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プラトンは理想の世界に芸術は邪魔だといった。
理想の世界には確かに余剰的ゴミのようなものは必要ないのかもしれない。
そもそもいつだったか「哲学」という分野に詳しい友人に尋ねると、こういっていた。
「それは本棚に本をしまうのに似ている。奇麗に秩序良く収まっているうちはよかったのに、ある本が高さを、あるいは分厚さを、本棚の許容範囲から逸脱してしまった場合。本棚に収まらない部分を切り落として無理やりぴったり本棚に収める。
こういうやり方を近代哲学はやってきてしまったから、矛盾が沢山生まれてしまったのだ。」と。
プラトンのいう理想世界を邪魔する芸術とはまさに、この本棚に対して、はみ出てしまった余計な部分なのかもしれない。
それでも世界は今日まで何とかこの余計で忌々しい余剰物を受け入れてきた。
あるいは受け入れざるを得なかった。
この余剰物たちは時間をかけて世の中の矛盾と向き合うことのできる貴重な存在、言ってみれば暇人、であると同時に世の中にその結果を知らしめる義務を負っているといえる。
カカオ豆を作るのに忙しく、毎日遊ぶことさえ出来ない現状をうまく飲み込めない子供がたくさんいるように、それで出来たチョコレートの恩恵になぜあずかることができているのかを理解できない子供が同じだけいる。
どちらにとってもあたかも等距離であるかのごとく問題の根っこはただそこにある。
この子たちに、現実を知らせるのは恐ろしく酷なことだ。
両者を一気に谷底へ突き落すようなものだ。
先進諸国は軍事力で破壊的暴力的にほしいものを奪い取る道をやめたかわりに、経済的民主的支援という新しい形で結局はほしいものを手に入れるという新しく、より狡猾な手段を手に入れた。
これは暴力より数段テクニックの高い方法なのだ。
なぜならやってるほうは、「~のためにやってやっているという」気分になれて気持がよく、やられているほうも「やってもらっている」というありがたい気分になれ両者とも精神的に気持ちが良いことだからだ。
資金を集めて学校を作る、何かいろいろな物を作ってあげるというのが最近はやるらしい。
これを私は「soft invadion」と呼んでしまうのだ。
それを先発諸国は「支援の手」だと思っている。
それを後発諸国も「支援の手」だと思っている。
両者がこうして手に手を取り、侵略などどこにもなく、貧しい者への支援の手という美しい姿がそこに立ち現れる。
みんなが幸せな侵略。
恐ろしいことだと思う。
そんな中から生まれてくる余剰物である芸術はこの混乱と混沌を一瞬にして説明してしまうものでなければいけない。
一瞬で説明できることがそもそもの条件だと言ってもよいのかもしれない。
えらいこっちゃなのだ。
人は、自分と対立するあるいは、違う意見を持った他人を排除しようとする本能を持っているとしか思えない。
「仲間を守るために敵を殺す。」
こういう基本原則に基づいて無意識、意識的に行動している。
おばさん同士のヒソヒソ話と戦争はかくして全く同じ原理から発生している。
何が違うかといえば、規模と金儲けcurrency。
オバハンのヒソヒソは金を生み出さない。
しかし、戦争は仕掛ける方にも仕掛けられた方にもうま味のある商売だ。
人間の本能を利用して金儲け。資本主義の考えた最高に過酷な現実ではないか?
解放された先に待ち受ける過酷な現実をチベットの人達は知っているのか?
この運動は火中の栗を拾う的な矛盾をはらんではいないか?
つまり、今回のようなイベントを使ってこの問題にスポットを当てようとしているのはむしろチベットのほうであり、このようなイベントがなかったらそもそもこの運動はここまで大きくもならなかっただろうし、認知もされなかった。
敵を使って宣伝?
そりゃ敵も黙ってないだろう。
戦争やいさかいを止めるには、意見の違う他人を容認し認め合わなくてはいけない。こちらから見れば、卑劣で愚鈍で愚かで暴力的で信じられないような敵を受け入れなければいけない。
味方のために敵を排除するという本能からの脱却だ。
しかして、今まで脈々と培ってきた生存本能を今更変更することができるのだろうか?
今日から食欲のない人になります。
とか?
今日から性欲を封印します。
とか?
できるでしょうか?
無理無理。
でも
実はやってのけた人たちがいるんじゃないか?と思うのです。
「味方のために敵を受け入れる。」
それが大昔のチベットの人たちがした最も尊い行為のような気がする。(もし歴史認識に誤りがなければ。^^;)
対立をあおっては敵と同じ土俵です。
敵のほうが数も多いし卑劣具合も勝っているのだから勝ち目はないです。
世界が次代のダライラマを知る必要はないのです。
中国が勝手に立てたダライラマを世界の人たちはダライラマだと思い込んでいればよいのです。チベットの人たちの中ではひそかに「実はこっちが本物なんだけどね。」と、思っていればよいのです。信仰に必要なのは世界の人々の正確な認知ではないからです。
承認がないと決まらないというのはどう考えても後付けです。
信仰の本質はそんなところにはないはずです。
土地を奪われようと、様々な権利をはく奪されようと、どんなに卑劣に貶められようと、彼らの中にある信仰心を消し去ることはできないはずなのです。
ブルースシンガーの名言でこんなのあります。「they can take away our country,they can take away our house,they can take away our money,but they can't take away our music」
それが
「mind your own business」
ひいては
「mind our own business」
ということではないでしょうか?
