[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なんと人生初の12月なのに
演奏なし状態に突入です。
他の月ならいざ知らず。
12月に暇をこいているシンガーは
通常失格のシンガーです。(^^;)
泣けてきます・・・。
今からでもクリスマスキャロルを歌わせてくれる方
どこかによんでくださいな~。
でないとまた西川さんが出てきてしまいそうです。
“仕事ちょうだいよ~っ”
あぁ。プロだなぁ。
この時の彼女は神がかっているもの~。
で。
1月は
■1/17(sun)
祖師谷大蔵“Cafe MURIWUI”
【gradation pocket-1】
越智泰彦(eb)
bombar(vo;pf)
♪18:30~
charge:投げ銭
今バンドにドラスティックな
いくつかのチェンジが訪れようとしています。
それは追ってご報告します。
もうなんだかんだの5年
時の経つのが
あまりにも早すぎて
【gradation pocket-1】越智泰彦(eb)bombar(vo;pf)ピノキオ画伯(絵)
http://www.owat.net/ask2009/accessm.html
勝負の月です。
■11月28sat@東京倶楽部
【jazz quartet】
北条達子(fl)永田ジョージ(pf)程嶋日奈子(b)川口弥夏(ds):
ボンバードラミ(VO)
http://www.tokyo-club.com/contact/
10月23日(金)@阿佐ヶ谷「とり成」
とり成場所:
阿佐ヶ谷駅南口ロータリー川端商店街入ってすぐ右手。
start:19時~と21時30の2セット(入れ替え制)
charge:¥1500(阿佐ヶ谷ジャズフェスのチケットをお持ちのお客様は¥1000)
メンバー:
西尾健一(tp)
関根彰良(gt)
清水昭好(cb)
bombar(vo)
メールがとうとうつながらなくなりました。
blogのメールはyahooのものに変更しました。
御用の方は
bombar_d@yahoo.co.jp
にご一報ください。
新しいアドレスをtoppaというところから得ようとしておりますが、うまくいかないみたいで、試験的なメールを送っても届かないし、送れないみたいです。(TT)
知識、情感、肉体、このそれぞれに笑いがあり、
それを生み出すダイナミクスが演者には求められる。
と枝雀さんは言った。
それぞれを万遍無くクスグル必要がある。と。
音楽もやはりそうなんだと思う。
バランスが悪くて、どこかのみに特化してしまったり、
それぞれに不十分だったり、まったくの勘違いから必要のないことばかりして時間を浪費してたり、どの道まっすぐ行かないものだろうけれど。
こうして考えてみると、まだまだ手ず数の音楽的領域がごっそり広がっている気がする。
いや。実際広がっているのだ。
そこには自然をとらえる鋭いまなざしが必要になってくる。
これ自体を磨くにはどうしたらいいのだろう。
で結局体そのものを鍛えておくしかないのかな?
という結論になる。
ピアノは指。手首、ひじ、腕、肩、腰、足、背骨、骨盤。
声も声帯、筋肉、首、肩、胸、腹筋、背筋 骨盤、足。
バランス。しなやかな体。
表現できる体。
意志を持った身体。
出したい声、理想の形なんというのは本番のその瞬間
勝負なのであって、瞬間がやってきた時に出したいような声を出せるように
とにかく準備しておく、体だけはできるようにしておく。
準備、保全、メンテ。
毎日は果てしなくこれの繰り返し。
なんで続くんだろう。
それは完ぺきな準備、保全、メンテなどどこにもないからだろう。
結局毎日やらないと意味がない。
乗馬も着付けも同じだ。
なぜ毎日なのか?
