●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
うちの猫さんは何とか持ちなおしています。
発作は計5回くらいはあったのですが、テルミーという民間療法の煙を毎日のようにかけてやると次第におさまり、食欲も出て、なんと体重が増えました。
知人で犬が同じことになったという人に聞いたら、最初の発作から5年は生きたと言っていました。
さすがにそれは無理だと思うけど、もうそろそろなんだなと気持ちの準備をさせてくれているみたいでひたすらありがてえことであります。
暑い日や寒い日が交互にきてオカシイねと思ったら今度は地震まで来た。地域の皆様は不安な夜をお過ごしであろう。なんかねぎらいの歌をみんなで手をつないで歌いたい気分です。
歌ってそういう時のためにあるんでないでしたっけね?眠れぬ夜にみんなで手に手を取って。
ライブハウスや店にこもって限定的な人の前でやることにものすごい違和感を覚える最近であります。前から違和感はずっとあるけどこのところ特に世界では天変地異が頻発し、特に、それどころではないという雰囲気が漂い始めています。
今こそまさに歌の力が発揮されるときという時になぜ・・・。
この間の住民運動で歌わせてもらった時もそうだけど、とにかくこちとら、何かの役に立って歌ってないとやっぱり気持ちが悪い。役に立つかどうかもわからないのだけれど、先方に要求があってそれに答える、あるいは、答えようとするために演奏する。こうでないとおさまりが悪い。決まりが悪い。気持ちが悪い。
それがジャズ喫茶だろうがチャリティーコンサートだろうが慰問だろうが。
だから好きなことをやって良し、という箱貸しのお店に、自ら志願して出向いて出演する時は自己矛盾の限界点臨界点超えであります。
お店の方針がたまたま「好きなことやって良し」でお店が呼んでくれているならそれは胸をなでおろす状況なのですけど。
演奏者がカラオケに行かないのと同じ原理じゃないかと思う。
乗馬センターの指導員がわざわざ休日に金払って馬に乗りにいかないのとおなじだと思います。
けれど指導員でも金を払って乗りに行きたいときが全くないわけではない。それは指導者が生徒になれるくらいレベルの高い講義が行われている所に行く時だろう。
それはわっちの場合オリジナルをやるときとジャズを学ぶときです。
オリジナルが稚拙なのは間違いないんだけど、2、3年これに取り組むうちに、初めてどうやりたいかとか色々見えて来たのです。それをジャズにフィードバックさせるとまた違う側面がジャズから還ってきてオリジナルを刺激してくれる。
先生級の演奏家が、しかもわっちの知らないうちにひょいひょいとどうやら舵取りを裏の裏の裏あたりでしてくれているみたいなんです。
それがどれだけ大変な事か。
他人の演奏で気に入らないところなんて、あっという間に見つかるし、一端見つかったら気になってしょうがなく、故にもう一緒に演奏できないなんてことにすぐなる。
その原理で行くと、先生級の人は誰とも演奏できない。
ところが先生級の人は違う。
対象が気付けるくらいの疑問を、それに向かって葛藤できるくらいの小石をポンと投げいれてくる。
で、知らず知らずのうちにこっちはその小石と格闘して、ふと気付くと様々な問題が変質していることに気付く。
問題はクリアーされるのではなく変質するのだと最近つくづく思います。
point of view(視点)が変わることなんです。
別の角度から見ると同じ問題は全く違う様相を呈している物であり、
さらにその日の天候(空間)や、自分の年齢や(時間)、気分(感覚)などによっても視点が勝手に変わっていく。
このあたりは着付けも乗馬も全部一緒で奥が深くて面白いのです。
で先生はそれを見てまた勝手に面白がる。
けど今のわっちの演奏生活の状況は
そう
たとえて言うなら
超高性能のシャベルをつくる奥深さが面白いからと、シャベルづくりにのめりこむ反面、掘るべき土がないやるせなさを同時に噛みしめる感じに近い。
着付けや乗馬はシャベルを磨いてりゃよい。
奥深い。
楽しい。
面白い。
以上。
しかし演奏は掘るべき土があって初めて成立する。
完璧に磨きあがったどんな硬い土をもものともしないシャベルも、家に飾られているだけでは宝の完全持ち腐れ状態である。
だからといって、性能を試すために庭の土を掘って、確かに素晴らし性能を確認できたからと言って何の意味があろうか?
このシャベルを必要としてくれる所へ行って、あるいはここは掘り返すべきだと思えるところへ自ら足を向けてがっつり掘ってこそ、初めてそのシャベルの効力というものが発揮されたと言えるのではないか?
そもそもこのシャベルはまだ土を掘れる段階に無いだろうなんてついマイナス思考になってしまう。
スポンサーもいないからシャベルの宣伝が全くされてない。
問題は山積中。
しかして、もう一方では
ごちゃごちゃ言ってんじゃねー!!!
掘れなきゃ、んなシャベルはとっとと捨てて素手で掘りやがれ!