世間の目からの解放
と
自分の仕事への専心
チベットの人たちは自分たちの信仰と信仰心と向き合うべきです。
その答えを他人に求めるべきではありません。
わっちらが自分の音楽に向き合わなければいけないように。
それがどんなに難しいかということは肌身で分かってます。
出来ないことを責めることは一ミリもできません(^^;)その刃はすべて自分に向けられることになるからです。
敵やマスコミを使って問題を表面化すればいいというのは本論から逸れています。
他人は助けてくれないのです。
辛くてきついけど信仰心を深めるきっかけは自分の中にしかないのです。
そうするしかないのです。
たぶんね。
わっちはそう思う。
難しいし、つらいし、苦しいし、逃げ道はたくさんあるし、楽な方法はいくらでもある。
けれどそうやって自分を騙してあとで一番つらいのはやっぱり自分。
あぅぅぅっっっ。
わかっちゃいるけどやめられない~っ
って名言だったんだなぁ。
http://www.kichijoji-crescendo.net/
越智泰彦(eb) bombardorami(vo;keyboard)
オリジナルデュオのもしかすると最後のステージか?
次回からは愛しの関根彰良氏をゲストに迎え3人体制を何回か試みてみるつもりです。今回はライブハウスのほうから呼んでいただき出させてもらいます。
ここは私のキャリアが始まったといっても過言ではない子宮のような場所なのであります。もう15年来のお付き合い。音楽人生の長さだけ。むむむ。
5/11sun@渋谷"タナカクマキチ"
http://www.kuma-kuma.jp/indextokyo.html
西尾健一(tp)関根彰良(gt)川村竜(cb)bombar(vo)
18:00start 21:00live music charge\¥1000
ボンバーとジャズメンたち。いまいっちお気に入りの大好きジャズメンの兄さんたちと。すでに認知度も高い紫音さん主催のイベント【裏音会】にて。
ここは渋谷のライブハウス外の裏手のホテル街の一角にポツリとある。
横に神社のようなものもあってなかなか雑踏の中のオアシスのようで良いのであります。お店も隠れ家のような雰囲気満載で何よりこのセクシーな兄さんたちをみんなに紹介できることがあたしの喜びです。
全員が一気に集中できる瞬間を求めて、さすらい中。
5/17sat@渋谷"青い部屋"
http://www.aoiheya.com/
【東京漂流】
佐藤真也(key;conduct;band master)関谷友貴(eb)諸藤一平(ds)bombar(vo)
もうかれこれ3年以上の長いバンドです。バンマスがニコニコ動画にハマって一歩も外に出ないような引き籠り状態が続いています。
ベースドラムはプロとして一線で活躍中の実力者たちです。
ミュージシャンといて居心地が良いのはなぜか?
それは彼らの中に同じオタクの血を見出すことができるからなのだと思います。
このバンドはバンマスが指揮をしそれに何となくわてらが従うという方式をとっているフリースタイルのバンドであります。コアなファンが支えてくれておりやす。
5/24sat@祖師谷大蔵"muriwui cafe"
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
open 12:00 music 19:30 投げ銭
ナミヘイ(vo)bombar(vo)愛川聡(gt)
初の試み。素敵なボーカルの兄さんをお店に紹介したくて。
偶然の出会いで見つけた超ヒット商品!!!確かな技術
こういう方といつの日かデュオができたらと思っていたらあっけなく実現してしまって拍子抜け。安定感重量感抜群のギタリスト愛川氏とは互いに気心も知れており。
彼の見た目からは想像もつかないロマンティックな音と、ナミヘイ氏のスティービーなソウルグルーブがどう合わさるのかとかも、そこにどう自分が絡むのかとかも何もかも実験だけど、一聴の価値ありの素晴らしいボーカルであることは間違いないかと。少なくとも私は大好き
5/31sat@篠崎"シノザキダイニングバー"
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13031979/
益田英生(cl;bandmaster)田嶋真佐雄(b)未定(pf)bombar(vo)
ここはほぼ千葉。都営新宿線のだいぶ先のほうです。
お初およばれ。CLとはなにかといえばクラリネットです。彼とも実は長いおつきあい。本物のswingjazzの若手NO1名手であります。
古き良き懐かしのスイングの中にキラリと今を光らせる。派手では決してないけど私の大好きな実力派破綻無系。なんだろ自分が破綻してるからかな。ちゃんとした人に異様にあこがれる。そういう意味で憧れの眼差しを一心に注いでしまう人でもあります彼も私を呼ぶなんでどうかしてるんじゃ。ぶち壊してほしいのかなぁ…(^^;)それならまかして!!