体が添うように、慣れるように、当たり前に感じて
苦も何もなくなる状態。
これが必要なんだと思う。
それには己のついてこない肉体との会話が全てになってくる。
肉体は常に思う方向と違う方向を向いている。
なかなか話に応じてはくれない。
少しでも無理をすると、ものすごい反逆にあう。
筋肉痛、腰痛となって痛め返してくる。
「ばーかばーか」
と言われている気分だ。
毎回乗馬でうち太ももと、背中が痛くなる度に。
着付けで手が届かなくてプルプルなってしまう度に。
すべては深呼吸から。
知っているはずなのに、わかっているはずなのに
呼吸を止めてしまっている自分がいる。
ゆっくり落ち着いて。何より先ずは深呼吸。
ぶひ~っ。
久々…(^^;)とほほ
声が思ったよりもマイクによく乗っているようでそれはそれは驚いた。
やはり一人でやると緊張感が自分に向くせいか落ち着くのが早いのかもしれない。
と、同時に中から何かを引っ張り出してこなくてはいけないフリーの場合、少しでも余計な緊張があるともう体が塞がってしまう。オリジナルをヤル時はただでさえ塞がりやすい。共演者への無駄な配慮。(^^;)無駄なのに配慮してしまう。
二人の歩調・・・音の鳴り方飛ばし方、歌い方、抑揚。そいうのは家でやっておいて。と言われそうなことが全て異常に気になりだすと、もうジエンドだ。
ところがこの度、そういうのから脱したくて、ついについに
一人でピアノを(正確に言うと慣れない他人のキーボード)使ってソロオリジナルに挑戦した。
状況は過酷であった。
しかしなぜか声がよく出た。
背中の重いものがふっとどこかへ抜けた。
一人でやるとこんなに楽なのか・・・。
こんなに楽でいいのか・・・。
ボンバーのこれでいいのだ?
やはりこの楽な部分を保持しつつ、他人とも共存するための精神的スペースの確保が必要なのだ。
今度はすべていい意味で無視してやれたらいいなと心から思った。
音は無視せず対象を無視!
何が何でも無視!
さいなら!
よしっ!
たぶんこれで行けるはず・・・。。;)
ん~っ
どうだろう。
19:30開場 20:00開始 |
マスターの粋な計らいにより、
ミュージックチャージはとっても低めの
¥1500に設定できました。
これで皆様の懐を痛めすぎず、
さらに
おいしいご飯にありついてもらおうという
心積もりです。
演奏は1930と21時の二回。
遅れてしまっても焼き鳥を食べにおいでください。
http://maps.google.co.jp/maps?sourceid
=navclient&hl=ja&rlz=1T4TSHJ_jaJP
259JP259&um=1&ie=UTF-8&q=%E3%
81%A8%E3%82%8A%E6%88%90&near=
%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD&fb=1&split=1&gl=jp&view=text&latlng=
17085181766828280145
せっかくおいしい焼鳥屋さんで演奏するのです。
おいしいやきとりを食べずにビール一杯で、
お茶一杯で聞いてもらうにはあまりにも忍びない。
おいしい焼鳥ではピンと来ないと思いますが、少なくとも都内で
わざわざ足を運んで食べるだけの価値があるという意味です。
とにかく他ではお目にかかれないおいしさなのです。
紹介された当時を思い出すけれど、
ここを知るまでは正直レバーは苦手でした。
ところがここのレバーときたら、その濃厚でねっとり下にからみつく
カラスミ的なフォアグラ的なアン肝的な珍味的うまみ。
くは~っ!!