という声が聞こえてくる。
猫さんや地震や様々な天変地異が最近そう訴えかけてくる。
もう時間はあまり残されていないのかもしれない。
地球規模的な意味合いで。
もし新たな生物が天から降ってきたとしても、もうあんまり驚かない気がする。そのくらい世界は悲痛な雪崩を起こし始めている気がする。
ドミノに触れちゃった感じか。
ざわつくものがある。
ひりひりするものがる。
気持ちわりーです。
発作は計5回くらいはあったのですが、テルミーという民間療法の煙を毎日のようにかけてやると次第におさまり、食欲も出て、なんと体重が増えました。
知人で犬が同じことになったという人に聞いたら、最初の発作から5年は生きたと言っていました。
さすがにそれは無理だと思うけど、もうそろそろなんだなと気持ちの準備をさせてくれているみたいでひたすらありがてえことであります。
暑い日や寒い日が交互にきてオカシイねと思ったら今度は地震まで来た。地域の皆様は不安な夜をお過ごしであろう。なんかねぎらいの歌をみんなで手をつないで歌いたい気分です。
歌ってそういう時のためにあるんでないでしたっけね?眠れぬ夜にみんなで手に手を取って。
ライブハウスや店にこもって限定的な人の前でやることにものすごい違和感を覚える最近であります。前から違和感はずっとあるけどこのところ特に世界では天変地異が頻発し、特に、それどころではないという雰囲気が漂い始めています。
今こそまさに歌の力が発揮されるときという時になぜ・・・。
この間の住民運動で歌わせてもらった時もそうだけど、とにかくこちとら、何かの役に立って歌ってないとやっぱり気持ちが悪い。役に立つかどうかもわからないのだけれど、先方に要求があってそれに答える、あるいは、答えようとするために演奏する。こうでないとおさまりが悪い。決まりが悪い。気持ちが悪い。
それがジャズ喫茶だろうがチャリティーコンサートだろうが慰問だろうが。
だから好きなことをやって良し、という箱貸しのお店に、自ら志願して出向いて出演する時は自己矛盾の限界点臨界点超えであります。
お店の方針がたまたま「好きなことやって良し」でお店が呼んでくれているならそれは胸をなでおろす状況なのですけど。
演奏者がカラオケに行かないのと同じ原理じゃないかと思う。
乗馬センターの指導員がわざわざ休日に金払って馬に乗りにいかないのとおなじだと思います。
けれど指導員でも金を払って乗りに行きたいときが全くないわけではない。それは指導者が生徒になれるくらいレベルの高い講義が行われている所に行く時だろう。
それはわっちの場合オリジナルをやるときとジャズを学ぶときです。
オリジナルが稚拙なのは間違いないんだけど、2、3年これに取り組むうちに、初めてどうやりたいかとか色々見えて来たのです。それをジャズにフィードバックさせるとまた違う側面がジャズから還ってきてオリジナルを刺激してくれる。
先生級の演奏家が、しかもわっちの知らないうちにひょいひょいとどうやら舵取りを裏の裏の裏あたりでしてくれているみたいなんです。
それがどれだけ大変な事か。
他人の演奏で気に入らないところなんて、あっという間に見つかるし、一端見つかったら気になってしょうがなく、故にもう一緒に演奏できないなんてことにすぐなる。
その原理で行くと、先生級の人は誰とも演奏できない。
ところが先生級の人は違う。
対象が気付けるくらいの疑問を、それに向かって葛藤できるくらいの小石をポンと投げいれてくる。
で、知らず知らずのうちにこっちはその小石と格闘して、ふと気付くと様々な問題が変質していることに気付く。
問題はクリアーされるのではなく変質するのだと最近つくづく思います。
point of view(視点)が変わることなんです。
別の角度から見ると同じ問題は全く違う様相を呈している物であり、
さらにその日の天候(空間)や、自分の年齢や(時間)、気分(感覚)などによっても視点が勝手に変わっていく。
このあたりは着付けも乗馬も全部一緒で奥が深くて面白いのです。
で先生はそれを見てまた勝手に面白がる。
けど今のわっちの演奏生活の状況は
そう
たとえて言うなら
超高性能のシャベルをつくる奥深さが面白いからと、シャベルづくりにのめりこむ反面、掘るべき土がないやるせなさを同時に噛みしめる感じに近い。
着付けや乗馬はシャベルを磨いてりゃよい。
奥深い。
楽しい。
面白い。
以上。
しかし演奏は掘るべき土があって初めて成立する。
完璧に磨きあがったどんな硬い土をもものともしないシャベルも、家に飾られているだけでは宝の完全持ち腐れ状態である。
だからといって、性能を試すために庭の土を掘って、確かに素晴らし性能を確認できたからと言って何の意味があろうか?
このシャベルを必要としてくれる所へ行って、あるいはここは掘り返すべきだと思えるところへ自ら足を向けてがっつり掘ってこそ、初めてそのシャベルの効力というものが発揮されたと言えるのではないか?
そもそもこのシャベルはまだ土を掘れる段階に無いだろうなんてついマイナス思考になってしまう。
スポンサーもいないからシャベルの宣伝が全くされてない。
問題は山積中。
しかして、もう一方では
ごちゃごちゃ言ってんじゃねー!!!
掘れなきゃ、んなシャベルはとっとと捨てて素手で掘りやがれ!
という声が聞こえてくる。
猫さんや地震や様々な天変地異が最近そう訴えかけてくる。
もう時間はあまり残されていないのかもしれない。
地球規模的な意味合いで。
もし新たな生物が天から降ってきたとしても、もうあんまり驚かない気がする。そのくらい世界は悲痛な雪崩を起こし始めている気がする。
ドミノに触れちゃった感じか。
ざわつくものがある。
ひりひりするものがる。
気持ちわりーです。
PR
この記事にコメントする
live info
■7/29(mon)
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
⇒都内ツアーのスケジュール詳細
⇒my space音楽配信
⇒youtube風に還る日
⇒youtubeニレの木祭り
⇒youtubeニレの木祭り2
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
⇒都内ツアーのスケジュール詳細
⇒my space音楽配信
⇒youtube風に還る日
⇒youtubeニレの木祭り
⇒youtubeニレの木祭り2
profile
calendar
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
category
archives
search