こうして見るとまるで違う人たちとばかりやっているように見えますが、活動は一貫してオリジナルかジャズということに絞ってやってます。それも私の中では実は一つに繋がっている物の延長上,あるいは同心円上にあるもの。
ミュージシャンの趣味もほぼ一貫しているということが分かります。
破綻していない確かな技術を持った、クールなプロとしてピシっとしたしかもどっか一か所オカシイところのある人があたしゃ好きなんだねぇ。
とにかくミュージシャンはセクシーが一番。
音に集中しているミュージシャンの顔は東大寺戒壇院の広目天像のようであたしはいつだってドッキドキです
新しい仲間に子犬が加わりました。
左から葦毛のロビン。
自衛隊朝霞駐屯地からきた超エリート騎馬隊の馬。
栗毛ロッキー。
大きくて大人しくて優しくて甘えん坊。飼い主の後をいつもくっついて歩きます。
師匠。
新入りのちゃちゃ。
見たところメスのようです。(^^;)
馬はどのこも、この新しい小さい珍獣に興味シンシンであり、近づけるとふんふんと、鼻を鳴らしながら寄ってきます。
驚きなのはこのサイズで、まだ生後45日なんだそうです。
手足も大きくて将来は大きくなりそうです。
まだ全身産毛のようなふかふかの毛におおわれております。
みんなの注意を100%奪い中の新たな宣伝隊長誕生に、現宣伝隊長アプリケも戦々恐々かもしれません。
シャワーを浴びて気持ちよく全くあせってないアプリケです。
むしろ音楽はごく一部であり、あの環境あったればこそ出た音楽が、我々の肌に合うと思うのは幻想のような気がする。
盆踊りや長唄、都々逸のに我々が持つ感情的親近感とロマにとっての自分の音楽が本来呼応するはずだ。
ロマの音楽を好きになってはいけないなどと言っているのではない。ロマの音楽を好きになる人の気がしれないなどと暴言を吐くつもりもない。
魅力的な音楽であることは無違いないのだから。(まぁそれも好き好きだと思うけど)
この音楽(あるいはどの音楽でも)が生み出された背景を考えると、結局踊りなんだなぁと思ってしまう。
あのベリーダンス的な魅惑の踊りあってこその音楽であり、音楽だけ切り抜いて日本に持ってきたところでまるでサビ抜きの寿司だ。
背景といえば、日本と大きく違うところは、「舗装されていない道路」と「家畜」の存在だ。
日本の昔田舎を思わせる懐かしい土煙の出る道と木々に囲まれて、細々とある小さな部落。
牛の引く農作機。
荷物を引く馬。
そこらじゅうを走り回る鶏のむれ。
アオッパナを垂れた子供たちはみんな誰かしらのお下がりのヨレヨレの服を着ている。
音楽が感情と直結したところにあった懐かし時代は、まるでアスファルトによって遮断されてしまったかのように、現在の日本では感情と音楽が一致しない。
少なくとも彼らの中にある原始的直結的一致は見出されにくい。
複雑化多様化なのかもしれない。
孤立阻害剥離分離なのかもしれない。
暴慢感のようなものかもしれない。
うれしいから踊らずにはいられない。
悲しいから踊るしかない。
そんな当たり前の体の動かし方ができなくなってきているのには、日本の伝統音楽からの日常分離が大きく影響しているかもしれない。
唯一残っているのが夏祭りのお囃子と盆踊りだけだ。
世界にある様々な魅惑的な音楽と踊りに比べるといささか陳腐に思えてしまうのかもしれない。いい年こいてドラえもん音頭はないだろ(すまんm(__)m兄貴)
日本でも沖縄にはまだ踊りと音楽が直結して残っている。
音楽が踊りと離別してしまったそれ以外の地域では(つまりほぼ全国的に)完全に外来勢力にのまれてしまっている。
最近はよさこいソーラン祭りなどがはやっているらしいが、日本2大祭りにタグを組ませないとどうにもならないほど日本の音楽と踊りは壊滅的な状況なのだ。
これは地域性の喪失に起因するものではないか?
全国が悪い意味で統一されてしまっているのだ。
もちろんまだまだ沢山地域特有のお祭りが残っている。
富山の風の盆などは日本を代表するセクシー盆踊りだろう。
ところが肌の露出が多いからどうにかしろなどと外部からやってきた人間が祭りに茶々を入れだす。
鬼嫁風むちゃくちゃおちょぼ口風勘違い上品型PTA人間たちだ。
この映画を見て改めて舗装されてない道と家畜の大切さを思い知ってしまった。
それは人々の感情と、音楽と、踊りをつなぐもののような気がする。
ロマの音楽に惹かれるのはその感情と音楽の直結に大いなるノスタルジーを見出すからなのではないかという気がしてならない。
とりもなおさず、それはすなわち我々が何らかのきっかけで失いつつある昔の風景を思い出すときに得るノスタルジーに似ている。
現代の日本では音楽は踊りから感情的に独立しているがゆえに、そこに新し価値が付加され始めている。
すなはち、名誉の対価としての音楽。
その音楽は踊りを必要とせず、その音楽で自分が表現できるかが重要となる。
私を見てください。どうです私。そういう類の音楽。
祝い→喜び→踊りたい→音楽がいる→楽団を雇う。
葬式→悲しみ→踊らずにはいられない→音楽がいる→楽団を雇う。
この雇用形態は日本ではもうないと言っても過言ではない。
楽団も行き場を失い結局離散し各地でワンナイトスタンド的一夜のお供的演奏を繰り返す羽目になり、それもお呼びでもないのに演奏しなくてはいけない羽目に陥るという奇怪な状況が生み出される。
お呼びがあった場合でも踊りたいから呼ばれるのではなく、物珍しもの希少価値があるものめったにお目にかかれ無いブランドバッグを見に行くようなたぐいのお呼び出しだ。
日本の音楽は大切な根幹を失いつつある。
それは客を躍らせる意欲だ。
技術の低下の原因はそこにある。とわっちはこの際言い切ってしまう。
そもそもお客さん自体が躍る気ゼロなんだから当たり前といったら当たり前だ。
なぜ踊る気がゼロになったか?