たまらないのです。
おそらくそれは鮮度の問題だと思うのだけれど、
ここのは生でも食べられるのです。
実際刺身もあります。
他にもハツ、ミミなど聞たことのない貴重な部位があったり、
(本数限定お早めに)
王道のささみ、つくねなどもたまらないおいしさです。
それになぜか脂っこくない。しつこくない。
焼き鳥はここで決まりなのです。
この焼鳥屋のある川端商店街は「焼き鳥通り」と言って
(言わないかもしれないけど)
他にも焼鳥屋さんが多数乱立しているけれど、
雰囲気だけでなく味で直球勝負しているのはここだけです。
秋風が吹くであろう10月末。
身も心も「とりジャズ」で癒されに来てください。
西尾健一(tp)
関根彰良(gt)
清水昭好(cb)
bombar(vo)
西尾健一(tp)
http://240.bakufu.org/
関根彰良(gt)
http://music.geocities.jp/akira_sekine_jp/
清水昭好(cb)
http://ameblo.jp/akiyoshi-bass/
ボンバードラミ(vo)
よかった~っ。
では詳細などは追って。
すっかりご無沙汰になってしまいました。
何もないと思わせて
実はしっかり
9月も何かあります。
それは心をつなぐ旅。
まずは久々のフリージャズの面々。
■9月21日(月)
祖師谷大蔵“タイ古式マッサージ深呼吸”
http://www.sin59.com/index.html
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=l_00020745
SEONIOUS(SAX、VOICE、ETC)←アフリカの大地に洪水をもたらしたシャーマン兼古式マッサージャー兼ミュージシャン
高岡大祐(TUBA)←まえは「渋さ知らず」でぶーぶーチューバを吹いていたが、今は世界をまたにかけて飛び回りつつ演奏をしている。
bombar(VO)←前は高岡大祐と辰巳光英と単音系というバンドを組織しており、この度は久々の復縁となります。
以上の異常なメンバーによる、
ちょうSOLOSOLOFREEFREEときたまオリジナルや曲も入るのかどうなのか。
祖師谷で演奏した店は今のところ3つありますがすべてとっても心地よいLOHASは空気をもった店ばかりです。
ビバ祖師谷。
■9月22日(火)
北千住”ダンディライオン”
http://3w.to/dandelion
★粟田さん三回忌 追悼LIVE
粟田幸嗣Anniversary 『Liveコージ宴!Vol.2』
出演:為末照正バンド/ジョーゴ/高松泰子(ジャズ)/奥田誠一郎/他
*会費制:\4000 (Free Drink) /ノンアルコールの方:\3000
*open/16:30 start/17:00
といったようなことでありまして。
粟田さんというのは
今から10年以上前、
まだ駆け出しで、ペーペーで
右も左もわからない頃
付き合っていた彼が所属していた
バンドのギターリストで
いわば雲の上のような存在として
尊敬してあがめていた
大先輩なのだ。
とってもとってもかっこいいギターのお兄さんで、
キースリチャーズとナベアツを足して二で割ったような
(といったら怒られそうだが)
なんだか不思議と怖い、近寄りがたい空気を身にまとい
さらに輪をかけてセクシーな色気をもった
さらにチャーミングで怖いと思った次の瞬間に
「にっ」と笑うその笑い顔がとってもキュートな
はにかみ屋さんでもあったのだと思う。
そしてそのギタープレーは
どこまでも「アグレッシブかつ繊細」
を身上とするプロでした。
今思えば本当にプロだったんだろうなぁ。
昔はよくわからなしタダのカッコいい人
だったのですが。
音楽をやる人には二種類あって、
音楽が好きな人と音楽で食おうという人
どちらも必要要素なんだろうけど
それをうまくバランスよく持っていた人、
あるいはバランスよく保とうと陰で相当
悩んだ人
なのかもしれない
少なくともこちらからは
とってもバランスの整った人に見えていました。
バランスよく見えるためにどれだけもがいていたのか
と思うと
今はほんの少しだけそういう気持ちも
わかるような気がするから
今だったら
なんかいっぱい聴きたい事もあるし
話していることを聞いてみたいとも思う。
しかし残念ながら美人薄命
というか、
天才も薄命なようで。
神様のセッションに早々呼ばれて召されてしまいました。
神様の気持ちもわかるけど、
もう少しこっちで色々やってからでも遅くはなかったのじゃないの?
と残念な思いでいっぱいです。
立川に引っ越します。
明日9月1日です。
新たな人生が始まります。
一人でだけど(^^;)というわけで
しばらくPC環境が整うまでの間留守になります。
皆様お元気で~っ。
ひゃっほ~っぅ!
