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●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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10月から12月まで入っていたシノザキダイニングバーでの演奏が残念ながらお店のご都合でキャンセルとなりました。

年内ジャズの仕事がゼロ状態で~す。
残念です。
オリジナルに専心せよということかな。
飲みに参加しなくなってからというもの仕事が一切回らなくなった。
今家にしかいないんだから仕事が来るわけがなかった…。(^^;)えへへ。

ピアノがあって、ムリウイみたいな場所で演奏できたら幸せなんだけどなぁ。
ジャズのお店で小さくて暗くてタバコ臭くてっていうのはギャラもらっても行きたくなくなってきてしまった。
その点篠崎ダイニングは新しくてき、れいで、ごはんもおいしくて、空間も結構あるからたばこも気にならなくて、音響もよくて、木でできた落ち着いた建物で、条件は文句なく、完全に素晴らしかっただけに痛いですねぇ。
しかもギャラも保障されており(長嶋みたい。ギャラ=保障)ここがなくなったのは本当に残念です。
またいずれ近いうちに復活されることを心から期待します。

ギャラが保障されてない店が多すぎやしませんかね?
世の中とはそういうものなんですかね?
ギャラの保障されてる店で演奏できるようになればよいのですね。
よし。

って一軒も思い浮かばない。

その昔、店というものは、良質のジャズを置けるように、ギャラを保証する代わりに店のわがままで、好きな逸材を雇うことができた。ところがせっかくギャラを保証して逸材を用意してもお客さんが入らないのでは店は立ち行かなくなる。
店がこれだと思うものとお客が欲する事にギャップが生まれてしまっていたのだ。
つまりお酒の飲める店にジャズが流れているという空間はそもそもお客さんの求める条件から外れてきてしまっているのだ。流れててもよいけどそこにお金を払う気はない。お酒にはお金を払っても、料理やつまみや、柿ピーには金を払っても、ミュージシャンに払う金はどこにもない。
そこでミュージシャンにお客を呼ばせるようにした。逆にいうとお客の呼べる音楽だけが良い音楽であり、お客さんがいれば自然にお金は発生するものだからギャラ(保障)は必要ないという方針に大体の店が思想をシフトしていってしまった。
それなら、とミュージシャンの方でもお客さんを呼べる方呼べるほうに、自らの必要条件をシフトしてきた。綺麗な方が。MCがおっかしいほうが、親せき一同呼んだ方が。盛り上がる方が。静かな方が。癒されるほうが。

その結果生まれてきたのは店としては成立できないような店。
ミュージシャンにお客さんを呼んでもらえなくなったらたちまちつぶれるような店。
媚び方だけは異様にうまいけどジャズにならないジャズミュージシャン。
盛り上がる(どんちゃん騒ぎ)ような音楽しか弾けないミュージシャン。
聞く耳が失われたお客さん。
ますますそれが悪化の一途をたどるしかない。

店の在り方や、音楽の在り方、政治の在り方、それはすべて民度を表すものであり、民の中には間違いなく自分も含まれているわけであり。
そうなると自分の責任は何かっていうことだけど、
それはつまるところ、結局は良いお店があったとき、そのお店が良質のミュージシャンを呼びたい、抱えたい、と思った時、そのリストの中に含まれるように日々音に磨きをかけておくしかない。

そして篠崎のような良い店は、たとえば店のスタッフが一人欠けるというようなことがあっただけでも、もう同じクォリティーの物が出せなくなるならと、店を一時閉めてしまうのだ。

ジャズがジャズにサウンドするようにと日々自分を磨けば、結果的に、きれいになり(トレーニングが必要不可欠だから)、癒される音楽にも、盛り上がる音楽にもなってしまうはずだ。音楽とはそもそもそういうものじゃないよね。というわけでこれはいい機会だからまた一から出直しですね。
初心に帰るですわ。

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着付けの教室で川越散策をしました。隣にいる美しい方は、中学高校とテニスのパートナーだった友人です。
着付けを紹介して、逆に乗馬を紹介してもらったという決定的な重要人物であります。
何だかんだのお付き合いすでに20年以上。
いつも相変わらずの美しさであります。
全てにおいて人並み以上の努力をしている人だから。
こんなに美しいのです。
すごいなー。

ここは川越のお菓子横町から少し小道を入ったところに広がる不思議空間で仙人のようなおじさんが住んでいました。
写真を取ってあげるよ、と、ほぼ無理やり撮っていただいたものです。

中には長火鉢が置いてあり、縁側には猫が7,8匹おりました。
写真を撮ってくれたおじさんが呼ぶとなぜか全員勢ぞろい。
不思議なパワーを持ったおじさんでした。
 


今回は「サムライの逆襲」と、雄々しく題して
この花活けコラボを執り行いたいと思います。

■10月25日@川崎ファクトリー
http://www.owat.net/owat/index.htm
mapを参照ください。分かりやすいです。

越智泰彦:ボンバードラミ:川合リー
♪18:00~ 投げ銭

先ほど多重録音がしたい~っっっという文言を打った直後に、仕事仲間が多重録音の仕事を振ってくれました。
何という奇跡。

さらに前回とった音源を送ってくれた。
一年前くらいの自分の声の多重録音だ。
バリの美術館で流れているらしい。
バリ行ってみたいですねぇ。
何の知識もないけど、とりあえずケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャ
言ってみたところ、エンジニアの手にかかまるで完全なトランス。

またもやlittle bit of everythingな音源になっております。

これはくしくも昔わっちの演奏を聴いた友人の発したお言葉。
悲しいけどそうなんだ。
どこにも属せない。

あぁ。

ふひぃ。

ケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケ
チャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャケチャ

なんで今までここで紹介しなかったんだろねー。
さっき気付いてアップしてみました。

おそくね?


我ながら遅くね?


もう一年以上たってるし。
なんだろ。南極から帰ってきた気分だ。
もしもしかめよかめさんよ~ってか。
あれ?
それはちがうか?

こういうのを取ってくれる人がいるってすごく有難いことじゃないです?
自分じゃ取れないし。当然ながらアップすることも出来ないし。
はっはっはっ。

そんなことを言いながら今一番やりたいのは多重録音です。

誰か多重録音させてください。
してください。
とは言いながら、何度もいろんなことを試したいから結局自分でやるしかないのだわと気付き始めた今日この頃。

・・・・

遅くね?

