●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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ミュージックチャージが7000円と聞くと人はべらボーに高いと感じることが多い。確かに家賃もあるし、光熱費や食費もある。それに対して稼いでいる給料を考えれば当然の経済感覚だ。むしろまともだ。
しかし実際はどうなのか。
例えば肉にもランクがあり、100g70円のその辺の肉から、高級松坂牛血統書付100g30000円なんというのもある。(多分)。
音楽やゲージュツの場合その辺りが曖昧模糊としており、人がそう感じれはあなたはその辺の肉70円にもなるし、同時に30000円の肉にでもなることができる。彼らの値打ちは本当に7000円なのか?
本当はどうなのだ。
先日俳優が作家に転身してあっという間に賞をとって2000万円の賞金を辞退したというかっこ良すぎるニュースが世間を騒がせた。
これを世間はどう見るだろう。
出来レース。俳優から作家への華麗なる転身。人気俳優からの転向だから誰もが注目しているだけで本当は作家の才能は無い。など様々な憶測が飛ぶ。
一つ言えるのは作家として本気でやろうと思うなら名前は伏せておくべきだったということだ。(もしかしたらそうだったのかもしれない。そうして当然のことだし、その中でも彼の作品が光ったとしてもちっともおかしくはない。)
なぜならこれを見る世間は彼の俳優としての偉業を完全に無視して本だけを取り出してそれを正当に評価する力がないからだ。
(もちろん私を含め)
それが何の肩書もなく、タダの誰かの本としてその辺の誰か達の本と混ざった時にも輝いていて、そして賞を取った場合の喜びこそが本当の作家としての喜びだということを彼もどこかで感じているはずだ。
もし選考委員たちにあらかじめ名前が知れていてこの賞を取ったとしたら、少なからず彼は違和感を覚えるべきだ。覚えたに違いない。
彼は世間が彼を評したように自分を30000円の松坂牛だとは思わないはずだ。
あるいは逆に俳優だか何だか知らんが作家としては70円の屑肉同然じゃ!という評価にも納得はできない。
なぜなら彼の書いたものは、その間のどこかにあるのであって、そのどちらか一方では無いからだ。
それが300円なのか26000円なのかは分からない。
そこには数値化できない相対的な価値基準がありながらもその間の精密なこの辺りという見えないラインがあるのだ。
あるはずなのだ。
それが鮮明に描けるようになればなるほど己を知るという行為に近づいていくのではないかと思う。
少なくともロバートグラスパーの公演ワンステージ7000円は今の私にとってはタダも同然だ。
自分の演奏で2000円(狂気の沙汰^^;)もとれるんだからクラスパーのステージが30万円だって文句は言えない。
まぁ、経済の仕組みからいって、能力に応じたチャージを取るということは
現実的に不可能だけれど。
彼らが7000円なら私は2円とか。。。(^^;)死ぬって。
綺麗にに正比例させる必要はどこにもないけれども、(7000:2が正比例なのかどうかも怪しいね。)
少なくとも彼らのステージが自分のステージと比較して安いのかどうかについては今の自分の置かれた状況から判断すること(しようと試みること)は重要だ。
高いと思うのならそれは自分というものを誤って判断している可能性があるからだ。それは自分の音楽におぼれ、必要以上に自分を凄いものだと思い過ぎている可能性をはらむ危険な考えなのだ。少なくとも音楽をしている人間にとってはということだけれども。
経済的困窮問題が絡まるからのこの辺りは正確な判断をしにくいところではある。
しかし、安いと思えるのなら飲み会を2回パスすればこの費用は捻出可能なのだ。タバコをしばらく我慢すれば賄える。
絶対無理な額ではないのだ。
200万のオーディオセットが破格の値段6万円で売っていたら買うのか?
という突っ込みに対しては、もしオーディオが欲しいと思っていたのならそれは間違いなく買いですとしか言えません。
経済的に6万を出すのは厳しいけれど。親に借りてでも買います。
ごちゃごちゃ言ってますが、ただ単に。
今ロバートグラスパーがめっちゃ欲しいんです。
クリスデイブとロバグラがめちゃめちゃ身体に入れたい。
そういう意味で無く。(^^;)。
だからいくらだったとしても買わないわけにはいかない。
そしてそれが破格の安さに感じられるうちはまだ己を見失ってはいない。
しかし見失っていないということは、客観的に歴然たるその差の距離を痛感させられるわけで。やる気は失せるけどね。もちろん。(^^;)どっちに転んでも苦しいのに変わりはないわけだ。
ま、少なくとも高いと感じるくもりガラス状態の苦しさではないだけマシと言えなくはない。
距離が見えたほうが絶望は強い。痛さも壮大。
だけど自分はよもや彼らの近くにいると錯覚して、気付かない愚かさのなかで痛くも無いよりははるかにまし。
マシというだけさ。
はは(^^;)
というわけで二日通います。
1日は悔しいことに自分の演奏が入っているのです。
前に演奏でよかったよ。後だったら間違いなく逃亡していることでしょう。
・・・。まぁ後にも演奏は控えてるんだけどね。
ほっほっ。
見終わった後その距離がどれほどのものか今より正確につかめることがまずしたいこと。勘違いの誤差がどれほどかも。
300キロだと思っていたのに実は297キロかもしれない。300だと思ってたのに実は590キロかもしれない。
こういう誤差が減ることが重要。
300キロだと思ってたのに3万光年だったということにだけはならないようにしたいよね。
でもこれってそうなりやすいんだよね。
どれだけ注意しても自分には甘い。
はは(^^;)
しかし実際はどうなのか。
例えば肉にもランクがあり、100g70円のその辺の肉から、高級松坂牛血統書付100g30000円なんというのもある。(多分)。
音楽やゲージュツの場合その辺りが曖昧模糊としており、人がそう感じれはあなたはその辺の肉70円にもなるし、同時に30000円の肉にでもなることができる。彼らの値打ちは本当に7000円なのか?