グラポケ+ピノキオ画伯でお送りします。
録音も佳境に入り・・・。いや。
まだ。始まったばかりだけど。(^^;)
何やかんやと色々取れてます。
ボンバーを2,30人投入してなんかかんかやらせてます。
今回は画伯との渾身の一策を作るべく。
これからリハーサルへと突入してゆきます。
画伯の絵は必見。
http://
こういう作業は時々やらないとと思う。
疲れるけど。
やるよりみる方がもっと疲れるかもしれないけど。
面倒くさい、疲れた、と、なるべく避けて通っているけれど、
これをやると山を登った後のような気持ちよい疲労があるはずで。
それは普段使っていない部分の脳を使用するからで。
アハ体験だかイヒ体験だかそのたぐいのものだ。
だから一歩を出すのは疲れるけどとりあえずやるのだ。
ギターは関根彰良に大決定
ペットは240兄さんに超決定
ベースは川村竜氏に大お願い中
詳細は追ってお知らせいたします。
年に一度のJazz祭。
阿佐ヶ谷のJazzJazzしい空気を吸いに来て下さい。
とり成場所。
03-3398-4987
南口ロータリー川端商店街入ってすぐ右手。
①まず心が安らかになれること。
日々のストレスを見た瞬間和らげてくれる。
トゲトゲしたり、イライラしたり、ハラハラしたり、
気持ちのどこかが落ち着かない現代において、
一瞬して自然に帰ってきたような安堵感を与えてくれる。
こんなのほほん顔をして
「何何何~?にんじん~?」
と寄ってきてくれるのだ。
邪気のない彼らに接して心が洗われなかったら
それは重傷かもしれない。
それだけでなく、落ち込んでいるときは
「なになになに?顔痒いから掻いてもいい?ズーりズーリ」
と顔を体にこすりつけてくれて、
何となく様子を見てくれたりするのもたまらなく嬉しい。
時折、奥深く、優しい顔を見せたりもしてくれる。
(意識してないだろうけど^^;)
音楽をする時も馬と会った直後のような気持ちでいられたら
まず良いと思います。深い集中の中にあり、呼吸も深く、
落ち着いている状態です。
②姿勢の矯正。
乗馬は一にも二にも姿勢です。
これが歌う時の姿勢と一緒です。
胸の上をクイッと上げた感じ。
余計な力はすべて落として。
これが難しいのだけど。
余計以上の力が落ちちゃったりします。
体が断続的にその姿勢になれるのに時間がかかります。
普段からそういう姿勢を心がけていればいいのだけれど。
気付いたらぐだっとしてしまいます。
これは骨盤が沈んだ状態。
駅などで立っている人を見ていると、やせ形の色白の男性にこの傾向が多いかも。生気がなくて病み上がりのように見えます。
胸も引っ込んで、骨盤も折れ曲がっている。結果顎が出ている。
背中が丸まる。
鐙が浅くなり、膝に力が入り過ぎて、自由が奪われる。
③リズムとグルーブとタイミング。
常脚が4拍子、速足2拍子、駆け足3拍子。がリズム。
グルーブは馬の背中と走り方で決まる。十馬十色。
人は邪魔せずついていく。(出来ないけど^^;)
タイミングは馬の足に合わせて、いちばん深い所に自分を納めていく感じ。
二つが合うと両者とも気持ちが良い。
人馬は別々の動きをしているが、深いその一点だけが合っているという事を人馬一体というのかもしれない。
出来ないけど(^^;)
④収縮。弾発性、真直。
馬の力が中にたまっていく流れがお尻から頭に向かってお尻に返っていく流れ後ろから前の円運動とすると、人は頭からおしりまた多々に返っていくような円運動。
ま逆の円運動を、ただ一点、馬との接点「骨盤」で支える。
多分そういう事だと思うのです。
これはイメージで声の通る道筋もこれと同じようなことで、それをイメージしながらやると、力が中に貯まっていく感じ。
中から見えない力のベクトルが外へ外へと働いていく。
声を出すというより、声はたまたま結果として出ているだけであり、(たぶん出すという言葉は不適当だと思う。どうしても力を入れて押し出すようなイメージになてしまうから。別の言葉でいえば響くってことなんだろな。教会でなんか言った瞬間すべてがぽわ~んと響いているあの感じ。うまいシンガーはみんな教会出身なのもそういう理由があるんじゃないかと思う。)