我ながら遅くね?


なんでこんなことに今頃気づいてるのかなぁ~



こちら誠意あふれる仲間たちからの録音です。
遠くからの録音ですので録音状態がよいとは言えませぬ。


♪こちらは「行け!南ちゃん。」  制作:川崎ファクトリー
http://jp.youtube.com/watch?v=QtUOjyuuQm8

「行け!南ちゃん」は川崎ファクトリーの皆さんの活動を応援するために作った歌で、演奏をするのは基本的に川崎ファクトリーの中だけであります。
この録音はコーラスの練習風景であります。
あぁすッピン。(^^;)


♪「風に還る日」  制作:白鰯さん
http://jp.youtube.com/watch?v=lBIfLN-9Okw

「風に還る日」は中目黒楽屋での演奏でお客さんの白鰯さんが撮ってくださったものです。言わずと知れた(言わないとわからないかもしれないけど)ボンバーの代表曲であります。

世の中には呼吸が深い種類の人と、浅い種類の人がいる。
ざっくり言うとこの二種類しかいない。
色で分けるのはもう古いのだ。
中にはとってもとってもとっても深い人やら、超超超浅いひとなどもいる。
この花活け師のREEさんに限って言えば確実にものすごくディープなところで息をしているとしか思えない。

彼女からさらに花の追加の文が送られてきた。
彼女は自らが活け、さらにそれを撮ることができるから、表現としても完結している。
シンプルに研ぎ澄まされて。
さすがなのであります。

ごちゃごちゃ能書き垂れるより一見は百書きにしかずなのである。

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■10月25日@川崎ファクトリー
http://www.owat.net/owat/index.htm
mapを参照ください。分かりやすいです。

【GradationPocket-1】ボンバードラミ(vo;pf)越智泰彦(eb)
超スペシャルゲスト:川合リー(花活け師)
♪17:30スタート 投げ銭です。
♪何とも久しぶりの天才花活け師川合リーさんとの久々コラボです。

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色々なことがつながり始めてなかなか見逃せない日々であります。
それはアルバイトを始めたということから起こっているといっても過言ではありません。

今までに使わない方向から脳みそが刺激されるというとても素敵な展開。


活性化活性化。


というわけで
朝から昼過ぎまではストレッチ、ボイトレ、トレーニング、練習、譜面書き、創作など。
脳の勢いの良いうちにやりたいことはすべて終わらせる。
そして新しい副都心線に乗って、4時の渋谷。
セルリアンタワーの近くにバイトに行くのです。
タワー内のセブンイレブンでおいしい水を買って、ぐびりとやりつつ、渋谷の閑静な住宅街、南平台付近にある会社に出勤。

というわけで、是非とも避けて通っていた渋谷付近に、いまだかつてないくらい接近中。
出勤する付近は閑静な住宅街だったのがせめてもの救いであります。

8時に退社。
徒歩5分の所にあるスポーツジムで10時半までみっちりプール大作戦。
ここでプールとサウナとお風呂を借りて腰の痛いのをほぐしてから帰ります。
帰りがけまたセルリアンセブンでお水を買って飲みます。
ドイツの天然水で硬くて味がよく出ておいしい水です。

で、帰ったらドタンバタンキュゥ~。と沈没的睡眠。

バイトのない日は夕方に馬に乗りに行く。
こうして、ほぼ完璧なるティーンを作りつつあります。

そしてルティーンを作って気付いた。

「あれ?演奏の日はどこに?」

あまりにも本末が大転倒でおかしくなっちゃいました。

ぷぷぷ。

何のためのトレーニング?
何のための乗馬?
何のためのバイト?
何のためのリハビリ?

はっはっはっ!!!

それにしてもこの感じは何やらとても懐かしい。
どうやら昔々のアメリカ時代の小学校の頃、家のガレージの前の道(私道)の上に、段ボールを横向きにおいて、その中に入って観音開きのようにふたを開いて外の景色を見ながら、雨のにおいを嗅ぎつつ、本を読んだ頃を思い出すのだ。(江戸川乱歩とかアガサクリスティーとか、そういえば当時は探偵ものやSFものが好きだった。)

とっても親密で濃厚な個人の時間を満喫しているようであります。

■9/7(sun)祖師谷大蔵 muriwui cafe ♪18:30~ 投げ銭
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
【Gradation pocket-1】
ボンバードラミ(vo;key)越智泰彦(eb)


■9/27(sat)海老名vinawalk ♪14:00~ ♪16:00~ 各30分 無料 
vinawalk5番館中央1階ビナステップ
http://www.atem-music.com/vwmd/
益田英生(cl)佐久間優子(pf)田嶋真佐雄(b)金井塚秀洋(ds)bombar(vo)

■9/27(sat)篠崎 ダイニング 
♪20:00~ 投げ銭 (¥1500one drink食事←かなりおいしい)
http://www.shinozaki-dining.com/
【益田英生swing tro +bombar】
益田英生(cl)佐久間優子(pf)田嶋真佐雄(cb)bombar(vo)

益田英生(cl)http://www.k3.dion.ne.jp/~clarinet/index.html
佐久間優子(pf)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yuko_sakuma/
田嶋真佐雄(cb)
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/9780/top.html
思うように何かを表現するのは難しい。
うまくいくと良いなと思うものの、そうならない方が圧倒的に多い。
それでも少しずつ何かが出てくれればそれは大したことだと思う。
“何か”とは何だ?という基本的な問題はあるが、それが何だか分かっていたなら、もう大して面白いということもないから、あえて出そうと、もがく必要もないのだろう。

そのようにして(どのようにして?)少しずつはぐくまれる「何か」を大切に見守る感じは庭いじりと似ているのかもしれない。いじくったこと無いからわからないけど。
自分にしかわからない小さな変化の発見が、やがて誰にでもわかるくらいの庭を育て上げてゆく。

変化とはとても小さいものだから、毎日は只だらだらと意味もなく過ぎ去ってしまうようで。
いらだちがあり、焦りがあり、どうにもならない気持ちがぐわーぅっと積み重なってそうなってくるともうただむやみに混乱してゆくしかない。

それをなだめ、落ち着かせ、癒してくれるのは結局小さな発見と変化の連続なのだ。

ここにあるのは小さな発見とその記録であります。

くそったれ~っ!!また全部消えた~っ!!!!