土の道と家畜と地域性の消滅が原因だ。
「世間の目」が全国に広がってしまったことが最大の問題なのだ。
昔は一部自分の周り半径1キロ圏内の世間の眼だけを気にしていればよかったのに、いまや全国の眼を無意識的に気にしながら生きている。
われわれは世界各地の魅惑的な音楽の虜になる前に、いや別になった後でも良いのだけど、自分の地域の音楽がなぜないのか、あるいはあったとして、なぜそれを好きになれ無いのか、無関心になってしまうのかをじっくり考えてみる必要があるとおもう。
その音楽はなぜ自分を揺さぶらないのか。
そして今や地域というのは日本全土に広がっていしまったので、地域の音楽というとJPOPを想像する人がいるかもしれない。
それでよいと思う。
ロマの音楽はあまりにもコユイ。
我々の抱える悲劇はコユイ音楽を生み出す土壌を知らず知らずのうちに放棄してしまっているこの体質かもしれない。
明日から後期高齢者(この言い方は何だろうと思う。中期行き後れのボンバーですけどなにか?)の年金から保険料が天引きされるらしいけど、今の日本の音楽の現状は完全に政治の状況、あるいは政治が作り出した社会の状況の鏡になっている。
知らず知らずのうちに地域が崩壊する。知己が崩壊すれば音楽もそれに伴う感情もどんどん知らず知らずのうちに崩壊する。
【知紅展】VJ知紅;関根彰良(gt)bombar(vo)ピノキオ画伯
http://
ライブペインティング。
久々の画伯FROM岡山。
4/5(sat)@浅草"balloon"
http://www.jazzbar-balloon.com/
<jazz duo>
【bombar with jazzmen】関根彰良(gt)bombar(vo)
4/18(fri)@祖師谷大蔵 muriwui cafe
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
【bombar with jazzmen】
西尾健一(tp) 関根彰良(gt)bombardorami(vo)
4/19(sat)@浅草"balloon"
http://www.jazzbar-balloon.com/
<jazz duo>
【bombar with jazzmen】佐藤真也(key;pf)bombar(vo)
4/26(sat)@private party
関根彰良(gt)カルテット
馬に関する言葉で、日本の生活習慣の中に深く入り込んでいるものがたくさんある、ということに乗馬を始めて気付いた。
ラチ、ボロ、お馬、など馬の周辺にある言葉に特に興味が惹かれる。
お馬、というのは江戸時代に女性の月のアレをいうときの隠語だった。
今のように便利なナプキンさんがなかった時代、女性は和紙を(懐紙)を折りたたんでつなげて幹部にあてていて、それがまるで馬の腹帯のようだったことからきた言葉なのだ。
埒が明かない。
ラチとはウマが運動する際にその内と外に設けられた柵のことである。
埒が明かなければ馬はその中をぐるぐる走り続けなくてはいけなくなる。
埒が明かないということはそういうことなのだ。
ボロ隠し。
ボロとはウマの排せつ物のことだ。
ボロ隠しとはそういうことだ。
たぶん他にも山のように馬から生まれて、日常で何気なく使っている言葉があるに違いない。
これからますます注意深く探していこうと思う。
どんなにショックなのかと思ったら、ショックより解放感のほうが大きかった。
なんか見えない鎖に縛られていたんだなぁ。
現在は緊急停止状態にしているのだが、見つかっても復活させるかはあやしい。
毎月15000円近くかかっている携帯代。わざわざ自分を鎖につないでそんなお金を払うなら、馬に10鞍乗った方が幸せかもしれない。
300人近い友人知人の電話番号が一気に無くなったのは悲しいけど、今はメールもあるしブログもあるし、それより2年3年以上あってもいない話してもいない人たちと今後も話すことがあるのだろうか?ミュージシャンも友人も最低限、最近お付き合いのある方たちの番号だけあれば生きていける気がしている。
というわけでこれからは実家の電話、ファックスおよび、メールとmixiですべて対応していこうと思います。待ち合わせなどは面倒かもしれないけど、10年、15年前はこれが当たり前だったんだから何とかなるでしょう。
御用の方は実家の電話番号をいつでもお教えいたしますので、まずはメールをください。
これからは手帳が大活躍するんだろうなぁ。
そしていつかそれを無くすんだろうなぁ。
そうしたらどうなるんだろう。
じゃっかんの不安は残るものの。
何とか携帯とおさらばできるかもしれないというわくわくでいっぱいになっております。
ポーランドの画家ニキフォル。
強く美しい存在は受け入れがたいものだ。
自然に近いからじゃないか?
あるがままに自分を受け入れる。
どうして、簡単なはずが、そうならない。
こういう存在を目の当たりにするのは苦しいし、痛い。
君は何から逃げてるの。
そんな風に存在自体がスブッと刺さる。
もちろん本人にはそんな気はみじんもないのだけど。
いっそ悪気があったほうが救われる。
今週は6本の映画を借りた。
すぐに手が出やすいのは娯楽もの。
楽だから。
昔もジャニスジョプリンのcdを買って、聞くのに2年かかった。
本当に心に届くものは
「手に取りにくいの」
だって少なからず痛いんだもの。
でも結局苦しむとわかっていながら手に取らないわけにはいかないんだよね。
届くのはそうした痛いもの。
痛いから触りたくないのに。
触らないと絶対後悔するってなんで知ってるんだろう。
たまらんなぁ。
銃弾に倒れた野生生物の最後の呼吸のいくつかを目の当たりにするような痛さ。
生物の眼に宿る諦観。
なのに強く美しい。
だから強く美しい。
美しくなればなるほど鋭く尖り人を寄せ付けない。
そんなニキフォル兄さんに圧倒された。
ちなみに演じていたのは女優さんだった。
二度圧倒される。
初めて先生に弾き語りでジャズなどを弾いて聞かせたら、「なんでここにいるの?」
ですってー。WOW! すごいじゃんわっち。
結局曲じゃないとスイッチ入らないんですね。
感情が入らないと、音が響かないし伸びないし、体にも力が入っちゃって全然声が出ない。
そこで、「あー」って発声練習時にも、「これは曲だ!みんな聞いてくれっ~この祈りの声」などと、妄想魂を全開に働かせつつ声を出すと、あら不思議。力が抜けてすーっと声が出るのです。
それでも限界までしか力を発揮できない。
まだ出来ないこと知らないことはどうあがいても出来るわけがないんです。
それを指摘してくださるのが先生さ。
わっちの場合「そ」から上と下で声質が変わっちゃうんだ。
下で出している声をそのまま上に行っても維持できるようになりたい。
それでより深く愛が表現できるなら!