その際体の中で起こっていることが大変重要と思われる。
馬のそういう力は人間の力によって導き出されるものだけれど、
良い共演者に合うと、これがやはり自然に引き出さる感じがする。
⑤見つめるという事
馬と自分の位置関係を深く考えることと、どういう風に歌を歌うかを考えるのはほぼ同じプロセスだと思う。
普段から考える癖をつけていると、体もそういう考える人として、慣れてくる。そういうのが苦痛にならなくなる。
色々考え試して、大概間違ってるけど(^^;)また考え直してやりなおして、いろいろ試して少しずつ自分の中で何かがぴったりしてくる。
自分に合った靴を探していくような旅。
それが馬とのわっちのなんとなくの付き合い方になってきている。
音楽もそうだ。
で、
最後にプロならば、
それを人に披露してもよい雰囲気になってこなければいけない。
ものすごくうまい乗り手にはギャラリーが自然と出来てしまうように、そういう歌にならねばいけね。
いつまでも見つめているだけではプロにはならねーわな。
と、思いつつも、全くプロでも何でもねー自分と、
向き合う日々が続いている。
意外と楽しんでいる。
こんないいわけでバッチリやろ。
昔の話です。
毎日、一升瓶をがぶがぶ飲みつつ、
タバコを1箱吸いつつ
酔いどれつつ
人生を相当侮りつつ
歌っていた頃の話です。
ミュージシャンと組むときは男子が多いのです。
そうなると、デュオの形態の場合、人間関係においては
細心の注意が必要になってくるのですね。
この細心の注意を怠ったばっかりに、あらぬ誤解を招き、
よもや、あわやの大惨事になってしまった時のこと。
デュオユニットのような形で定期的演奏をしていた。
ある日のライブの終わった後、
突然ミュージシャンの彼女という人がつかつかと歩み寄ってきて、
いきなりの平手打ち!!!
ばっち~んっ(あうちっ)
加えて、王道捨て台詞
「この泥棒猫っ!!!」
えぇ~っ!?(わーっ。そんなセリフ初めて聞いた~っ♪)
全く身に覚えのない状況に目がテンテンテン・・・。
というより、チカチカチカっ
星が瞬いていましたわ。
ドラマみたいなことが本当に起きたんだっ。
と、むしろほくそ笑んでしまった。(駄目だよっ^^;)
凄いですね。
確かに共に音楽を遂行していると、
まるで彼氏の一部をお借りしているようなその状況が
彼女さんたちにとって疎ましいのはわからないではない。
あるいは共演者と目を合わせたり、共演者を見ながら演奏したりして
歌詞が「あなたを愛してる」的なノリであれば
それは当り前なのかもしれない。
しかし、逆を考えたとき、
わっちは彼の課外活動に関しては
常に完全無視、興味なし、という雄々しい態度を貫いている。
彼のライブに乗りつけて、
共演の女性を殴り倒すようなことをしようなどとは
全く思わない。
想像力不足なのかもしれないし、
彼への愛が足りないのかもしれないし。
何とも分からないけれど、世の中にはものすごい
想像力と思い込みにより、
彼を奪い去られると恐怖におびえるタイプの
かわいい女性もいるのだ。
そういう事でオロオロしたり、ドキドキしたり、イライラしたり、
ワクワクしたり、そういうのが人間の醍醐味ってやつかもしれない。
久しくその感情を忘れているなぁ。
と、なぜか突然思い出します。
ちなみに後日話し合いが行われた際、
入った喫茶店の2畳近くはあろうかという
窓ガラスをその女性はグーで割りました。
女の怨念あな恐ろし。
ボンバードラミ
2009/10/02 19:00@祖師谷大蔵「CAFE Muriwui」
世田谷区祖師谷4-1-22-3F, 世田谷区, 東京都
Cost: 投げ銭
c a f e M U R I W U I
03-5429-2033
muriwui@cafe.email.ne.jp
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/