本当はどうなのだ。
先日俳優が作家に転身してあっという間に賞をとって2000万円の賞金を辞退したというかっこ良すぎるニュースが世間を騒がせた。
これを世間はどう見るだろう。
出来レース。俳優から作家への華麗なる転身。人気俳優からの転向だから誰もが注目しているだけで本当は作家の才能は無い。など様々な憶測が飛ぶ。
一つ言えるのは作家として本気でやろうと思うなら名前は伏せておくべきだったということだ。(もしかしたらそうだったのかもしれない。そうして当然のことだし、その中でも彼の作品が光ったとしてもちっともおかしくはない。)
なぜならこれを見る世間は彼の俳優としての偉業を完全に無視して本だけを取り出してそれを正当に評価する力がないからだ。
(もちろん私を含め)
それが何の肩書もなく、タダの誰かの本としてその辺の誰か達の本と混ざった時にも輝いていて、そして賞を取った場合の喜びこそが本当の作家としての喜びだということを彼もどこかで感じているはずだ。
もし選考委員たちにあらかじめ名前が知れていてこの賞を取ったとしたら、少なからず彼は違和感を覚えるべきだ。覚えたに違いない。
彼は世間が彼を評したように自分を30000円の松坂牛だとは思わないはずだ。
あるいは逆に俳優だか何だか知らんが作家としては70円の屑肉同然じゃ!という評価にも納得はできない。
なぜなら彼の書いたものは、その間のどこかにあるのであって、そのどちらか一方では無いからだ。
それが300円なのか26000円なのかは分からない。
そこには数値化できない相対的な価値基準がありながらもその間の精密なこの辺りという見えないラインがあるのだ。
あるはずなのだ。
それが鮮明に描けるようになればなるほど己を知るという行為に近づいていくのではないかと思う。
少なくともロバートグラスパーの公演ワンステージ7000円は今の私にとってはタダも同然だ。
自分の演奏で2000円(狂気の沙汰^^;)もとれるんだからクラスパーのステージが30万円だって文句は言えない。
まぁ、経済の仕組みからいって、能力に応じたチャージを取るということは
現実的に不可能だけれど。
彼らが7000円なら私は2円とか。。。(^^;)死ぬって。
綺麗にに正比例させる必要はどこにもないけれども、(7000:2が正比例なのかどうかも怪しいね。)
少なくとも彼らのステージが自分のステージと比較して安いのかどうかについては今の自分の置かれた状況から判断すること(しようと試みること)は重要だ。
高いと思うのならそれは自分というものを誤って判断している可能性があるからだ。それは自分の音楽におぼれ、必要以上に自分を凄いものだと思い過ぎている可能性をはらむ危険な考えなのだ。少なくとも音楽をしている人間にとってはということだけれども。
経済的困窮問題が絡まるからのこの辺りは正確な判断をしにくいところではある。
しかし、安いと思えるのなら飲み会を2回パスすればこの費用は捻出可能なのだ。タバコをしばらく我慢すれば賄える。
絶対無理な額ではないのだ。
200万のオーディオセットが破格の値段6万円で売っていたら買うのか?
という突っ込みに対しては、もしオーディオが欲しいと思っていたのならそれは間違いなく買いですとしか言えません。
経済的に6万を出すのは厳しいけれど。親に借りてでも買います。
ごちゃごちゃ言ってますが、ただ単に。
今ロバートグラスパーがめっちゃ欲しいんです。
クリスデイブとロバグラがめちゃめちゃ身体に入れたい。
そういう意味で無く。(^^;)。
だからいくらだったとしても買わないわけにはいかない。
そしてそれが破格の安さに感じられるうちはまだ己を見失ってはいない。
しかし見失っていないということは、客観的に歴然たるその差の距離を痛感させられるわけで。やる気は失せるけどね。もちろん。(^^;)どっちに転んでも苦しいのに変わりはないわけだ。
ま、少なくとも高いと感じるくもりガラス状態の苦しさではないだけマシと言えなくはない。
距離が見えたほうが絶望は強い。痛さも壮大。
だけど自分はよもや彼らの近くにいると錯覚して、気付かない愚かさのなかで痛くも無いよりははるかにまし。
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■7/29(mon)
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西海しげる(gt)
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