■8/6(wed) 中目黒 楽屋  ♪19:30~ ♪21:00~ 
http://www.rakuya.net/
【Gradation Pocket-1】
ボンバードラミ(vo:pf)越智泰彦(eb)

8/20(wed)吉祥寺 manda-la 2 ♪20:00~ ¥2000
http://www.mandala.gr.jp/man2.html
【Gradation Pocket-1】
ボンバードラミ(vo:pf)越智泰彦(eb)

8/29(fri)篠崎 ダイニングバー ♪20:00~ 投げ銭
http://www.shinozaki-dining.com/
【益田英生TRIO meets bombar】
益田英生(cl)塩川俊彦(gt)川本悠自(cb)bombar(vo)

8/31(sun)祖師谷大蔵 muriwui cafe ♪18:30~ 投げ銭
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
ボンナミ】
bombar(vo)namihey(vo)愛川聡(gt)

❤益田英生(cl)
http://www.k3.dion.ne.jp/~clarinet/
❤塩川俊彦(gt)
http://www.geocities.jp/shiotoshiguitar/
❤川本悠自(cb)
http://sound.jp/yujik/
❤namihey(vo)
http://blog.namiheysound.com/
❤愛川聡(gt)
http://homepage2.nifty.com/spiritual-rebirth/

7/17(thu)大塚 DONFAN
【西尾健一カルテット】
西尾健一:Tp 関根彰良:gt 奥村和彦:pf 吉木 稔:cb 伊藤宏樹:ds+bombar(vo)

http://www009.upp.so-net.ne.jp/donfan/

♪20:00~20:30の間にスタート。


先日の演奏の続きをさせてもらえることになりました。
場所も同じです。

ありがてーことですね。

最近は呼んでもらう以外ほとんど演奏をしていないうえに、ほとんど一歩も家からも出ないので、(乗馬センターや散歩コースをのぞく)友達というありがたい存在をかえりみることがなくなっておりました。

先日も演奏当日にさすがに誰にも電話をしないのはまずいだろうと思い、携帯のアドレスを見てみると、9割がミュージシャンだった。
あとの1割の友人関係のほとんどは1年以上連絡もしていないようなすっかりご無沙汰の仲間であり、久々に電話をしてみれば番号はもう使われておりません・・・(TT)完全に友達ラインから外れてしまっているのだなぁとしみじみわが人生における友人関係の希薄さを思い知るのでありました。

酒を飲まなくなってから外出はほとんどなくなった。
たばこもやめたから煙い場所にはいかなくなった。
それだけのことであったのだ。

暴飲暴食暴吸い暴乱暴性欲ありとあらゆるボンバー的弾け成分が今やなりを潜めてしまっているのでありました。
昔のように、毎日2箱のたばこを吸い、一升瓶を開けて、どこだかわからないところで、だれかもわからない人と朝を迎え、そのまま出勤して会社のトイレでずーっと血反吐を吐いていたころがしみじみと懐かしい。

その頃周りにいた友達たちは結局のところ音楽仲間であり、今や仕事仲間として一線おいて付き合っている。

家から一歩も出ないと生音楽好きな友人をつくるのは実は難しい。
この1週間の課題は友達をつくるだったのに、結局友人はおろか、やはり家から一歩も出ない生活を送ってしまった。
友達をつくるって想像以上に大変です。
それ以上に今いる友達との縁を途切れさせず細々とでも長く続けるのが今後の人生の課題であります。

だから結局呼んでもらえるのはありがてーし、そこで人に会えるのもなんだか気恥しくも嬉しく、ついポッとなってしまうんす。
家でこもってやっていることは結局こういう場で試させてもらう以外にその成果を発見することはできないもんであり、そんなの他人からすれば関係のないことだろうから、一人でも人がいればなんだか奇跡的だなぁと感動してしまう。
それが友人知人でなく、全く音楽だけのつながりの人がいたりすると新の底から嬉しくなるのです。

最近そういう人が一人、二人、とちらほらいてくれてそれがわっちの心の支えです。

呼んでくれるのも有難し、来てくれるのはこれまたもっと有難しであり、日々奇跡の中で生かされているわが身の幸せを噛みしめ中です。

ごぎゃりごあhぅdhごうがおふhぐrhfdsじょんヴぉ。

 

自分が走っているかどうかは隣の車を見ないとわからない。
隣の車が自分より速く走っていれば当然自分は遅くなり、よもや230キロなどという狂気の速さで走っていたとしても、隣の人が240キロで走れば当然自分のほうが遅いと感じてしまうことになる。
いい感じでアンサンブルする時は自分も相手も同じスピードなため止まって見えるというような現象が起きる。
故に何も気にならなくなる。アクセルを踏んでいることさえ忘れてしまうくらいだ。
バックが走っていると感じるとき、それは相手が早のではなく自分が遅いのかもしれない。
ばっくがもたついて聞こえるときそれは自分が先走っているだけなのかもしれない。
拘束は直線運動だけど、音楽はもう少し重力を直接受ける円運動に近いかもしれない。
たとえばそれはお父さんが子供の手を掴んでくるくる回る時のような感じかもしれない。
たとえばそれはアイススケートのデュエットの時の男子が手だけで女性を支えて女性が下の方でほとんど寝そべりながら地面すれすれに円運動する時の感じかもしれない。
たとえばそれは馬に乗って駆け足をする時のお尻と鞍と馬の背中の塩梅かもしれない。
たとえばそれは着物を着るときの巻き込み具合かもしれない。

バランスバランス。
ちょうどいいところ引っ張りすぎずひっぱらなすぎず、押しすぎずおさなすぎず。
均衡が破れると運動に決壊が生じる。
赤ちゃんは落っこちて女性は地面をダダすべり、落馬し、着物はだらっとしてしまう。

どこがバランスポイントなのか、赤ちゃんがすっ飛ばずい感じで気持ちよくクルクル出来るところ。

それは一人で探せるものなのか?

相手あってのクルクルじゃないの?