より安定感が増して、落ち着いて、不愉快にならず、ゆったりした気持ちになれるなら。
腰ひも一本で着物が支えられてるようなあの感じを出したい!(詳細は着付け)
セクシーな声さ。
セクシーに聞こえる声さ。
とはいうものの、まだ1回しか行けていない。
記念すべき春一番の吹いた日の稽古が「初人着せ」とあいなりまして、風の強さとあいまって心がフワフワ躍るようだった。
人に着せるのは自分が着るのと全てにおいて手が逆になる。
さらに人は自分とは違う体型だから色々と勝手が違う。
ここの着付けの極意。
誰でも最低限の綺麗さ、当たり前の普通の出来栄えを前提に、様々な決めごとがある。
この線は足袋と足袋の間、巻き込んだら5センチ上げる、襟は指一節半とる、裾は床に3センチくらい引きずるとか、そういう細かい約束が何十個、経験が増すほどに何百個と増えていく。
もしかすると、やってもやらなくても、誰も気づかないようなことかもしれない。
それでもやはり7年選手10年選手を見ると、何かが決定的に違う。
はっきりとあるラインが出てくるのだ。
ぎりぎりの緊張感を持ったラインが随所にせめぎ合っている感じとでもいおうか。
そのラインの戦いは、ふんわり上品なのにきりっとシャキッとして、痩せてすっきりした印象を与える。
わっちなどは一歩間違うと、ぞろぞろダラダラなのにきつそうで結果下品という印象を与えてしまう。
いわゆる理想と現実が真逆現象が起きてしまうのだ。
で結局音楽に立ち返ってみると、「ゆったりなのにスピーディー」になるはずが何か一つボタンを掛け違うと、「もっさりなのにバックをどんどん追い抜いてテンポだけ早くなるという凶悪な演奏」ができあがっちゃうんだということがわかる。
着付けにおけるゆったりラインを決める要素としゃっきりラインを決める要素はどこにあるか。
まずしゃっきりは確実に襟元に現れる。
襦袢と着物の襟は鋭利なⅤ字を出したい。V字の両サイドは首とぴったりくっついていると上品さアップ。離れているとだらしなさアップ。下品さアップ。
着物の裾にも現れる。
裾は床から5センチ上がっている。それを支えるのは腰ひも一本。
そこに得も言われぬ緊張感が生み出される。
チョンと触ったらはらりと崩れ落ちるような砂の城がごとき脆さのもたらす緊張感。
セクシーな芸術です。
帯が、前から見た時、まっすぐに腹に横文字に通っているのではなく、中心は低く、脇へ向かうほど高くなるような、うっすらⅤ字を描くと、帯から上の胸の部分が横長でなく縦長に見える。このような工夫が体を細く見せるコツ。
着付けも馬も音楽も全部そう。
「目(耳)くらましの芸術」
着物をうまく着ていくら細く見えても体重変わらないし!!
見えてほしいように見せることが出来るようになりたい。
どう見えてほしいと思っているんだろ。
着物に関してはふっとっては見えたくないな。
ただでさえ色々巻きつけて実際は明らかに膨張しているわけだから・・・。
今回の先生の指摘は腰布団を作り直せというものだった。
窪んだ場所を補正するための腰布団が、出っ張っている所にあったってしまっているために、凸の上にまた凸=デブ
恐ろしことになっているらしい。
首のところから襟が抜けすぎるのも悪い癖。
着付けなかなか一筋縄ではいかないです。オモロ~。
帰りの電車は春一番の影響でストップしており、タクシーを拾おうと駅前の大通りで立ちすくんでいると、交差点のど真ん中でおじさんの乗った自転車がガッシャリ倒れて、籠の中からトイレのすっぽんやら、カンカラやらがらがらおもちゃ箱をひっくり返したように出てきて道いっぱいに広がって大変でした。
「主観的な人生は悲劇に満ちているが、客観的に見れば大いに喜劇である」
みたいなことを誰かが言ってたよなぁ。
関係の深い、『面白ビト』の皆様を少しずつご紹介してゆくコーナーにしたいと思う。
それは、スポットライトを当てた方のある一面に触れてもらい、それを通してわっちの一面にも触れてもらうことでもある。
自分以外の人が常から取る様々な行動の裏には、どういう心の機微が働いているのかということは、気になることであり,
ましてや「かっこいい!!」と思わせる人のカッコイイの内訳、構成要素は一体何なのか?
そこのところを探れたらよいのですが。
果たしてうまくいくでしょうか・・・。(^^;)
初回を飾るのは、仕事仲間の中では一番お世話になっている「面白人」=
「超かっこいい人」であります。
このblogの総指揮、監督を一手に引き受けてくれている。
祖師谷大蔵 cafe MURIWUI のマスター、通称〝takeshi”だ。
このお店を知るきっかけはほんの偶然だった。
しかしその小さな偶然からオリジナルバンドが立ち上がることになった。
takeshiは、きっかけを作ってくれたわっちにとって大変重要重大な人物。
takeshiの気まぐれ(?)(≒ナイスな采配)により今のオリジナルバンドがあるといっても過言ではない。
若くして、来店したお客さんたちがこぞって納得、大絶賛の都会的天空カフェを作り上げたその手腕の生えどころ?磨かれどころ?も大変気になるところ。
「センスがいいから」以上。
そりゃそうですよ。
でもそのセンスさんは一体どこから来るのですか?
それを支える根底には何があるんでしょう?