4-1-22-3F Soshigaya Setagaya
Open: 12pm-9pm/ Closed:Tue
「Gradation Pocket meets Pinokio画伯」
bombar(vo,gt,kb) yasuhiko ochi(eb) ピノキオ画伯
もしかしたらまた櫻井響(HBB)SEONIOUS(VOICE) なども参加してくれ、
動物園と化すやもしれない。
前半は何とか絵と音楽を気持ち悪く演出できればと思う。
実家は居心地が良い。
なんでもある。
上げ膳据え膳。
テレビ
おいしいご飯
広い部屋
ピアノ
両親の気配(これは有難い半面ストレスも多い;)
しかし
やはり今の私に必要なのは
黙々黙々(いつまでだーっ)
淡々淡々と
一人で生活すること
であると
叔父が先日ひと月の間に二人逝った。
猫も逝った。
当たり前だけれど
すべてはゆるやかに
収束する方向へ向かっている
いずれは両親も逝く
普通の順番であれば
一人で生きていることが
当たり前になっていないと
とてもではないが耐えられそうもない
だからこそ
人と人は
常に呼び合っているのだ
であればこそ
呼び合える関係の
なんとありがたいことよ
仲間友人の存在の
有難さは
年を追うごとに深まっていく
準備準備
物件チェックを進めて
一軒目にしてほぼ確定という
素晴らしい物件に行き当たりました
立川です
大きな街ですが
一歩外れると緑地が広がっています
相変わらず駅から遠いのが好きです
バイトには不便だけど
多摩川の支線沿いに遊歩道があって
早速シギの2羽に遭遇
ぶもぅぶもぅ
お。
ウシガエルっ(^^;)
そんなこんなで
まだはっきりしないけれど
多分立川に行くことになります。
乗馬、バイト、音楽、
この三点の
人生バミューダトライアングル
の真ん中がここです
遭難しないようにしないとね
いやいや。
仕事ちょうだいよーっ
とそこらじゅうに喚き散らしていたら
仕事がめでたく入りました。
8月17日ラウンジダコダ
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/0425428787/index.html
ですね。
あぁ素晴らしい。
呼んで下さったのはピアノの佐久間優子さん。
あぁ。素晴らしい。
このまま引退かと思ったがまだありましたね。「仕事~っ❤」
嬉々。
年末に向けて(もうかいっっ!)画伯とのコラボリなども予定しており、
録音とあいまってもう完全に超忙しくなってきました。
久々のジャズですが今回は曲をすべてリニューアルしていくようなつもりでやってみようと思います。
やはり時事ネタは大事であり、マイケルジャクソンなんかを取り入れていきたいですね。
・・・。無理ですね。(^^;)
後で自分の文章を見返すと
何言ってんだろうね
と
思いますね。
ベースはやはり西川輝正(cb)兄にでした。
今マイケルジャクソンじゃないけれど曲仕込んでいます
ビートルズですね。ビートルズもやってるし、music manという映画の中の曲でもあります。
あとは映画マイフェアレディーの中から一曲。
それとオスカーピーターソンがやっててめっちゃ良かった1938年のミュージカルからの曲をやろうと思います。
新曲目白押し。
間に合うのかっ!?
最低限抑えておく必要のある重要事項がいくつかあるような気がする。
それは「定理」のようなもので
正三角形とは、
三辺の長さが同じで、内角の和が180度で、一角が60度である
という大原則があるように、
そこにどんな色を塗ろうが、どこに置こうが、
それが正三角形であるという
事実は覆らない。
そのようにして仕事をとらえるとき、
それは「人ありき」
という事になるのではないかと思うのだ。
人ありき、つまり需要があるということで。
需要がないのなら供給は必要ない。
という事にもなる。
(日本で)どのような音楽が受需要されているのか?
この命題にこたえられる音楽だけが供給として存在しうることになる。
ところで現在の日本においてどのような音楽が受需要されているのだろうか?