赤ちゃんだけでくるくるは出来ないもんね。
赤ちゃんとおとうはやはりセットになっている。

そう考えると自分の演奏時の印象と実際出ている音の間にはものすごい隔たりがあるということも理解できる。
自分が遅いと感じててもそれは相手が速まって行った結果の遅いでしかない場合もある。逆もある。
不思議なのだ。
マジカル

せっかくあと少しってところで全部消えた
また書き直しっ
き~っ

■7/10(thu)@大塚DONFAN
http://www009.upp.so-net.ne.jp/donfan/
jazz
西尾健一(tp)関根彰良(gt)斎藤良(perc)bombar(vo)
♪8:00~8:30の間に始まります。2セット。

■7/12(sat)@祖師谷大蔵MURIWUI CAFE
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
orijinal
越智泰彦(eb)bombar(vo:KEY)スーパーゲスト:ナミヘイ(VO:KEY)
♪7:00~投げ銭 

今のところスペシャルゲストにナミヘイ君を予定していますがテクニカルディフィカルティーがあるので(ボーカル二人とベース?アホか?)どうなるかはまだ未定。

と思いましたがマスターのひとこと、「キーボード持ってくれば?」により、この問題はあっさり解決。

ナミヘイくんを迎え、お互いのオリジナルをやりまくり。ハモッてみたり、曲を交換してみたり、色々いじくりを入れました。
■7/17

(thu)【西尾
健一Group】
@大塚ドンファン
西尾健一:Tp関根彰良:G奥村和彦:P吉木 稔:B伊藤宏樹:D+ bombar(vo)

http://www009.upp.so-net.ne.jp/donfan/
♪20:00~20:30の間にスタート。

■7/25(fri)@篠崎DINNING BAR
http://www.shinozaki-dining.com/
swing jazz
益田英生(cl)塩川俊彦(gt)川本悠自(cb)bombar(vo)
♪8:00~と9:30からの2セット。

関連の皆様のhp&blog

❤西尾健一(tp)
http://240.bakufu.org/
❤関根彰良(gt)
http://music.geocities.jp/akira_sekine_jp/
❤斎藤良(perc)
http://minomusic.com/cosmic77/
❤益田英生(cl)
http://www.k3.dion.ne.jp/~clarinet/
❤塩川俊彦(gt)
http://www.geocities.jp/shiotoshiguitar/
❤川本悠自(cb)
http://sound.jp/yujik/

先日から都内のあちらこちらで、難民フェスタというイベントがはじまり、関連映画がただで上映になっている。

オープニング映画の“WAR DANCE”をみた。

ウガンダでは北部の反政府組織の活動が激化。
そんな中でダンスと音楽で全国大会を狙う難民キャンプの少年少女の日常を追ったドキュメンタリーだ。
木琴に取り組む少年は毎日重い木琴を一人で担いで茂みの中で練習している。
向うの木琴はボロボロの木でできていて、それぞれのパーツが紐でやんわり括られているだけなので一人で片手で持ちあげていると、すぐにパーツがポロポロこぼれてしまうのだ。
練習に行くたびに懲りずにパーツを落としてしまう少年が何ともいえずにかわいいのだ。
そんな不器用な少年だけど、いざ木琴を弾いたら怖いくらいにうまいのだ。
本人もちゃんとやらないとおれの楽器がリードするんだから他の皆に迷惑をかけてはならん。などとまるで日本人のようなことをいう。

日本人は手先は器用だがこの少年のように木琴を弾くことはできない。
この少年はうまく木琴を持ち運ぶことはできないけど、演奏はばっちりなのだ。

人類はアフリカから始まっているっていうならもう少し彼らの根幹がばっちりしている部分を我々も受け継いでいたかった。
世界に人間が分布していく過程で、色が抜けおち、根幹、芯が抜けおち、先端が器用になっていくという進化を遂げたのかもしれない。
逆に、この子たちには小さな折り紙で鶴を折るというようなことは出来ないのだ。

全国大会で勝って真新しい木琴をもらった少年の誇らしい顔。
その木琴を学校に寄付する優しい少年。
この少年は内乱のさなか、無理やり反乱軍に命令されて道端の農夫を斧で殺した。
「やらなかったらお前を殺す。」

「やらなかったらお前を殺す。」



可愛い少年よ。

可哀想な人のなにが可哀想って自分の可哀想さ加減に気付いていないということです。
最近ソクラテスの「無知の知」という言葉の意味が一段深い意味にとれるようになりました。

「無知の知」

己の無知と向き合った時はじめて人は「知」を得る。

そらそうや。言葉でこれを理解することはたやすい。
ところが人のすごいことは己の無知を知っていると思い込むところなのだ。

私は無知ですよ。

どれだけ無知なのかを知ることは無知な自分には出来ないというのが本当なんですよ。
他人の言葉が己の無知の鏡。
それも自分が無知ではないという思い込みが強ければ曇ってしまう。
向き合うことはたやすくない。

痛い。

傷つく。

反発。

それでも受け入れて変わりたいと思うのは、今、登っている山がエベレストだと思い込んで小さな丘を息巻いて登るのは滑稽だからではないですか。

これで一番可哀想なのは結局自分なんです。
こう書きながらここにはジレンマが。
自分こそまさにその一番可哀想な人なんじゃないか。
その妄念は常に堂々巡りの波のようにやってくる。
やればやるほど無知のレベルが膨らんでいく。
無知はブラックホールのように増殖する。

無知と打つたびにまず「鞭」が出てくるのが笑える。(馬用語^^;)
馬に乗り馬から様々なことを教えてもらう日々が続きます。
馬の教えてくれることは緊張と緩和、感覚的バランス、集中力、姿勢。
彼らほどタイミング良くいろんなことを教えてくれるものはない。
待ったなし。

答えのない一瞬のバランス。


馬好きのやることの一つに、馬の出ている映画をすべて見ようとする行為がある。あせあせ 
もれなくわっちもその一人だ。

今回はついに「NATIONAL VELVET」というエリザベステイラーがまた12歳くらいの時のクラシック馬物語を発見。

今まで見た馬物語の中で文句なく一番だった!!!

エリザベステイラー乗馬技術やばい!スタントほぼ使わず!!
さらにかわいいことかわいいこと。
それに演技力も少女とは思えぬ。

ここに出てくるご両親がまたいい味を出しているのです。
さらに彼女の姉の役で出ている女性がどう見ても「ジェシカおばさん」の若かりし頃に見える。ジェシカおばさんの事件簿?そういうおばはん探偵ものがわっちが高校時代に流れててNHKでね。

カラーの画面の感じは大草原の小さな家のようでもあり、宮崎駿のアニメを思い出すような部分もあった。
妙にノスタルジーを感じるのは段差が多いのと家の中心に暖炉とか階段があるからかな?