わっちの根ほり葉ほり魂が萌え~っってまいりました。
さぁ何から聞こうかな?
3サイズは?
おいおい。
でもまずはそういう何気なさそうな事から聞いてみたいのですね。
半分テラス、半分部屋という店のたたずまい。
あの部屋の木のテキスチャー。テラスの緑。デッキチェアー。ハンバーガー。
紆余曲折があったのだとは思いますがかいつまむと、果してどういう経緯で、あるいはどんなこだわりで、あの店が立ち上がっていったのですか?
あんまり何気なくないな。(^^;)
<takeshiからの返信はcommentを注視>
http://www.jazzbar-balloon.com/
<jazz duo>
【bombar with jazzmen】関根彰良(gt)bombar(vo)
■3/5wed@吉祥寺"manda-la2"
http://www.mandala.gr.jp/man2.html
<original>
【gradation pocket-1】越智泰彦(eb)bombar(vo;pf)
ゲスト 水季画伯
♪本当に久々の画伯は伝説の店国立ZILのマスターです。19:30からです。お見逃しなきように!!
■3/8sat@青山"fai"
http://www.fai-aoyama.com/
<jazz jam>
【bombar with jazzmen】西尾健一(tp)関根彰良(gt)川村竜(cb)伊藤広樹(ds)bombar(vo)
■3/12wed@川崎"ミューザ"
http://www.kawasaki-sym-hall.jp/
<original>
【gradation pocket-1】越智泰彦(eb)bombar(vo;pf)
■3/15sat@浅草"baloon"
http://www.jazzbar-balloon.com/
<jazz duo>
【bombar with jazzmen】関根彰良(gt)bombar(vo)
■3/18tue@下北沢"mona records"
http://www.mona-records.com/
<レコハツ>
【東京12channel meets vocals】佐藤真也(pf:conduct)とっつあん(gt)芹澤シゲキ(cb)磯部潤(ds)鈴木圭(sax:flute)bombar(vo)その他大勢。
■3/22sat@祖師谷大蔵"dog cafe roomer"
http://dogcafe.jp/cafe/1259html/
http://roomer.exblog.jp/
<jazz trio>
【shitrio】益田英生(cl)愛川聡(gt)bombar(vo)
■3/27thu@渋谷"7th floor"
http://tpdrecords.com/7thfloor/info/index.html
<free style>
【東京漂流】佐藤真也(pf:conduct)関谷友貴(cb)諸橋一平(ds)bombar(vo)
問題がごっそり与えられる感じであり、山積みの問題を前に立ち向かう気力さえ萎えそうになる。
それは実はありがたいことでもあるのですが。
うまくいかないってまずいんだけど、そこには重要なヒントがいっぱい隠されている。
立ち直れないとか言ってる場合じゃないんだよなぁ。
逆に他でうまくいっているように見えるのは、今の自分の範疇内の演奏しかしていないから。
限界を超えようとするとき、(あるいは、超えようとさせられる時)にこの変な感情がうまれるんだ。
オリジナルの時はピアノもあるから限界が早いっていうのもあるな。
あっという間に限界!!
ピアノと歌を両方やるのには本当に限界を感じるよ。
2秒もいらないで限界割れ!限界漏れ!限界灘!
この痛さと付き合うしかない。
向き合うには体力がいるということで、乗馬だっ!
ん?
あとは反復練習なんだけど。
おかしなことを反復しておかしな癖がついても困りもの。
さらに練習の状況を本番にどう近づけていくかも一つだ。
今練習場が寒いところなのだが、それは良い。
常に冷たい手で演奏。それが本番に近い状況だから。
さらに音量も本番より小さくする。負荷をかけておくのだ。
で、これやろうとすると手がツリそうになる。
体をほぐさないおいけない!
本番中体が固まりそうだとか、手がつる、とか内々のことばかり考えなくてすむように練習中にそういうことはやっておかなければね。
だから乗馬だ!
あれ?
本番に近くするという意味では心拍数も上げたいところ。
一番緊張するときは胃の腑があがっちゃう。声が上ずっちゃう。
心拍数を下げて落ち着こうとするよりも、心拍数があがているという状況に慣れる訓練のほうが逆説的に成立しないかな?
心拍数があがっている状況に慣れるためには、乗馬だ!
おいっ!
雪の影響で外がガリッてますな。さすがにみんな慎重に運転しているようです。
これは先日の話。
着付け新年会@ホテルニューオータニ
40回のスカイラウンジというところでランチビュッフェ。
30人ほどの女性が、着物姿で食事をする光景は圧倒的を通り過ぎて、気色悪かったです。
お師匠さんを中心にキャリアの長い順に座る席順も決まっており、私などは完全に末席を汚す係りでありました。この軍隊風の新年会。
毎年あるのかと思うと、キモチ、ぐったりするのですが、実はこれも稽古の一貫。
始めて間もない人たちは自分で着ていくことも許されず、事前に先生のお宅で着せてもらってから来ていたらしい。しかも一人一人が挨拶に来なかったとかでお師匠さんは完全にご立腹。近くの席の人たちは食事も喉を通らないような有様だったらしい。末席で良かった。と、ホッと胸をなでおろす。
しかもここは、何をまかり間違ったか、プロの着付け師さん養成所で、一切の妥協というものが許されていない。
ビビりでアガリ症の私といたしましては早くもビックビクであります。
着付けは指先のスポーツであります。
頭の後ろに目があるような感覚を身につけるにはもってこい。
音楽はさておき乗馬には確実に必要な感覚ではないかな。
わっちは、今回の新年会では、薄いピンクの緞子(ドンス)という生地の小紋にオレンジの芥子の花ような模様が金の不日取りをされているピカピカの着物に、オレンジがかった朱色の帯に金銀の花があしらわれた帯を締めました。
とにかく新年会だから第2礼装で皆さんど派手な着物なのでした。
さらにホテルということもあり床につきそうなくらい長く着て、巻き込みはばっちり多めに。
覚えきれないくらいの決めごと。
ごちそうさまこんちくしょ~っ
なのであります。
前回も雪の次の日だった。そして日を開けずして次のライブが決まり、なんと今回も雪の次の日だ。東京では2回しか雪は降っていないというのに。
どっちの日にも当たるという。
さすがに雨女だけあるなと我ながら感心します。
家の前の雪かきをしました。
正確に言うと隣の家の前の雪です。それは親戚の家であり、家主が車で緊急に出なければいけないかもしれないから、というわけで、引っ越しのあいさつ代わりに、お助け雪かき女になったのです。
目の前を雑巾のような汚い猫が横切りました。
まだ、かいていない雪の上に、小さな楕円の跡ができました。
かわいくてそこの雪だけかくことができません。
足跡を追うと、どうやらうちの庭から出てきたようであります。
家の前のある一角だけ雪が積もらない個所がありました。
地面の下に何か温かいものがあるのだろうか…?
