうただむやみに混乱してゆくしかない。

それをなだめ、落ち着かせ、癒してくれるのは結局小さな発見と変化の連続なのだ。

ここにあるのは小さな発見とその記録であります。

先日から都内のあちらこちらで、難民フェスタというイベントがはじまり、関連映画がただで上映になっている。

オープニング映画の“WAR DANCE”をみた。

ウガンダでは北部の反政府組織の活動が激化。
そんな中でダンスと音楽で全国大会を狙う難民キャンプの少年少女の日常を追ったドキュメンタリーだ。
木琴に取り組む少年は毎日重い木琴を一人で担いで茂みの中で練習している。
向うの木琴はボロボロの木でできていて、それぞれのパーツが紐でやんわり括られているだけなので一人で片手で持ちあげていると、すぐにパーツがポロポロこぼれてしまうのだ。
練習に行くたびに懲りずにパーツを落としてしまう少年が何ともいえずにかわいいのだ。
そんな不器用な少年だけど、いざ木琴を弾いたら怖いくらいにうまいのだ。
本人もちゃんとやらないとおれの楽器がリードするんだから他の皆に迷惑をかけてはならん。などとまるで日本人のようなことをいう。

日本人は手先は器用だがこの少年のように木琴を弾くことはできない。
この少年はうまく木琴を持ち運ぶことはできないけど、演奏はばっちりなのだ。

人類はアフリカから始まっているっていうならもう少し彼らの根幹がばっちりしている部分を我々も受け継いでいたかった。
世界に人間が分布していく過程で、色が抜けおち、根幹、芯が抜けおち、先端が器用になっていくという進化を遂げたのかもしれない。
逆に、この子たちには小さな折り紙で鶴を折るというようなことは出来ないのだ。

全国大会で勝って真新しい木琴をもらった少年の誇らしい顔。
その木琴を学校に寄付する優しい少年。
この少年は内乱のさなか、無理やり反乱軍に命令されて道端の農夫を斧で殺した。
「やらなかったらお前を殺す。」

「やらなかったらお前を殺す。」



可愛い少年よ。

可哀想な人のなにが可哀想って自分の可哀想さ加減に気付いていないということです。
最近ソクラテスの「無知の知」という言葉の意味が一段深い意味にとれるようになりました。

「無知の知」

己の無知と向き合った時はじめて人は「知」を得る。

そらそうや。言葉でこれを理解することはたやすい。
ところが人のすごいことは己の無知を知っていると思い込むところなのだ。

私は無知ですよ。

どれだけ無知なのかを知ることは無知な自分には出来ないというのが本当なんですよ。
他人の言葉が己の無知の鏡。
それも自分が無知ではないという思い込みが強ければ曇ってしまう。
向き合うことはたやすくない。

痛い。

傷つく。

反発。

それでも受け入れて変わりたいと思うのは、今、登っている山がエベレストだと思い込んで小さな丘を息巻いて登るのは滑稽だからではないですか。

これで一番可哀想なのは結局自分なんです。
こう書きながらここにはジレンマが。
自分こそまさにその一番可哀想な人なんじゃないか。
その妄念は常に堂々巡りの波のようにやってくる。
やればやるほど無知のレベルが膨らんでいく。
無知はブラックホールのように増殖する。

無知と打つたびにまず「鞭」が出てくるのが笑える。(馬用語^^;)
馬に乗り馬から様々なことを教えてもらう日々が続きます。
馬の教えてくれることは緊張と緩和、感覚的バランス、集中力、姿勢。
彼らほどタイミング良くいろんなことを教えてくれるものはない。
待ったなし。

答えのない一瞬のバランス。

プラトンは理想の世界に芸術は邪魔だといった。

理想の世界には確かに余剰的ゴミのようなものは必要ないのかもしれない。
そもそもいつだったか「哲学」という分野に詳しい友人に尋ねると、こういっていた。
「それは本棚に本をしまうのに似ている。奇麗に秩序良く収まっているうちはよかったのに、ある本が高さを、あるいは分厚さを、本棚の許容範囲から逸脱してしまった場合。本棚に収まらない部分を切り落として無理やりぴったり本棚に収める。
こういうやり方を近代哲学はやってきてしまったから、矛盾が沢山生まれてしまったのだ。」と。

プラトンのいう理想世界を邪魔する芸術とはまさに、この本棚に対して、はみ出てしまった余計な部分なのかもしれない。

それでも世界は今日まで何とかこの余計で忌々しい余剰物を受け入れてきた。
あるいは受け入れざるを得なかった。
この余剰物たちは時間をかけて世の中の矛盾と向き合うことのできる貴重な存在、言ってみれば暇人、であると同時に世の中にその結果を知らしめる義務を負っているといえる。