いやいや馬好きならずとも、大草原好きにも、宮崎アニメ好きにも、お勧めです。
こんなに前篇通して馬が出てきて、しかも違和感もなくストーリーも練りこまれている馬映画はなかなかないです。

「シービスケット」も「夢ドリーマー」も「モンタナの風に吹かれて」も「すべての素晴らし馬」も見た私が言うのだから間違いございません!!!

オンラインツタヤで送料込みで1000円でした。

買っちゃいました。毎日見たい気分です。ハート達(複数ハート)

エリザベス障害飛びまくりです。
教本に乗っていた昔のイギリスの飛び方なんだなぁこれと思いながら見ました。
前傾しないでむしろ後ろに体重があるんだよね。
でもすごくスムースできれい。

うっとりですよん。指でOK

先日一週間ぶりに着付けに行った。
来週は勉強会なる名のもとに3時間の正座をするという罰ゲームが待っている。
3分も持たないのにどうしてくれよう。

生徒たち各々指定の季節の着物を着て、それを先生が色々説明してくれるのだ。
着物は季節とシチュエーションと年齢と体型によって微妙に異なった着付けろする。
わっちの担当は真夏の着物ということで、黒いバックに小さなお魚さんがたくさん泳いでいるという涼しげな絹芭蕉のシャの着物に、クリーム色のシャの帯で石榴の模様のついたものを着ることになった。

紗には紗、絽には絽という合わせが妥当らしい。
決して色が合うからとか柄が合うからという理由ではずしてはならない。
もっともっと厳密にいうなら柄も色も季節によってある程度限定的なる。シチュエーションが柄や色を決定してしまう場合もある。

先生の昨日の一言。
「こういう事を覚えて“わきまえれば”ああいう事件は起きないのよ。」

日本には、想像はるかに超える、古より伝わる約束事が沢山ある。
それらの約束事は隣人や周りの人々と円滑に、失礼のないように、気持ち良く過ごすために、長い時間をかけて編み出されたものであって、決して時代遅れの意味のない古臭いしきたりなのではない。古の人の知恵の結晶なのだ。

「躾」

字がすごいではない!
身を美しく保つものが躾、美しく見せるのが躾。
すべては不躾の仕業だったのかも!

いつからか躾は親から怒鳴り怒られながらされる調教のようなものに変貌してしまった。
躾をすべき親が躾の意味を理解していない、あるいは履き違えてしまったのがそもそもの原因ではないか?

調教としつけでは意味が全然違うし、立ち位置が全然違うではないか。
「調教」は完全な上から目線による押しつけであり(馬の調教はまた意味が違う。外国では日本より階級意識がはるかに進んでいる、というか徹底している。馬などはそもそも低いのだ。低いからと言ってそれを差別しないのが向こうのやり方なのだ。低いけど、低いから寄り添う。大切にする。)
「躾」は美しくありたいという本人の自覚を促すもので、寄り添っていなければこれは出来ない。最終的には本人の自発的な努力次第というところがある。親はこうしたほうが美しく見えるという模範を子供に常に示す。(馬を調教することはできても躾ることはできない。自覚がないからだ。自覚は無いけどやつらは美しいのだ、もともと。)
着付けなどでは古い習慣をいまだに大切にしている。
入り口で挨拶をすると、次の間の控え室に荷物を置き、もうひと足袋先生に声をかけて入口の襖を開けてそこで一礼。立って中に入り後ろの戸を閉めて正座しなおしてから改めて先生に一礼。お中元もお歳暮もある。お金の下には台というものを入れる。お金だけをいきなりぼことっお渡しするのは失礼だからだ。

こういうことをあの秋葉少年は知っているだろうか?
知らないだろうな。

なぜって原因は戦争だと思いますね。

躾とかごちゃごちゃ言ってる場合ではなかった時代があった。
その頃子供だった人はいまだに、ものすごい不躾だし無礼だなと感じることが多い。電車の割り込みから、しゃべり方から、考え方(何も考えてないというのがその考え方だけど)、我先に、むき出しの欲望。
そういう人を見るたびに戦争の残した痕跡は現代にもむき出しにあるよなと思う。
そうしなければ生きていけなかった人たち。
でそんな人たちに育てられた子供の子供が今の我々世代だ。

躾なんかはお前がやっとけ、会社で稼いてやってるんだこっちは!誰のおかげで食えてると思ってるんだ!
こういう余裕が全くなく、不躾な大人が大量に生まれる。
そのもとで育った子供たちにちゃんとしろというのは酷な話だ。

こんな不躾な大人を生み出した最大の理由はやはり戦争による過去からの一時的分断と圧倒的な速さでのアメリカの流入であったろうと思う。
しかもアメリカの悪いところばっかりが輸入されている。
躾という文化が寸断されたところにアメリカ的合理主義的コンビニイズムが雪崩れ込んできたのだ。

「面倒臭くなる」

いちいち盆暮れに中元だの歳暮だのってめんどくせ。
箸の上げ下ろし置き方ごちゃごちゃ色々うるせ。
めんどくせーからフォークとスプーンで食うわ。
食事作るのめんどくさい。
外食外食。
面倒くさがらず一日を過ごすのは実は相当な努力を要する。
毎日続ける。季節の変化を読みながら、洋服を入れ替え、選択掃除をし、周囲を気遣いながら。
米は藁で焚く。風呂は薪で。洗濯は板で。
当たり前のようにそうしてきた。
超エコ人間昔の日本人。

頭が下がる~っ。

うちの猫さんは何とか持ちなおしています。

発作は計5回くらいはあったのですが、テルミーという民間療法の煙を毎日のようにかけてやると次第におさまり、食欲も出て、なんと体重が増えました。

知人で犬が同じことになったという人に聞いたら、最初の発作から5年は生きたと言っていました。
さすがにそれは無理だと思うけど、もうそろそろなんだなと気持ちの準備をさせてくれているみたいでひたすらありがてえことであります。