今回の雪も重くて湿っています。少しやっただけで腰がぐっと重くなりました。
東京で雪かきをするなんてめったに出来ない体験です。
雪国の人々にとっては過酷な労働でしょうが、こっちでは何か心が微かに軽く浮き立つ小さなイベントです。
雪かきみたいなライブができたらいいなぁ。
引っ越しと同時に、パソコンを買い替えた関係で。・・・・・・。
いえ。
本当はそんな関係じゃないのです。
単なる私の不注意で、多くの方のメールアドレスが新パソコンのほうに移ってきていないみたいなんです。
最近私から嫌がらせ告知お知らせメールが来なくてほっと安堵している皆さん!!
即刻わっちにメールアドレスをお知らせください。じゃんじゃんお知らせください。
m(__)m
体験乗馬ただ券入手しました。
狭山乗馬センターです。
ご興味のある方はご一報ください。
なぜこんなに勧めたいと思うのかということをずっと考えていますがよくわかりません。
一つだけはっきりしていることは、これは「自分」、及び「人」を正確に映し出す鏡のようなものだということです。
駄目な自分のダメさ加減、意外な自分、本当の自分、オブラートに包んで見ていた虚飾された自分がそこではすべてさらけ出されてしまうのです。
よく車を運転すると人格が出るとかいいますが、それに近いのかもしれません。車は自分の意志だけど馬は人馬の意思のぶつかりあいなのです。
馬はものすごくよく人を見ています。
乗馬をやってみて初めて気付く自分。
超ビビりだということにも気付いたし、前から知ってはいたけれど、やっぱり相当大雑把だなぁということもよくわかった。それにあせり症だ。
乗馬、特に、馬場馬術ではハミと手綱、騎座、脚、にものすごく繊細で微妙な塩梅というものがある。
それは着付けにも通じるもので、もちろん音楽もそうなのだ。
「手」が「指先」に神経がゆき届かないとうまくいかない。
神経を行き届かせるためには「発想」「考え方」「内面」が大きく影響する。
例えば車を運転するにも、大雑把で、あせり症で、ビビりだと、早い話が向かないじゃなかろうか?もちろん誰にも大なり小なりそういう部分はあるだろうし、私がこれだけの人間ということもあるまい・・・・。たぶん…(^^;)。
けれど、性格的傾向は何をする時にも重大な作用になってしまうから、素の自分の傾向を知ることは対処法を考える上で大変役立つのだと思う。
大雑把であせり症でビビりなため、もの凄く慎重だというこもわかったし、危険な橋をなるべく渡りたくないと思っていることも分かった。
冒険心が少ないのだなぁと思うと、よししからばもう少し勇気を出して踏ん張ってみたらどうなるかな?なんて思えたりもする。
思ってみて、焦る。
軽い堂々巡り感はあるものの、それも自分の傾向なんだと気づく。
こうしたことが全て乗馬によってもたらされた。
副次的に背中が引き締まったり、雪かきや地面掃きなど家事的な雑用を厭わなくなる。馬に尽くす喜び。一般的に人はパートナーに尽くす喜び、ということで会得する性質を馬から教わる。誰かのためになる(しかも見返りなし)って気持ちが悪いことではないのです。むしろ心地よいことなんです。
何もしないで家でふんぞり返って今年の4月に離婚されることが確定している可哀想なおとっつぁんたちに是非知ってほしい喜びです。
一言でいえば情操教育ってことですね。
だからこそ小さい時にできたらどんなに良かっただろうって今更思います。
まぁでも遅すぎるってことはないんで。
占いとかで「あなたはこんな人だ」
「そそそそうなんですぅっ~っ!!なんでわかりました?」
なんて言っている暇があったら、お馬さんに乗ってみなってことですよ。
お馬さんが全部教えてくれますんです。
ここにはそんな師匠が70頭からいます。
師匠はニンジン、リンゴが大好きであります。
食ったら出す。
あとは寝る。
ものすごいシンプルなLIFEを教えてくれます。
■2/4(mon)@吉祥寺 MANDA‐LA2
http://www.mandala.gr.jp/man2.html
【gradation pocket-1】
越智 泰彦(eb) bombardorami(vo;pf)
≫ボンバードラミオリジナル(妄想)の世界。
越智さんと煮詰まってかれこれ2年ちょっと。
その間に新曲が10曲以上できました。すすすごいな。
カバーものでは初期はトレイシーチャップマンに凝っていたのですが現在はジョニミッチェルとポリスです。この日は両方やるかもしれません。
練習の仕方が少しだけ見えてきて今リハーサルが楽しいです。
結構二人裏ではぶつかってます。何くそです。ほとんどわっちがピーピー言って、越智さんがハイハイハイとイナス。そういうぶつかり?ぶつかってさえないけど?暖簾に腕押しっていうか暖簾がないけど?みたいな感じではあります。
今年に入って、“ニレの木”の世界観から〝messege in a bottle”へと、若干のシフトが見られます。
年始早々、ものすごいハイペースでライブしている気がします。
他では絶対に聞けない何かがここにはあると確信しています。
そのほとんどは越智さんによってもたらされている、といっても過言ではないけれど…(^^;)
でも曲は私の妄想から生まれたのだ!!そうなのだ!!突っ走れ妄想!!
こう書くと、みんな一体どんなケッタイナ妄想をしているのだと思うみたいなんだけれど、曲は至ってポップでキャッチーで、聞きやすいはずです。
たとえば森見富美彦のあのファンタジーの感じはとても近いと感じます。ああいう妄想を曲にしたい。そう思います。
■2/5(tue)@渋谷 7th floor
http://7thfloor.web.fc2.com/
【東京漂流】
佐藤 真也(cond) 諸藤一平(Ds)関谷友貴(eb) bombardorami(voice)
≫本日リハーサルを行いました。新曲が入ります。デジタルに感情をはずして演奏する。ダンスで言うならモダン。迫力にかけては群を抜いている。カチカチカチ。局部的な人気が出てきている変態デジタル押井まもる原理主義的秋葉原ニコニコ動画万歳メイド喫茶にレッツゴーフリージャズです。当日の出順は8時を予定しています。
■2/15(fri)@祖師谷大蔵 muriwui cafe
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
【bombar with jazzmen】
西尾健一(tp) 関根彰良(gt) 吉木稔(cb) bombardorami(vo)
≫これの目標はとにかく一人で立っていられるようにっていう事から周りはすでに一人立ちしている方たちで固めるというお約束。もとは西尾氏がより集めたメンバー。ボンバーが何となく引き継いだのだ。ボーカルというのは(っていうか私は)軸がしっかりしていないクラシックの女性舞踊家のようなもので、パートナーのサポートなしには立っていられないという情けない歴史を延々と送ってしまった。ジャズに必要なのは妄想力ではなく、想像力と工夫。セッションという時にはそれプラス瞬発力と、判断力と破壊力(個人的な趣味?)。彼らのセクシーを感じてください。
■2/21(thu)@浅草"balloon"
http://www.jazzbar-balloon.com/
<jazz duo> 宮前弘幸(pf)bombar(vo)
≫中堅NO1第一人者の職人さん。久々のお目見えはものすごく楽しみ。
女子2000男子3000で飲み放題も嬉しいおしらせ。
今年は年始そうそう引越が入りました。
荷物を整理したり実家の部屋を片付けたり、整理していたら分かりやすく腰痛が発祥。
あえなくダウン。(^^;)年始早々間抜け過ぎます。
【気合がカラ回りするタイプ。】相変わらず見惨。とほほでやんす。
住み慣れた荻窪を離れ、何かと煩わしい実家に帰るというのは億劫な反面、馬への金銭出費を押さえるためにはどうしても必要なステップでした。
ここから始まるのだっ!と気合を入れるものの早々に腰痛。まだ初乗り、初着付けさえ、叶わぬ情況にあります。
さらに、過酷なボイトレを思いつき、全身ボロボロになりつつあります。何で思いついちゃったんだろう。(TT)でも結構効きそうだから、楽しみな近未来。
同胞の越智さんはどんどん柔らか星人へと変貌しているというのに、自分はこんなゴチンゴチンでよいのだろか・・・。(^^;)今度の新しいバージョンの越智さんは凄いですよ。聴いた瞬間に違いが分かると思います。前だってあれだけ凄かったのにねぇ。まだ先がどんどんあるよ。って身を持って教えてくれている感じです。
恐いo(><)o
本当にどうなってゆくのだ。馬に乗りつつ、着物を着つつ、アルバムを売り歩く作戦はまだまだ遠いようであります。
ともあれ引越再スタートに向けノートパソコンを買いました。東芝ダイナブックさ。(喜)
しかしながら、荻窪で使っているPCのデーターを保存しつつ、実家に新しいPCで移動するという、私にしてみるとハイパー超絶ギガギガ難解な命題を抱え、ただ今茫然自失中。新年早々思い課題を抱えてしまった。
それとお世話になっている川崎ファクトリーのみんなの活動であるところの“南ちゃんを救え大作戦”のための応援歌も製作中。ところが、引越など色々バタバタで、なかなか手につかず。
まぁ。それはいいわけだけどさ。
最後の詰めは物凄く集中しないと駄目なんだ。というわけで音楽的拠点を全て実家に移すため、キーボードを実家に運びます。
明日から一路製作へ。明後日は初乗馬。明々後日は初着付け。大忙しの一年の始まりです。
これからも一つよろしくお願いします。
緩やかに見守っておくんなせい。m(__)m
ochi yasuhiko(electric bass)
bombardorami(vocal&piano)
■ボンバードラミオリジナルの世界。
にれの木祭りのその後。過去の曲をマイナーチェンジしてます。
音色がまたガッツリ変わった越智さんのベースもお楽しみに。
http://www.mandala.gr.jp/man2.html
吉祥寺MANDA-LA2
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
⇒都内ツアーのスケジュール詳細
⇒my space音楽配信
⇒youtube風に還る日
⇒youtubeニレの木祭り
⇒youtubeニレの木祭り2
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