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●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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仕事には様々な側面があるようなものの、
最低限抑えておく必要のある重要事項がいくつかあるような気がする。

それは「定理」のようなもので
正三角形とは、
三辺の長さが同じで、内角の和が180度で、一角が60度である
という大原則があるように、
そこにどんな色を塗ろうが、どこに置こうが、
それが正三角形であるという
事実は覆らない。

そのようにして仕事をとらえるとき、
それは「人ありき」
という事になるのではないかと思うのだ。
人ありき、つまり需要があるということで。
需要がないのなら供給は必要ない。
という事にもなる。

(日本で)どのような音楽が受需要されているのか?

この命題にこたえられる音楽だけが供給として存在しうることになる。

ところで現在の日本においてどのような音楽が受需要されているのだろうか?
①癒す力のある音楽
②元気づける力のある音楽
③勇気づけられて活力の与えられる音楽
以下ずーっとリストは長いと思われるが、
上記が受容の高い位置を占めてきているような気がする。
統計をとったことはないからわからないけれど、
お客さんが演者をほめてくれようとするとき
一番出てくるのがこれらのセリフだからだ。
「癒された。」
「元気が出た。」
「やる気が出た。」
「面白かった。」
「笑えた。」

すなわち、日本のお客様は(外国は知らない)金を払う見返りに
それらの欲求が満たされると満足感を得られるという事にもなる。

ところがブルーノートで聴くような演奏に感じることは
「自分の中の孤独が浮かび上がってくるようだ。」
「怖くてちびりそうになった。」
「見るにほぼ堪えないような痛くえぐられるものがあった」
「長い階段を上ってお寺にお参りしようとしたら、そこの本尊の鏡に自分が映っていた。」
「数学の美しくも完ぺきな宇宙を見るようだった」

というようなおよそ癒しとはま逆の、
山登りのような激しい孤独のとの戦いに
見事に競り勝っていこうとしている、
究極に研ぎ澄まされた音のみ
織りなすことが可能な、繊細な調べへの挑戦
というべき世界からのアタックをどう受け止めるか
というレシーブ力が試される問題提起なのだ。
それは演者にとっては、自由への挑戦であり
自然への挑戦でもある。
あるいは調和といってもいのかもしれない。
が当の本人たちにしてみれば「タタカイ」
以外の何でもないような気がする
お客さんが得られるのは
その険しさの末端に触れさせてもらう喜びであったり、
そのような過酷な戦いに出る者への畏怖
のような気持ちであったり、
翻って自分を深く見つめ見つける行為への
誘発的導眠剤としての有難さだったり。

(日本でこういうものを提供できるのは伝統芸の世界だ。
落語。能。歌舞伎。これも乱暴な話で、
実際そういうものを提供できるのは
実はその中のごく一部なのかもしれない。)

少なくともわっちにとって音楽とはそのようにして
接し、対峙すべき、山のような存在であって、
普段は見るのも嫌だから
なるべく見ないようにしている。
これに挑戦する時にはしかるべき準備が必要で
精神的充実、肉体的充実、いろんな意味での余裕。
これらがすべてバランスよく揃った時のみ、
ちょいチラミして
「うわっ~o(><)oたっか~っ。見なきゃよかった。
でも仕方ないから10メートルだけアタックしてみよう」
などという日和見的アプローチが限界の超ビッグマウンテンなのだ。

それをなんとか受けとめレシーブして返す玉には
今のところ余裕成分などは一ミリグラムも含まれておらず、
それによってお客様への配慮(癒し元気付け勇気づけ)
なども一切含まれ無いこととなってしまい、
これは大変申し訳がないなと思いつつも
だからと言ってこれをどう出来るものでもない。
うむ~っ
などと唸っているうちにどんどん日が過ぎてしまい、
山は過酷で険しいままで、
登る力だけはどんどん奪われていくという
恐怖的時間との戦いを強いられている。

ところが
やめてしまうのは歯を磨くより簡単だという
誘惑的撤退への道が
用意されており、
そういえば始めるときにも、
先輩ミュージシャンに
「ジャズボーカルってのはどうやってなるもんですかい?」
と聞くと
「なろうと思った時になれるんだよ」
と。
入口と出口だけは妙にゆるゆるな世界でもあったのだ。

日本において需要が集中する音楽は施術的であり(マッサージのような音楽)
外国が提供してくれる音楽は挑戦的で受け止める力を試してくるような(アレーボールのアタックのような音楽)ところがあるともいえる。
受け入れる日本ではこれらの挑発的音楽を「パンダ的」に受け入れている気がする。
「月の石的」と言っても良い。
マッサージのような音楽を受け止めるには
疲れていれば良いという非常に楽な立場にお客さんはある。
挑発的自己啓発的音楽はどう受け止めるのか、レシーブ力が試されるテストのような音楽だからお客さんは疲れている場合ではなくなる。
それなりに精神的充実、肉体的準備という要素が伴い、お客さんにも日ごろの努力(いろいろ聞いたり感じたり)する必要も出てくる。
ところがこの音楽の小癪なところは、疲れてる人がただ慰めてもらうだけの音楽としても一見機能してしまうところなのだ。
おぬしなかなかやるななのだ。
疲れてる人はただその中でたゆとうているだけでも
癒やされて気持ちがよいのだ。
ところが、実はそこには歴史への挑戦
新たな歴史への橋渡しというような
途方もない挑戦も陰ながら含まれており、
そこが何とも言えない魅力の源になっているものと思われる。

パンダ、月の石的に受け入れる場合
「ちょっと~ついに7年の沈黙を破って誰それが来日だってよ~っ」
「わーっ。じゃぁ見ておかなきゃ。」

これはレシーブ力を必要としない受動であるから、これなら疲れていても良しである


つまり総合して考えると
日本で需要に耐えうる演奏をするためには
演者はマッサージ的技法を身につける必要があり、
これをうまく習得し演奏にちりばめ生かすことのできる人が
生き残っていけるという事にもなってくる。
あるいは月の石的に逆輸入に耐えるような
資質を提供する必要がある。

そこでわっちは
一念発起して

逆輸入を目指していこうと思います。
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start 20:00~¥2000


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profile
ボンバードラミ

10月1日火曜日生まれ
天秤座 A型 寅年

職業:天職探し中
趣味:考えること
気質:ゾウ的
着物を着て、馬に乗って、作った音源を売り歩く。
そんな夢を実現するために格闘悶絶,抱腹絶倒,七転八倒三歩進んで五歩下がる日々を恥も外分もなく送る生き物。


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