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●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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低く分厚く垂れ込める春の嵐の傍若無人。



音を可視化する。
テキスチャはこんなかんじ。



音楽は音を楽しむだ。
音の持つ構造、音色、リズム、ハーモニー、色、雰囲気。



バランス。ユーモア。
全ては楽しむための要素。
音を楽しまず
意味を楽しむのは
きらいだ。
だから歌詞は意味不明になってまう。
共感されないと評価されない。
共感できないことを評価されたい。

受けてに様々な音楽的要素を
認識する素地が無い
与えてにも、
表現する力がない。

のぺっとした音を聴かされれば
受けても歌詞の意味くらいしか
みるべきポイントが見出せない。

型の中にハマった音楽は
のぺっとしやすいように思う。

やる側に、何をどう膨らませ、
どんなアプローチで何を表現するのか
というスタンスが見えないからだ。

カバーにしても
最低限これを表す
明確な表したい事が無いカバーは
タダの盗みヤリになってしまう。

盗むなら盗むで芯の底から完璧に

では何を持ってして完璧?

何故かっこ良く感じて
やりたいくらいの気持ちになったのかを音楽的なスタンスから言葉に変えられなければ駄目だ。



音楽を言葉に置き換えられた
その分だけ獲得したと言っていいんじゃないのかな。



自然から習う
何を習うのか
まず感情や気持ちは
必要ないということ。
打たれたり感激するのは
受けての特権であり、
担いては受けてから
シフトチェンジするときに
感情を全て音に
転換しなくてはならない。
感情の塊で演奏に臨めるのは
全てを音に転換し終わっても
まだ余剰に感情が
余っている場合だけだ。
本来余らず余裕は無いはずさ。
もちろん一度しか無い人生
いまいる人達と
楽しみながらやりたい
ならそれは自由だろう
しかし私は理解してもらえなく
結果、イマイチ楽しんで
もらえなくても
私が理解したから、
この辺に関しては、
という証しを
残したい。
誰にもわかってもらえないけど
私はわかったよ。
それはみたことも無い動植物の
みたことも無い生態を
発見した瞬間にもにている。

ソレがアルバムであり、
音楽だ。

独特だとよく言われるが
それはみんなが見倒している
一番人気的な側面以外の部分を
みているからだと。
だってそうじゃない。
そこで勝つのは不可能だよ。
競争率高すぎ!
GOODデザイン賞を目指して
アイデア商品をつくるしかないよ。



視点とアイデアと工夫とユーモアしか
残されて無いんだ。

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profile
ボンバードラミ

10月1日火曜日生まれ
天秤座 A型 寅年

職業:天職探し中
趣味:考えること
気質:ゾウ的
着物を着て、馬に乗って、作った音源を売り歩く。
そんな夢を実現するために格闘悶絶,抱腹絶倒,七転八倒三歩進んで五歩下がる日々を恥も外分もなく送る生き物。


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