①癒す力のある音楽
②元気づける力のある音楽
③勇気づけられて活力の与えられる音楽
以下ずーっとリストは長いと思われるが、
上記が受容の高い位置を占めてきているような気がする。
統計をとったことはないからわからないけれど、
お客さんが演者をほめてくれようとするとき
一番出てくるのがこれらのセリフだからだ。
「癒された。」
「元気が出た。」
「やる気が出た。」
「面白かった。」
「笑えた。」
すなわち、日本のお客様は(外国は知らない)金を払う見返りに
それらの欲求が満たされると満足感を得られるという事にもなる。
ところがブルーノートで聴くような演奏に感じることは
「自分の中の孤独が浮かび上がってくるようだ。」
「怖くてちびりそうになった。」
「見るにほぼ堪えないような痛くえぐられるものがあった」
「長い階段を上ってお寺にお参りしようとしたら、そこの本尊の鏡に自分が映っていた。」
「数学の美しくも完ぺきな宇宙を見るようだった」
というようなおよそ癒しとはま逆の、
山登りのような激しい孤独のとの戦いに
見事に競り勝っていこうとしている、
究極に研ぎ澄まされた音のみ
織りなすことが可能な、繊細な調べへの挑戦
というべき世界からのアタックをどう受け止めるか
というレシーブ力が試される問題提起なのだ。
それは演者にとっては、自由への挑戦であり
自然への挑戦でもある。
あるいは調和といってもいのかもしれない。
が当の本人たちにしてみれば「タタカイ」
以外の何でもないような気がする
お客さんが得られるのは
その険しさの末端に触れさせてもらう喜びであったり、
そのような過酷な戦いに出る者への畏怖
のような気持ちであったり、
翻って自分を深く見つめ見つける行為への
誘発的導眠剤としての有難さだったり。
(日本でこういうものを提供できるのは伝統芸の世界だ。
落語。能。歌舞伎。これも乱暴な話で、
実際そういうものを提供できるのは
実はその中のごく一部なのかもしれない。)
少なくともわっちにとって音楽とはそのようにして
接し、対峙すべき、山のような存在であって、
普段は見るのも嫌だから
なるべく見ないようにしている。
これに挑戦する時にはしかるべき準備が必要で
精神的充実、肉体的充実、いろんな意味での余裕。
これらがすべてバランスよく揃った時のみ、
ちょいチラミして
「うわっ~o(><)oたっか~っ。見なきゃよかった。
でも仕方ないから10メートルだけアタックしてみよう」
などという日和見的アプローチが限界の超ビッグマウンテンなのだ。
それをなんとか受けとめレシーブして返す玉には
今のところ余裕成分などは一ミリグラムも含まれておらず、
それによってお客様への配慮(癒し元気付け勇気づけ)
なども一切含まれ無いこととなってしまい、
これは大変申し訳がないなと思いつつも
だからと言ってこれをどう出来るものでもない。
うむ~っ
などと唸っているうちにどんどん日が過ぎてしまい、
山は過酷で険しいままで、
登る力だけはどんどん奪われていくという
恐怖的時間との戦いを強いられている。
ところが
やめてしまうのは歯を磨くより簡単だという
誘惑的撤退への道が
用意されており、
そういえば始めるときにも、
先輩ミュージシャンに
「ジャズボーカルってのはどうやってなるもんですかい?」
と聞くと
「なろうと思った時になれるんだよ」
と。
入口と出口だけは妙にゆるゆるな世界でもあったのだ。
日本において需要が集中する音楽は施術的であり(マッサージのような音楽)
外国が提供してくれる音楽は挑戦的で受け止める力を試してくるような(アレーボールのアタックのような音楽)ところがあるともいえる。
受け入れる日本ではこれらの挑発的音楽を「パンダ的」に受け入れている気がする。
「月の石的」と言っても良い。
マッサージのような音楽を受け止めるには
疲れていれば良いという非常に楽な立場にお客さんはある。
挑発的自己啓発的音楽はどう受け止めるのか、レシーブ力が試されるテストのような音楽だからお客さんは疲れている場合ではなくなる。
それなりに精神的充実、肉体的準備という要素が伴い、お客さんにも日ごろの努力(いろいろ聞いたり感じたり)する必要も出てくる。
ところがこの音楽の小癪なところは、疲れてる人がただ慰めてもらうだけの音楽としても一見機能してしまうところなのだ。
おぬしなかなかやるななのだ。
疲れてる人はただその中でたゆとうているだけでも
癒やされて気持ちがよいのだ。
ところが、実はそこには歴史への挑戦
新たな歴史への橋渡しというような
途方もない挑戦も陰ながら含まれており、
そこが何とも言えない魅力の源になっているものと思われる。
パンダ、月の石的に受け入れる場合
「ちょっと~ついに7年の沈黙を破って誰それが来日だってよ~っ」
「わーっ。じゃぁ見ておかなきゃ。」
これはレシーブ力を必要としない受動であるから、これなら疲れていても良しである
。
つまり総合して考えると
日本で需要に耐えうる演奏をするためには
演者はマッサージ的技法を身につける必要があり、
これをうまく習得し演奏にちりばめ生かすことのできる人が
生き残っていけるという事にもなってくる。
あるいは月の石的に逆輸入に耐えるような
資質を提供する必要がある。
そこでわっちは
一念発起して
逆輸入を目指していこうと思います。
なんなら年末まで一切予定なし。
引退していないのに引退した体になっている~るるるる~。
きつねさえ出やしない。
録音さえ進んでいない。
っるるるるる~っ!!!!!