暑い日や寒い日が交互にきてオカシイねと思ったら今度は地震まで来た。地域の皆様は不安な夜をお過ごしであろう。なんかねぎらいの歌をみんなで手をつないで歌いたい気分です。
歌ってそういう時のためにあるんでないでしたっけね?眠れぬ夜にみんなで手に手を取って。
ライブハウスや店にこもって限定的な人の前でやることにものすごい違和感を覚える最近であります。前から違和感はずっとあるけどこのところ特に世界では天変地異が頻発し、特に、それどころではないという雰囲気が漂い始めています。
今こそまさに歌の力が発揮されるときという時になぜ・・・。

この間の住民運動で歌わせてもらった時もそうだけど、とにかくこちとら、何かの役に立って歌ってないとやっぱり気持ちが悪い。役に立つかどうかもわからないのだけれど、先方に要求があってそれに答える、あるいは、答えようとするために演奏する。こうでないとおさまりが悪い。決まりが悪い。気持ちが悪い。
それがジャズ喫茶だろうがチャリティーコンサートだろうが慰問だろうが。
だから好きなことをやって良し、という箱貸しのお店に、自ら志願して出向いて出演する時は自己矛盾の限界点臨界点超えであります。
お店の方針がたまたま「好きなことやって良し」でお店が呼んでくれているならそれは胸をなでおろす状況なのですけど。

演奏者がカラオケに行かないのと同じ原理じゃないかと思う。
乗馬センターの指導員がわざわざ休日に金払って馬に乗りにいかないのとおなじだと思います。
けれど指導員でも金を払って乗りに行きたいときが全くないわけではない。それは指導者が生徒になれるくらいレベルの高い講義が行われている所に行く時だろう。

それはわっちの場合オリジナルをやるときとジャズを学ぶときです。
オリジナルが稚拙なのは間違いないんだけど、2、3年これに取り組むうちに、初めてどうやりたいかとか色々見えて来たのです。それをジャズにフィードバックさせるとまた違う側面がジャズから還ってきてオリジナルを刺激してくれる。
先生級の演奏家が、しかもわっちの知らないうちにひょいひょいとどうやら舵取りを裏の裏の裏あたりでしてくれているみたいなんです。
それがどれだけ大変な事か。
他人の演奏で気に入らないところなんて、あっという間に見つかるし、一端見つかったら気になってしょうがなく、故にもう一緒に演奏できないなんてことにすぐなる。
その原理で行くと、先生級の人は誰とも演奏できない。
ところが先生級の人は違う。
対象が気付けるくらいの疑問を、それに向かって葛藤できるくらいの小石をポンと投げいれてくる。
で、知らず知らずのうちにこっちはその小石と格闘して、ふと気付くと様々な問題が変質していることに気付く。
問題はクリアーされるのではなく変質するのだと最近つくづく思います。
point of view(視点)が変わることなんです。
別の角度から見ると同じ問題は全く違う様相を呈している物であり、
さらにその日の天候(空間)や、自分の年齢や(時間)、気分(感覚)などによっても視点が勝手に変わっていく。
このあたりは着付けも乗馬も全部一緒で奥が深くて面白いのです。
で先生はそれを見てまた勝手に面白がる。


けど今のわっちの演奏生活の状況は

そう

たとえて言うなら

超高性能のシャベルをつくる奥深さが面白いからと、シャベルづくりにのめりこむ反面、掘るべき土がないやるせなさを同時に噛みしめる感じに近い。
着付けや乗馬はシャベルを磨いてりゃよい。
奥深い。
楽しい。
面白い。
以上。
しかし演奏は掘るべき土があって初めて成立する。
完璧に磨きあがったどんな硬い土をもものともしないシャベルも、家に飾られているだけでは宝の完全持ち腐れ状態である。
だからといって、性能を試すために庭の土を掘って、確かに素晴らし性能を確認できたからと言って何の意味があろうか?
このシャベルを必要としてくれる所へ行って、あるいはここは掘り返すべきだと思えるところへ自ら足を向けてがっつり掘ってこそ、初めてそのシャベルの効力というものが発揮されたと言えるのではないか?

そもそもこのシャベルはまだ土を掘れる段階に無いだろうなんてついマイナス思考になってしまう。

スポンサーもいないからシャベルの宣伝が全くされてない。

問題は山積中。

しかして、もう一方では

ごちゃごちゃ言ってんじゃねー!!!

掘れなきゃ、んなシャベルはとっとと捨てて素手で掘りやがれ!

という声が聞こえてくる。
猫さんや地震や様々な天変地異が最近そう訴えかけてくる。
もう時間はあまり残されていないのかもしれない。
地球規模的な意味合いで。

もし新たな生物が天から降ってきたとしても、もうあんまり驚かない気がする。そのくらい世界は悲痛な雪崩を起こし始めている気がする。
ドミノに触れちゃった感じか。

ざわつくものがある。
ひりひりするものがる。

気持ちわりーです。

 長年(22年)連れ添った猫さんが、人生最後の戦いに挑み中。
痙攣発作を毎日繰り返しています。(T_T)
手足をばたつかせそこら中に放尿。バスタオルで包んでもなかなか力を押さえ込めない。
人生のほとんどを共に過ごした相棒だから最期だけは、何とか看取りたいな。
煙り民間療法が何とか今の所調子よく効いています。
猫さんとの奮闘が、あと何日続くのか、何年続くのかわからないけどわっちも粘るのだ。
o(><)o

■6/19@西荻窪 "サンジャック"
http://pomkn.cocolog-nifty.com/kikaku/
開場 18:30 開演 19:30  
○ 会  費   2,500円+ワンドリンク
【GradationPocket-1+1】
ボンバードラミ(vo;pf)越智泰彦(eb) super special guest 関根彰良(gt)


■6/28@篠崎 "シノザキダイニングバー"
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13031979/
【swingjazz meets bombar】
益田英生(cl;bandmaster)田嶋真佐雄(b)塩川俊彦(gt)bombar(vo)

メンバーに変更があるかもしれません。
バンマス益田さんは変わりませんけど。
ものすごいswingjazzマスターです。
初めて会った時スウィングしてたけど、この間久々に会ったらますますスウィングしてました。一貫している人の力強さってこういうこと。
なんで呼んでくれるんだろうっていうことが一番不思議ですが、スイング以外のエッセンスを入れたいと思っていらっしゃるのかもしれません。
若手スイングを代表するクラリネット奏者です。
聴いてて、いつまでも気持ちが良い、破たんしない。
美しい花を見ているような気分になります。本人はそう思ってないだろうけど、なんでこんなに完ぺきなんだろう。
ソロも書き譜みたいです。書き譜みたいって事がどんなにすごい事かっていうのはたぶん将棋の指してみたいに何百手も先を読みながら事態を進行させることができるからだと思います。わっちもアドリブ取りますが一寸先は闇です。

久々の青い部屋。
シャンソン歌手戸川昌子さんの箱です。

東京漂流。


もう何年漂流してしまっただろう。


漂流とか暗躍とか
後ろ向きだなー我ながら。

そろそろ旅をしてすかっとしたいなぁ。

っつってもどうせ晴れないんだなぁ。

どうせ晴れないなら、ロンドンにでも行けばよいね。
あそこは基本晴れてないんだから。
それかこの性質を利用して渇水中の国に行くのもよいね。
せっかくだから人助け。
なんつってー。

moonというまだ若い平成17年生まれのハフリンガーという種類の馬とのこと。
http://www.arfarm.net/ARF_Moon.html

悔しくて泣くというのはよくあるが、感動のあまり泣くというのは今回が始めてでこれはまさに記念すべき日であった。

馬の性格は色々だ。人懐っこいのから、警戒心が強いのまで様々であ。
馬の数だけ性格がある。
しかし「乗馬」と区切った場合、馬には3種類の性格がある。

1)馬も人も複数で先生がいる場合の馬。
2)馬が一頭で人と先生がいる場合の馬。
3)馬と人一対で先生もいない場合の馬。

馬は関係性によって動く動物である。
他の馬も動くなら自分も動く、というように流されやすい性質を本能的に持っているのである。
最初通った乗馬センターでは1)しか体験できない。
これで馬が動かせるようになったと思うのは完全な思い込みであると3)をするようになって気付くのだ。
最近通い始めたクラブでは、広い馬場で馬とわっちだけで放置されるという試練を体験している。
合図がはっきりしていないと、騎座がしっかりしていないと、馬に何も伝わらないと知る。
初めのうちは、蹄跡(轍)に馬を出すことさえできず、馬場の真中で馬に「ぼーっ」っとされてしまう。

出来るならいつまでも寝ていたい、というのも愛すべき馬の本能の一つだ。

先生がいるというのも馬との直接のコミュニケーションをとる上では障害になるようだ。
先生がいると騎乗者と馬が両方同時に先生に調教される。
馬も騎乗者も常に先生のほうに全神経を傾けているため、自分の力量以上のことができてしまうのだ。
馬も「やべっ!いうこときかなきゃ怒られる!!」
と思うから、先生が声を上げると
「やりますやりますやりますっ!」
あからさまに動きがよくなる。

一対で乗ると、馬がわっちに完全に注目しており、わっちも馬に完璧な指示を送ってやらないとだめなのだ。

常に馬に語りかける。
「よしじゃぁまずはナミアシね。」
こうしてしばらくウォームアップをしながら、
「んじゃ、軽速足してみよ?」
と促す。
出来たら止めて、「よしよし~よくできたよね~すごいなぁ」
とほめる。
「もう一回やってみる?」
でやれたらまたほめる。
逆回りもしてみる。
褒める。
途中で小さな円を描くような図形運動を入れてみる。
出来たら常に褒める!!!

こんなの簡単じゃん?
と思われるかもしれない。
しかし、馬場の真ん中で「ぼーっ」、から始まってここまでの道のりは決して平たんではない。

先生や他の馬がいればいともたやすく出来る運動が一対になると信じられないくらい大変なのだ。

この日初めてmoonを通して、馬が人とコンタクトを取ろうとしているという当たり前のことを実感した。
「もう一回やってみよか?」
の問いに嬉々として、「やるやるやる~。」
と動いてくれる時の想像を超えた喜びと感動。

今までも乗馬にハマっていると思っていたが、乗馬にハマるとはこういうことなんだと改めてハマりなおしてしまった。

今回は大学の同級生を紹介しようと思う。

大学から付き合いを続けている友達は二人しかおらず、今回のはそのうちの一人だ。
この朋友の面白さは、上記にもあるようにいくつもの肩書きを同時並列的に有することのできる能力である。

この友人に突き当たる度に、長期記憶と短期記憶のことを思い出す。
図ったわけでは無いからわからないが、短期記憶までしか到達せず消えてしまうであろう記憶を長期に移行させるコツを自然に、無意識的に、この人は身に付けている可能性がある。
何かを記憶させるために書く、声に出す、それ以外にも、色々な周りの状況や環境と連動させながら覚えていく。
これの達人のような気がする。
さらにそれを猿にでもわかるくらいの分かりやすい言葉に置きなおし、人に伝えるのがとてもうまい。
これは大学の頃からの彼女の特性であるから、おそらくはもっと小さいころから培われたものに違いない。

コミュニケーションの達人なのだ。

最近は言葉をまだ持たない赤ちゃんと様々なコミュニケーションを行っている。我々が日々メディアから与えられる「母親幼児を虐待する」のニュースは局所的であり、ちゃんとやればこうなるというモデルケースを示してくれている。

着付けの師匠であり、言語学者でもある。
言語学者というと本人は顔を赤らめるかもしれない。
今はまだ様々なことに興味が尽きず探究心だけでそれで飯を食っているとい状況ではないかもしれない。
それでも予測だけで新し言語を使って他国の人とコミュニケーションを成立させてしまったりするのだからやはり言語学の達人としか言いようがない。

今回はこの人を紹介してみようと思う。

で、この間彼女の家で何について話し合おうかと相談したのだが、ついつい脱線し、いまだテーマを絞り込んでいない。
何か聞いてみたいことがあったらぜひ質問を寄せてもらいたい。
率直な。

家のPCが壊れてしまったそうでこれをどういう形で軽視するかもまだ決まっていない。前回のような返信の応酬という手法は今回は使えないのだ。
そんなわけで早くもどん詰まり状態だが、この面白人間をなんとか今回は紹介してみたいと思う。

ひょっとすると一年がかりかもしれない。

ゆるりといってみよ。

遊びと脱線と実験の人生を送っている。

結婚して子供をもうけ、それに伴う様々な仕事に従事する人は世の中にはたくさんいる。
それをしながら音楽をしていく人生もあろう。
音楽だけを人生の中心に配して生きる人もいる。
それぞれのスタンス。それぞれの許容量。それぞれの広がり。
子供を産んで音楽が良くなるケースは多々ある。
特に母親は子供を産むことでシナプスの働きが実際によくなるという研究結果もあり、他の仕事をずいぶんと大量にこなせるようになるらしい。
子供を産んだら時間がなくなって音楽ができなくなるというような心配はみじんもないのだ。
だからわっちだっていつ産んだっていいのだ。
相手さえいればっはっはっ(^^;)

音楽だけを考えて生きているという人は実際は少ないのではないか?
音楽というアスペクトは、リズムメロディーハーモニーを骨格としていたとしても、さらに様々な肉を自然に付帯する。
良い肉を良い骨の周りに配するためには自分の仕事をどう理解するかということが非常に重要になり、またそれによって日々のトレーニングの姿勢などが変わる。

ボーカルの仕事とは何か。
歌の仕事とは何だろう。
ジャズボーカルの仕事とは何だろう。

この3つが違う質問だということが意外と知られていない。
この3つの質問ではそれぞれ違うことが聞かれており、よって答えも当然変わってくるのだ。

わっちはこれに正確に答えられる自信がない。

ボーカルの仕事は、
現場を色々な意味で華やかにすることであり、お客様と音楽の距離を簡易に近づける役割を果たすものである。

歌の仕事は、
曲のテーマや主旋律を歌う限りにおいては、他の楽器に先立ち、この曲はこのように流れてゆくのだというテーゼを明確に打ち出し、他の楽器をそれに従わせ曲の真意がお客様にブレズに伝わるような力を身につけることである。

ジャズシンガーの仕事は、
上記を満たした上で、それがジャズに聞こえるようにするというのが仕事だ。

こんな感じかもしれない。

そうではないかもしれない。

いずれにしてもしっかりした骨格さえあればそこに何がつこうが聞かせられるだろう。

最近のわっちの大きな悩みは、社会と自分と音楽のかかわりにおける音楽の果たす、果たせる、果たさねばならぬ役割についてである。
社会では毎日色々なことが起きている。
今を無視して出来る音楽などはこの世にない。
では社会では毎日何が起こっていると見るべきなのか。
それこそがその人の社会の見方であり、食べ物の嗜好のようなことなのかもしれない。
食べ物が違えば排せつ物が違うように、社会の見方一つで出てくる音楽が変わる。
もちろん日々の鍛錬により骨を鍛えるのは当たり前としても、食べ物で排せつ物は決まる。
排泄物こそ自分の作った尊い音楽。

社会をどのようにみるのか。
毎日何が起きているのか。

今なぜチベットなのか?

なぜ平和なのか?

平和とは何か?

仲間を守るために人は人を殺すのか。

立派な大義があれば人は人を殺してよいのか。

立派な大義

そもそも

立派とはなにか?

外人に聞かれた

「なぜ日本人は勤勉なのか?」

こう答えた。

「fear of being recognized as a hipocrite」

猫かぶりと思われることへの恐怖から。

~と思われたくないから。

誰に?

私の仕事は

ただひたすらにその迷いの庭の中の1庭師を目指し、思考し、脱線し、実験し、失敗し、たまには成功もし、少しずつ何かがどこかへ転がって行っているということを確かめる小さな小屋の番人兼見習い庭師のようなものだ。
それがなかなかお金を生み出さないものの、家がそれで傾く心配が今のところないのでこの幸せで穏やかな小屋の番人状態を続けている。

平たく言えばプータローだ。
ニートだ。

この小屋の番人の仕事は毎日ひたすら同じことを繰り返すことで、一か所ぶれ無いところを作って、それの周りでぶれてゆく自分の位置を逐一チェックして、その距離間ぶれ方など様々な内的自分的法則をまるでお天気を図る予測師のように、グラフ化図式化していくことである。それは自分にしかわからないことだ。常に自分に集中していくのだ。そんなことにだれもお金など払ってくれないのだ。

多くの人は別のアルバイトをこなしながら同時に番人の仕事もこなしている。
それはすごく大変なことである。
わっちは何をするにも人の倍以上の労力と時間がないと達成できない愚図人であるから、のんびりと蝸牛のような歩みで進んでゆくしかない。

乗馬を初めてからというもの、自分のそうした石橋を叩き壊して渡れなくするような性格を発見し、それはそれであきらめるしかないと強く悟った。
些細な事にもいちいちビビってしまうのだ。

いま一つ変わり始めている声の変化をビビりつつも認識し受け止め、その変化と勇気を出して付き合おうと思っているところだ。

この変化は自分にわかりやすい実感を与えてくれない類の変化だ。
つまりその場の実感がどんどんなくなってゆき、足場がぐらぐら崩れていく類の不安感なのだ。
声帯振動人である以上この変化は通らなくてはいけない道だ。
これを通り抜けることができれば
目がほとんど見えなくても描いていたモネの境地へと続く道に入れることになる。
つまりそれはそれほど大変な道だ。

声帯の神経を頼りに音を出し、聴覚を一切信用しないのだ。
(その点に関してだけはという意味でだけど)
歌っている時点で大概の歌手は大失敗を犯しているということになってしまうのだ。
体を楽器として自在に使うということはじつに大変なことなのだと、改めて、全身でビビってしまうのだ。

そりゃ~1㌔5万円の赤身のマグロに包丁を入れるようなものだ。
怖くて震えてしまう。
それを出す相手がたとえ1㌔500円のマグロと味の区別がつかない相手だろうと何だろうとそれはどえらい緊張なのだ。

なんだろうと思う。
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■7/29(mon)
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000


都内ツアーのスケジュール詳細
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profile
ボンバードラミ

10月1日火曜日生まれ
天秤座 A型 寅年

職業:天職探し中
趣味:考えること
気質:ゾウ的
着物を着て、馬に乗って、作った音源を売り歩く。
そんな夢を実現するために格闘悶絶,抱腹絶倒,七転八倒三歩進んで五歩下がる日々を恥も外分もなく送る生き物。


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