カカオ豆を作るのに忙しく、毎日遊ぶことさえ出来ない現状をうまく飲み込めない子供がたくさんいるように、それで出来たチョコレートの恩恵になぜあずかることができているのかを理解できない子供が同じだけいる。
どちらにとってもあたかも等距離であるかのごとく問題の根っこはただそこにある。
この子たちに、現実を知らせるのは恐ろしく酷なことだ。
両者を一気に谷底へ突き落すようなものだ。

先進諸国は軍事力で破壊的暴力的にほしいものを奪い取る道をやめたかわりに、経済的民主的支援という新しい形で結局はほしいものを手に入れるという新しく、より狡猾な手段を手に入れた。
これは暴力より数段テクニックの高い方法なのだ。
なぜならやってるほうは、「~のためにやってやっているという」気分になれて気持がよく、やられているほうも「やってもらっている」というありがたい気分になれ両者とも精神的に気持ちが良いことだからだ。
資金を集めて学校を作る、何かいろいろな物を作ってあげるというのが最近はやるらしい。
これを私は「soft invadion」と呼んでしまうのだ。

それを先発諸国は「支援の手」だと思っている。
それを後発諸国も「支援の手」だと思っている。

両者がこうして手に手を取り、侵略などどこにもなく、貧しい者への支援の手という美しい姿がそこに立ち現れる。

みんなが幸せな侵略。

恐ろしいことだと思う。

そんな中から生まれてくる余剰物である芸術はこの混乱と混沌を一瞬にして説明してしまうものでなければいけない。
一瞬で説明できることがそもそもの条件だと言ってもよいのかもしれない。
えらいこっちゃなのだ。

ロマの世界の魅力は音楽だけではない。
むしろ音楽はごく一部であり、あの環境あったればこそ出た音楽が、我々の肌に合うと思うのは幻想のような気がする。
盆踊りや長唄、都々逸のに我々が持つ感情的親近感とロマにとっての自分の音楽が本来呼応するはずだ。
ロマの音楽を好きになってはいけないなどと言っているのではない。ロマの音楽を好きになる人の気がしれないなどと暴言を吐くつもりもない。
魅力的な音楽であることは無違いないのだから。(まぁそれも好き好きだと思うけど)

この音楽(あるいはどの音楽でも)が生み出された背景を考えると、結局踊りなんだなぁと思ってしまう。
あのベリーダンス的な魅惑の踊りあってこその音楽であり、音楽だけ切り抜いて日本に持ってきたところでまるでサビ抜きの寿司だ。

背景といえば、日本と大きく違うところは、「舗装されていない道路」と「家畜」の存在だ。

日本の昔田舎を思わせる懐かしい土煙の出る道と木々に囲まれて、細々とある小さな部落。
牛の引く農作機。
荷物を引く馬。
そこらじゅうを走り回る鶏のむれ。
アオッパナを垂れた子供たちはみんな誰かしらのお下がりのヨレヨレの服を着ている。
音楽が感情と直結したところにあった懐かし時代は、まるでアスファルトによって遮断されてしまったかのように、現在の日本では感情と音楽が一致しない。
少なくとも彼らの中にある原始的直結的一致は見出されにくい。
複雑化多様化なのかもしれない。
孤立阻害剥離分離なのかもしれない。
暴慢感のようなものかもしれない。
うれしいから踊らずにはいられない。
悲しいから踊るしかない。
そんな当たり前の体の動かし方ができなくなってきているのには、日本の伝統音楽からの日常分離が大きく影響しているかもしれない。
唯一残っているのが夏祭りのお囃子と盆踊りだけだ。
世界にある様々な魅惑的な音楽と踊りに比べるといささか陳腐に思えてしまうのかもしれない。いい年こいてドラえもん音頭はないだろ(すまんm(__)m兄貴)
日本でも沖縄にはまだ踊りと音楽が直結して残っている。
音楽が踊りと離別してしまったそれ以外の地域では(つまりほぼ全国的に)完全に外来勢力にのまれてしまっている。
最近はよさこいソーラン祭りなどがはやっているらしいが、日本2大祭りにタグを組ませないとどうにもならないほど日本の音楽と踊りは壊滅的な状況なのだ。

これは地域性の喪失に起因するものではないか?
全国が悪い意味で統一されてしまっているのだ。
もちろんまだまだ沢山地域特有のお祭りが残っている。
富山の風の盆などは日本を代表するセクシー盆踊りだろう。
ところが肌の露出が多いからどうにかしろなどと外部からやってきた人間が祭りに茶々を入れだす。
鬼嫁風むちゃくちゃおちょぼ口風勘違い上品型PTA人間たちだ。

この映画を見て改めて舗装されてない道と家畜の大切さを思い知ってしまった。
それは人々の感情と、音楽と、踊りをつなぐもののような気がする。

ロマの音楽に惹かれるのはその感情と音楽の直結に大いなるノスタルジーを見出すからなのではないかという気がしてならない。
とりもなおさず、それはすなわち我々が何らかのきっかけで失いつつある昔の風景を思い出すときに得るノスタルジーに似ている。

現代の日本では音楽は踊りから感情的に独立しているがゆえに、そこに新し価値が付加され始めている。
すなはち、名誉の対価としての音楽。
その音楽は踊りを必要とせず、その音楽で自分が表現できるかが重要となる。
私を見てください。どうです私。そういう類の音楽。
祝い→喜び→踊りたい→音楽がいる→楽団を雇う。
葬式→悲しみ→踊らずにはいられない→音楽がいる→楽団を雇う。
この雇用形態は日本ではもうないと言っても過言ではない。
楽団も行き場を失い結局離散し各地でワンナイトスタンド的一夜のお供的演奏を繰り返す羽目になり、それもお呼びでもないのに演奏しなくてはいけない羽目に陥るという奇怪な状況が生み出される。
お呼びがあった場合でも踊りたいから呼ばれるのではなく、物珍しもの希少価値があるものめったにお目にかかれ無いブランドバッグを見に行くようなたぐいのお呼び出しだ。
日本の音楽は大切な根幹を失いつつある。

それは客を躍らせる意欲だ。

技術の低下の原因はそこにある。とわっちはこの際言い切ってしまう。
そもそもお客さん自体が躍る気ゼロなんだから当たり前といったら当たり前だ。
なぜ踊る気がゼロになったか?
土の道と家畜と地域性の消滅が原因だ。

「世間の目」が全国に広がってしまったことが最大の問題なのだ。
昔は一部自分の周り半径1キロ圏内の世間の眼だけを気にしていればよかったのに、いまや全国の眼を無意識的に気にしながら生きている。

われわれは世界各地の魅惑的な音楽の虜になる前に、いや別になった後でも良いのだけど、自分の地域の音楽がなぜないのか、あるいはあったとして、なぜそれを好きになれ無いのか、無関心になってしまうのかをじっくり考えてみる必要があるとおもう。
その音楽はなぜ自分を揺さぶらないのか。
そして今や地域というのは日本全土に広がっていしまったので、地域の音楽というとJPOPを想像する人がいるかもしれない。
それでよいと思う。

ロマの音楽はあまりにもコユイ。
我々の抱える悲劇はコユイ音楽を生み出す土壌を知らず知らずのうちに放棄してしまっているこの体質かもしれない。

明日から後期高齢者(この言い方は何だろうと思う。中期行き後れのボンバーですけどなにか?)の年金から保険料が天引きされるらしいけど、今の日本の音楽の現状は完全に政治の状況、あるいは政治が作り出した社会の状況の鏡になっている。
知らず知らずのうちに地域が崩壊する。知己が崩壊すれば音楽もそれに伴う感情もどんどん知らず知らずのうちに崩壊する。

前回も雪の次の日だった。そして日を開けずして次のライブが決まり、なんと今回も雪の次の日だ。東京では2回しか雪は降っていないというのに。
どっちの日にも当たるという。
さすがに雨女だけあるなと我ながら感心します。

家の前の雪かきをしました。
正確に言うと隣の家の前の雪です。それは親戚の家であり、家主が車で緊急に出なければいけないかもしれないから、というわけで、引っ越しのあいさつ代わりに、お助け雪かき女になったのです。

目の前を雑巾のような汚いが横切りました。
まだ、かいていない雪の上に、小さな楕円の跡ができました。
かわいくてそこの雪だけかくことができません。
足跡を追うと、どうやらうちの庭から出てきたようであります。

家の前のある一角だけ雪が積もらない個所がありました。
地面の下に何か温かいものがあるのだろうか…?

今回の雪も重くて湿っています。少しやっただけで腰がぐっと重くなりました。
東京で雪かきをするなんてめったに出来ない体験です。
雪国の人々にとっては過酷な労働でしょうが、こっちでは何か心が微かに軽く浮き立つ小さなイベントです。

雪かきみたいなライブができたらいいなぁ。

live info
■7/29(mon)
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000


都内ツアーのスケジュール詳細
my space音楽配信
youtube風に還る日
youtubeニレの木祭り
youtubeニレの木祭り2
profile
ボンバードラミ

10月1日火曜日生まれ
天秤座 A型 寅年

職業:天職探し中
趣味:考えること
気質:ゾウ的
着物を着て、馬に乗って、作った音源を売り歩く。
そんな夢を実現するために格闘悶絶,抱腹絶倒,七転八倒三歩進んで五歩下がる日々を恥も外分もなく送る生き物。


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