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プラトンは理想の世界に芸術は邪魔だといった。
理想の世界には確かに余剰的ゴミのようなものは必要ないのかもしれない。
そもそもいつだったか「哲学」という分野に詳しい友人に尋ねると、こういっていた。
「それは本棚に本をしまうのに似ている。奇麗に秩序良く収まっているうちはよかったのに、ある本が高さを、あるいは分厚さを、本棚の許容範囲から逸脱してしまった場合。本棚に収まらない部分を切り落として無理やりぴったり本棚に収める。
こういうやり方を近代哲学はやってきてしまったから、矛盾が沢山生まれてしまったのだ。」と。
プラトンのいう理想世界を邪魔する芸術とはまさに、この本棚に対して、はみ出てしまった余計な部分なのかもしれない。
それでも世界は今日まで何とかこの余計で忌々しい余剰物を受け入れてきた。
あるいは受け入れざるを得なかった。
この余剰物たちは時間をかけて世の中の矛盾と向き合うことのできる貴重な存在、言ってみれば暇人、であると同時に世の中にその結果を知らしめる義務を負っているといえる。
カカオ豆を作るのに忙しく、毎日遊ぶことさえ出来ない現状をうまく飲み込めない子供がたくさんいるように、それで出来たチョコレートの恩恵になぜあずかることができているのかを理解できない子供が同じだけいる。
どちらにとってもあたかも等距離であるかのごとく問題の根っこはただそこにある。
この子たちに、現実を知らせるのは恐ろしく酷なことだ。
両者を一気に谷底へ突き落すようなものだ。
先進諸国は軍事力で破壊的暴力的にほしいものを奪い取る道をやめたかわりに、経済的民主的支援という新しい形で結局はほしいものを手に入れるという新しく、より狡猾な手段を手に入れた。
これは暴力より数段テクニックの高い方法なのだ。
なぜならやってるほうは、「~のためにやってやっているという」気分になれて気持がよく、やられているほうも「やってもらっている」というありがたい気分になれ両者とも精神的に気持ちが良いことだからだ。
資金を集めて学校を作る、何かいろいろな物を作ってあげるというのが最近はやるらしい。
これを私は「soft invadion」と呼んでしまうのだ。
それを先発諸国は「支援の手」だと思っている。
それを後発諸国も「支援の手」だと思っている。
両者がこうして手に手を取り、侵略などどこにもなく、貧しい者への支援の手という美しい姿がそこに立ち現れる。
みんなが幸せな侵略。
恐ろしいことだと思う。
そんな中から生まれてくる余剰物である芸術はこの混乱と混沌を一瞬にして説明してしまうものでなければいけない。
一瞬で説明できることがそもそもの条件だと言ってもよいのかもしれない。
えらいこっちゃなのだ。
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
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