うー。
こんな時に限ってみんな思い出したように連絡をくれて、
次の演奏はいつですか?
なんて聞いてくれたりするんだなぁ。
はっはっはっ。
かなしいねぇ。
仕事がなければ次の演奏はないんだよ。
永遠に。
今まで何だかんだ次々と次があったことがすでに奇跡のようだ。
仕事くれ~。
「吉原炎上」で西川峰子さん演じる花魁の壮絶な最期。
“仕事ちょうだいよ~っ”
シーンとオノレの境遇が重なってきちゃう。ょょ。(TT)
試したいことはたくさんあるんだがなぁ。
試させてくれるアトマスフィアがうまく立ち上がらない。
場所。保障。共演者。
すべては自分の技術不足だから何もいえん。
だいぶ馬で上達させてもらったんだけどな。
馬で上達してますと言ってもいまいち説得力がない。
それどころかウタからウマに乗り換えた。
と思われてしまう。(^^;)
気持ちわからないではないけど。
演奏への独特なこだわりが生まれつつあり、
これをジャズのスタンダードの曲にも応用できたら
結構完成されていくはずなんですが。
これが伝わらない。伝えられない。
うまくいかない。
行かせることが出来ない。
ま。自分の技術不足という事で。
練習あるのみ以上。
合掌。
ち~ん。
だから特に何もなくて正解なのかもしれない。
練習で上達できない人にライブをやらせる必要はない
ライブがやりたくてやりたくてしょうがなくなるまで
ひたすら練習をしてみるしかないのだ。
録音技術を高めたり。
やることは山のようにある。
それはあたかも、
書類の山をきれいに棚に収め直す作業のようで。
地道な秘書作業をしている感覚に近い。
一枚一枚散乱した書類を手にとって・・・
そもそも散乱しているのはなぜかって、
地震が起きたんだな。
天地が揺らいで全て棚の中身が
あたりにドバッと散乱してしまったの。
で、呆然としつつも、手にとった書類を見て、
前あった場所に戻すのではなく、
せっかくこんなに根本的にグチャグチャなんだから、
いっそ分類し直そうと思ったのね。
で、棚のどの位置に度の類の書類が入るのかという事でまず悩むんだ。
よく目を通すものは取りやすい位置に。
とか考えるわけじゃん。
取りやすい位置ってそもそもどこよ?
ってことになり、
しからば、部屋の模様替えもしなくては、
となり、
そうなると、いらない家具を捨てるというような作業も出てくる。
最初とかけ離れたことをやりだしてしまう。
これが馬を始めた経緯ですね。
いらない家具を捨てる=乗馬。
これは必要な工程なのですよ。
最後には書類がしかるべき位置に整理され収まる。
はず。(^^;)
なのら?
なんて言っているうちに次の地震が来てしまいそうで。
わっちの進みの鈍さから言うと、人生は一回では到底足りない。
人生10回分くらいあれば少しは前に進めるのかな。
それともただ10分の一に薄まるだけなのかな。
広島を2、3日の滞在で語ることはできないけれど、
広島で新鮮に映ったことを通して
東京の様々な当たり前と思っていたものが
実はどうも違うらしいという事がより見えて来る。
大変有意義な。
しかも発見のそこここに多い旅でした。
で。
報告は後ほど。
今咀嚼中。
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
⇒都内ツアーのスケジュール詳細
⇒my space音楽配信
⇒youtube風に還る日
⇒youtubeニレの木祭り
⇒youtubeニレの木祭り2
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |