●ボンバードラミの馬的着付け的音人生 (^-^)/
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適正サイズまで縮小出来たぜ!
やれば出来るもんだなぁ。
最近PCいじりまくってたから耐性が出来て来たのかもしれない。
あまりお見苦しくないようにしないとさ。
夏も間近だし。
バイト再会に向け職歴を思い出してます。
テニスインストラクター、デパート衣料品販売、
保険セールス、テ レマーケティングOA機器操作業務、
英会話講師、音楽インストラ クター、
ラウンジ弾き語り、クラブシンガー、
ゲーム音楽英詞制作 、CMsong、
映画音楽、劇中音楽、ラジオジングル。
ごちゃごちゃした職歴だ。
タイムラインを全く思い出せない。
本業は家で「音楽的おこもりさん」になる事。
これだけで生きて行けたら良いのに。
おこもり活動は一円も生み出さない。
ゲームの英詞は保険販売の合間をぬって
30分でやっつけて12万円もらった記憶がある。詐欺行為。
おこもりでやってる事はそれに比して
何百倍も何千倍も価値のある事なのに一円にもならない。
資本主義の矛盾ですねこれは。うん。
主婦業もそう。あれは国が換算して給料制にするべき。絶対。
晩婚化も少子化も待機児童問題も一気に片付くね。
キューバは偉い。
共産圏ではミュージシャンはタイムカードを押し て練習してお金もらえるんだから。
どれだけでも練習しますよね、 しただけもらえるんだし。
いくら練習したって飯も買えやしない。
仕方なしにどうでも良いガ ラクタ職歴が増える。
せめて音楽にとってプラスになるような面白 いガラクタを集めたいものです。
カラスみたいに庭に埋めておくんだ。
結局カラスみたいに埋めた事を忘れるだけだけどもさ。
テニスインストラクター、デパート衣料品販売、
保険セールス、テ
英会話講師、音楽インストラ
ラウンジ弾き語り、クラブシンガー、
ゲーム音楽英詞制作
映画音楽、劇中音楽、ラジオジングル。
ごちゃごちゃした職歴だ。
タイムラインを全く思い出せない。
本業は家で「音楽的おこもりさん」になる事。
これだけで生きて行けたら良いのに。
おこもり活動は一円も生み出さない。
ゲームの英詞は保険販売の合間をぬって
30分でやっつけて12万円もらった記憶がある。詐欺行為。
おこもりでやってる事はそれに比して
何百倍も何千倍も価値のある事なのに一円にもならない。
資本主義の矛盾ですねこれは。うん。
主婦業もそう。あれは国が換算して給料制にするべき。絶対。
晩婚化も少子化も待機児童問題も一気に片付くね。
キューバは偉い。
共産圏ではミュージシャンはタイムカードを押し
どれだけでも練習しますよね、
いくら練習したって飯も買えやしない。
仕方なしにどうでも良いガ
せめて音楽にとってプラスになるような面白
カラスみたいに庭に埋めておくんだ。
結局カラスみたいに埋めた事を忘れるだけだけどもさ。
■6/25@南青山 ルナ
http://lunar-aoyama.com
19:00~ ¥2000
イベント『マイケル・ジャクソン追悼企画 弾き語りと星見の夜』
¥2000 19:30〜
http://www.obsounds.com
宮前幸弘pf
橋本学ds
ボンバードラミvo
ジャズの演奏などに言ってその場で演奏するという時
いつも最悪になってしまう。
それはなぜか?
それは伴奏相手と私の間に何のコンセンサスもないということです。
型通りの伴奏をされても私は歌えない。
これならアカペラの方がまだ歌いやすいなぁといつも思ってしまう。
リハをするのはこの状態をまずは脱したいからで
コンセンサスなど必要ないくらい感性が研ぎすまされまくってるなら
いいけど、残念ながら自分は違う。
相手にやりたい事を伝えるのにも一苦労だ。
なぜってそれは相手にとっては初めてのことだからですよ。
そういうことに懲りずにやり続けて行こうという姿勢を示してくれる
ミュージシャンはありがたいし
何度か続けて行くと行きつ戻りつしつつ
少しずつやっぱしあがって行っている何かの階段を。
ええ。
何の階段かは分からないけどさ。
http://lunar-aoyama.com
19:00~ ¥2000
イベント『マイケル・ジャクソン追悼企画 弾き語りと星見の夜』
6/25はマイコォの命日です。もう3年経ちます。
持ち時間は一人40分で、出演者はマイコォの曲かジャクソン5の曲から、必ず2曲カバー。
それから最後に出演者全員でマイコォの曲を歌おうと思います。
店内のプロジェクターにはマイコォの映像を延々と流します。
マイコォまみれ。
おまけですが、イベントが終了する22時より、ルナ屋上で天体望遠鏡を用いての星見会を行います。
(梅雨時期だから晴れればね)
月・土星を中心に、春~夏の夜空をアストロボーイ成澤がお見せ致します。
(星になったマイケルを見ようという強引な設定www)
私はソロで出るか西海君と出ます。
そして今場所を見て気付いたけど大昔演奏していた場所だと思うココ。
ラウンジ兼演奏みたいな空間だったはず。
音楽をこの辺りから始めてぐるぐる回ってまたココに還るのか
と不思議な気持ち。
■7/12 fri@調布 猫村
2set ¥2500(セカンドonly¥2000) 19:30〜
http://www.nekomura.com
諏訪光彦gt
益田英生cl
ボンバードラミvo
■7/29 mon@mandala2
http://www.mandala.gr.jp/man2.html
¥2000 19:30〜
越智泰彦eb
西海しげるgt
ボンバードラミvo gt
年功序列です。
この日に向けてアルバムを準備しようと思います。
ガムバルゾウ。
¥2000 19:30〜
http://www.obsounds.com
宮前幸弘pf
橋本学ds
ボンバードラミvo
ジャズの演奏などに言ってその場で演奏するという時
いつも最悪になってしまう。
それはなぜか?
それは伴奏相手と私の間に何のコンセンサスもないということです。
型通りの伴奏をされても私は歌えない。
これならアカペラの方がまだ歌いやすいなぁといつも思ってしまう。
リハをするのはこの状態をまずは脱したいからで
コンセンサスなど必要ないくらい感性が研ぎすまされまくってるなら
いいけど、残念ながら自分は違う。
相手にやりたい事を伝えるのにも一苦労だ。
なぜってそれは相手にとっては初めてのことだからですよ。
そういうことに懲りずにやり続けて行こうという姿勢を示してくれる
ミュージシャンはありがたいし
何度か続けて行くと行きつ戻りつしつつ
少しずつやっぱしあがって行っている何かの階段を。
ええ。
何の階段かは分からないけどさ。
介護とはいっても、
それはオムツを変えたり
ご飯を食べさせたり、
風呂にいれたり、
ということではない。
オムツは替えたり捨てたり洗ったりいろいろ有るが、ご飯は自力で食べられる。
前後の作る、提供する、洗う、しまう、などは全てこちらだが、
今までもそうだったからこれは変化ではない。
風呂、歯磨き、ひげ剃り、散歩などは全て超面倒くさいからやりたくないらしい。
これを嫌々でもやらせるのが大変。
だから一階の洗面所には座って歯磨きひげ剃りが出来るように椅子を設けたし。
玄関にも靴を履くための椅子を設けた。
一階の来客用シャワーで物置化していた部分
本来の機能を復活して
うんこ漏らしからシャワーまでの直行ルートを造った。
うちがディスファンクションする一番の問題はテレビだ。
父の部屋にもテレビが有るが、起きてからつけっぱなし。
腹が減ったら一階に下りて来てそのままダイニングのテレビをつける。
二階に上がって寝るまでほぼ付いたまま。
実家のリビングダイニングキッチンは南北に縦長の一つの空間である。
その空間全体のど真ん中にテレビがあり、
ダイニングに座った父が大音量でテレビをかけると
キッチンで家事をする母に向かってテレビの音量が直撃する。
テレビの向こう側のリビングはデッドスペース(一番広くで南向きの良い場所)となり
誰も立ち入らないモデルルームみたいになっている。
そこで今日はカウチの位置を反転させ、リビングの壁を空け
そこにテレビがすっぽり治まり、カウチに座ってテレビを見られる
夢の空間作りにいそしんでみた。
ちゃんとそうなるようにテレビの配線がこちら側にも有るんだよね。
左側の観葉植物の向こう側は南向きの窓で
その向こうは小さな庭だ。
今ハナミズキに鳩が巣作りを試みている。
そういうのを眺めつつ、南から入る太陽の日を浴びて
更に音も画像もキッチンに対して垂直になったので
これで水仕事中の母のストレスが一つ減るし
テレビを見る方も水の音がうるさくてどんどんボリュームを上げる必要がなくなるし
カウチの方がダイニングの椅子より数倍楽チンだし。
こうしてリビングのテーブルに足を放り出せばくつろぎ大空間。
さらにこのカウチ慎重190センチの人でも寝られるくらいの長さなので
疲れたら寝ながら見る事だって出来る。
それにしても異常だ。
たまに実家に帰っても会話はゼロ。
テレビのボリューム35!(私が実家で見る時は9くらい。)
35は外からでも聞こえる音量です。
そんなうるさい音製造機が家のど真ん中にあって
大音量でなり続ければ家族がディスファンクションにならない方がおかしい。
床を数メートル転がせば元のダイニングでもテレビは見られるので
これでとにかくストレスが一個減ったであろうと期待。
うるさいテレビをつけっぱなしにされて無意識にストレスを溜めていると
母の言動が凄くなる。
「なんでそんなつまらない番組、見てて楽しいんですか」
「そんな大きな音量でCMを聴く必要がありますか」
「音消してくださいよCMのときは」
「ヘッドフォンつけてくださいよ」
「どうせ見てたってなにもわかてないんだから」
こういう順番で父は母から遮断されて行く。
母は父が二階に居続けてくれた方がありがたいのだ。
だってめっちゃくちゃうるさい訳だから。(テレビが)
傍で聴いていると、確かに母の良い分は分かるが
人としてどうなんだろうこういう言い方は?
と思ってしまう。
父の無配慮。母のストレス。母の暴言。
何を言われても響かないほとんど聴いていない。
テレビを集中して見ているのかというとそういう訳でもない。
話の内容も分かってないし誰が出てても名前も分からない。
判断力も奪われて、集中力も損ない、家族からも見放されて
酒を飲むしか無い
だから止まらない。
今日は母と父が一緒に遠回りをしつつ酒を買いに行った。
そういう事も少しは進歩と言えよう。
足腰を鍛え肛門のゆるみをとり
神戸の祖父の法事に行くのが当面の目標だ。
私がいる時だけは4合で止まっている酒量も
夫婦だけでいるとすぐ8合になってしまう。
母がどうでも良いと思っているからだ。
「雨だから買ってきましょうか」
「酒を買うためのお金を銀行で下ろしておきましたから」
「また飲むんですか料理酒はここですよ」
おいっ!いちいち発言にケチを付けたくなる。
そういう夫婦のやり方をして来たのは彼らであり
私の出る幕ではないが
私にはこう見えるのだ
「自分で投げたブーメランが返って来て刺さって血を流しているのは結果母。」
「与え過ぎ、奉仕し過ぎ、やり過ぎ、考えなさ過ぎで結果人殺しをしている母。」
「過剰な奉仕を受けすぎて自分で息をする事さえ忘れてしまいそうな父。」
「何もやらなくてよいから何も出来なくなった。
全てが面倒くさくなった。後は死ぬだけだからどうでも良いと思い込んでいる父。」
母は酒を与えなかった事で死なれたときに後悔したくないのだという。
「もう後は死ぬだけだから好きなだけ飲めれば幸せよね。」
こういう考えを持った夫婦の間にアル中は生まれてくるのだ。
共依存型悪性循環性夫婦。
今はこのままで良くても(何も良くはないと思うけど。毎日8合も飲んでいる状態。)
死ぬまでの間これから何年も糞尿をたらし続け、肝臓の重篤な病にかかり、痛くて死にそう状態が
続いたときに、後悔は無いのだろうか。
それはオムツを変えたり
ご飯を食べさせたり、
風呂にいれたり、
ということではない。
オムツは替えたり捨てたり洗ったりいろいろ有るが、ご飯は自力で食べられる。
前後の作る、提供する、洗う、しまう、などは全てこちらだが、
今までもそうだったからこれは変化ではない。
風呂、歯磨き、ひげ剃り、散歩などは全て超面倒くさいからやりたくないらしい。
これを嫌々でもやらせるのが大変。
だから一階の洗面所には座って歯磨きひげ剃りが出来るように椅子を設けたし。
玄関にも靴を履くための椅子を設けた。
一階の来客用シャワーで物置化していた部分
本来の機能を復活して
うんこ漏らしからシャワーまでの直行ルートを造った。
うちがディスファンクションする一番の問題はテレビだ。
父の部屋にもテレビが有るが、起きてからつけっぱなし。
腹が減ったら一階に下りて来てそのままダイニングのテレビをつける。
二階に上がって寝るまでほぼ付いたまま。
実家のリビングダイニングキッチンは南北に縦長の一つの空間である。
その空間全体のど真ん中にテレビがあり、
ダイニングに座った父が大音量でテレビをかけると
キッチンで家事をする母に向かってテレビの音量が直撃する。
テレビの向こう側のリビングはデッドスペース(一番広くで南向きの良い場所)となり
誰も立ち入らないモデルルームみたいになっている。
そこで今日はカウチの位置を反転させ、リビングの壁を空け
そこにテレビがすっぽり治まり、カウチに座ってテレビを見られる
夢の空間作りにいそしんでみた。
ちゃんとそうなるようにテレビの配線がこちら側にも有るんだよね。
左側の観葉植物の向こう側は南向きの窓で
その向こうは小さな庭だ。
今ハナミズキに鳩が巣作りを試みている。
そういうのを眺めつつ、南から入る太陽の日を浴びて
更に音も画像もキッチンに対して垂直になったので
これで水仕事中の母のストレスが一つ減るし
テレビを見る方も水の音がうるさくてどんどんボリュームを上げる必要がなくなるし
カウチの方がダイニングの椅子より数倍楽チンだし。
こうしてリビングのテーブルに足を放り出せばくつろぎ大空間。
さらにこのカウチ慎重190センチの人でも寝られるくらいの長さなので
疲れたら寝ながら見る事だって出来る。
それにしても異常だ。
たまに実家に帰っても会話はゼロ。
テレビのボリューム35!(私が実家で見る時は9くらい。)
35は外からでも聞こえる音量です。
そんなうるさい音製造機が家のど真ん中にあって
大音量でなり続ければ家族がディスファンクションにならない方がおかしい。
床を数メートル転がせば元のダイニングでもテレビは見られるので
これでとにかくストレスが一個減ったであろうと期待。
うるさいテレビをつけっぱなしにされて無意識にストレスを溜めていると
母の言動が凄くなる。
「なんでそんなつまらない番組、見てて楽しいんですか」
「そんな大きな音量でCMを聴く必要がありますか」
「音消してくださいよCMのときは」
「ヘッドフォンつけてくださいよ」
「どうせ見てたってなにもわかてないんだから」
こういう順番で父は母から遮断されて行く。
母は父が二階に居続けてくれた方がありがたいのだ。
だってめっちゃくちゃうるさい訳だから。(テレビが)
傍で聴いていると、確かに母の良い分は分かるが
人としてどうなんだろうこういう言い方は?
と思ってしまう。
父の無配慮。母のストレス。母の暴言。
何を言われても響かないほとんど聴いていない。
テレビを集中して見ているのかというとそういう訳でもない。
話の内容も分かってないし誰が出てても名前も分からない。
判断力も奪われて、集中力も損ない、家族からも見放されて
酒を飲むしか無い
だから止まらない。
今日は母と父が一緒に遠回りをしつつ酒を買いに行った。
そういう事も少しは進歩と言えよう。
足腰を鍛え肛門のゆるみをとり
神戸の祖父の法事に行くのが当面の目標だ。
私がいる時だけは4合で止まっている酒量も
夫婦だけでいるとすぐ8合になってしまう。
母がどうでも良いと思っているからだ。
「雨だから買ってきましょうか」
「酒を買うためのお金を銀行で下ろしておきましたから」
「また飲むんですか料理酒はここですよ」
おいっ!いちいち発言にケチを付けたくなる。
そういう夫婦のやり方をして来たのは彼らであり
私の出る幕ではないが
私にはこう見えるのだ
「自分で投げたブーメランが返って来て刺さって血を流しているのは結果母。」
「与え過ぎ、奉仕し過ぎ、やり過ぎ、考えなさ過ぎで結果人殺しをしている母。」
「過剰な奉仕を受けすぎて自分で息をする事さえ忘れてしまいそうな父。」
「何もやらなくてよいから何も出来なくなった。
全てが面倒くさくなった。後は死ぬだけだからどうでも良いと思い込んでいる父。」
母は酒を与えなかった事で死なれたときに後悔したくないのだという。
「もう後は死ぬだけだから好きなだけ飲めれば幸せよね。」
こういう考えを持った夫婦の間にアル中は生まれてくるのだ。
共依存型悪性循環性夫婦。
今はこのままで良くても(何も良くはないと思うけど。毎日8合も飲んでいる状態。)
死ぬまでの間これから何年も糞尿をたらし続け、肝臓の重篤な病にかかり、痛くて死にそう状態が
続いたときに、後悔は無いのだろうか。
いつかそうなる訳だけど。
なってみるとそれはあまりにも突然である。
父が飲んだくれになったのは
サラリーマン時代で
毎日飲んで
しょうもない理由を見つけては私をよく殴った。
それを止めるのはいつも母だった。
そもそも何の理由があったのかが何年も謎だった。
殴られたショックで
いろいろな事を忘れてしまっているようなのだ。
しかし最近の父は人を殴るような体力も気力もない
そうなったときに始めておぼろげながら理由
が見えて来た
話はいつも私が母の奇行を責める事から始まる
何でもかんでも勧め過ぎ、与え過ぎ、やり過ぎ病を持つ母
昔うちに来た友達に食べ物を勧めすぎて吐かせた事が有る。
父がアル中になったのもどう考えても
母の与え過ぎ病の影響だ。
しかし母は言う。
「断らない方が悪い」
しかし母の申し出を適量で押さえるためには
9割は断り続けないといけない
途中でこちらも我慢の限界がきて切れてしまうのだ
そうすると母と私の口論を聞きつけておりて来た父は
やってもらっているのに責めている私を見て
「親に向かってその口の聞き方は何だ〜!」
ぼっこぼこ。
という流れだったようなのだ。
そんなことに今更気付いた。
父の介護をするという事は
母の介護をするという事でもあり
母が直らないことには
父が直るという事はまず無い。
という事が分かって来た。
母はなぜそのような奇病にかかっているのか。
それは最初の旦那さんを結婚3ヶ月でなくしているからだ
そのショックを未だに引きずっている
次に結婚する人は絶対に死なれないようにしなければ
という思いがどうやら強すぎるようなのだ。
結果、色々勧めすぎ与え過ぎで
かえってそこら中の者を壊しまくっているようなのだ
父はアルコールに依存しているが
母も母でそのような自分の体質に依存しているのだ。
さてどうしたものか。
これを世間では業というのかもしれない
因果応報というのかもしれない
なってみるとそれはあまりにも突然である。
父が飲んだくれになったのは
サラリーマン時代で
毎日飲んで
しょうもない理由を見つけては私をよく殴った。
それを止めるのはいつも母だった。
そもそも何の理由があったのかが何年も謎だった。
殴られたショックで
いろいろな事を忘れてしまっているようなのだ。
しかし最近の父は人を殴るような体力も気力もない
そうなったときに始めておぼろげながら理由
が見えて来た
話はいつも私が母の奇行を責める事から始まる
何でもかんでも勧め過ぎ、与え過ぎ、やり過ぎ病を持つ母
昔うちに来た友達に食べ物を勧めすぎて吐かせた事が有る。
父がアル中になったのもどう考えても
母の与え過ぎ病の影響だ。
しかし母は言う。
「断らない方が悪い」
しかし母の申し出を適量で押さえるためには
9割は断り続けないといけない
途中でこちらも我慢の限界がきて切れてしまうのだ
そうすると母と私の口論を聞きつけておりて来た父は
やってもらっているのに責めている私を見て
「親に向かってその口の聞き方は何だ〜!」
ぼっこぼこ。
という流れだったようなのだ。
そんなことに今更気付いた。
父の介護をするという事は
母の介護をするという事でもあり
母が直らないことには
父が直るという事はまず無い。
という事が分かって来た。
母はなぜそのような奇病にかかっているのか。
それは最初の旦那さんを結婚3ヶ月でなくしているからだ
そのショックを未だに引きずっている
次に結婚する人は絶対に死なれないようにしなければ
という思いがどうやら強すぎるようなのだ。
結果、色々勧めすぎ与え過ぎで
かえってそこら中の者を壊しまくっているようなのだ
父はアルコールに依存しているが
母も母でそのような自分の体質に依存しているのだ。
さてどうしたものか。
これを世間では業というのかもしれない
因果応報というのかもしれない
はてコメント欄は一体何処へ。
よし。多分これでオッケイ。
■4/18@吉祥寺crescendo ¥2000/+drink 1stage
http://www.kichijoji-crescendo.net 0422-228561
w西海しげるgt
phoebiesnow,tracychapman,original
■4/23@稲田堤まめり 投げ銭 15時〜1stage
http://d.hatena.ne.jp/mamenajinsei/20121105/1352134788
w有北森gt
bossa
■5/2@調布猫村 20時〜2set ¥2500
http://www.nekomura.com
w諏訪光風gt 益田英生cl ボンバードラミvo
jazz,pops,bossa,original
■5/21@吉祥寺mandala2 時間未定問い合わせ 0422-22-1579 ¥2000 1stage
http://www.mandala.gr.jp/man2.html
w越智泰彦eb ボンバードラミvo gt 西海しげるgt
original,tracychapman,bill evans,john lennon
■5/23@三軒茶屋obsounds 19:30~2set ¥2000
http://www.obsounds.com/live.html
w宮前幸弘pf橋本学dsボンバードラミvo
jazz
時々おすすめはこちら!とする人がいますが
あれの意味が私には分かりません。
それ以外は勧められないと言っているように見える。
勧められないようなら私は引き受けません。
これらは全部おすすめです。
仮に全部来られたら、各々の違いに驚く事でしょう。
表面的にはまるで違います。
選曲も違う。メンバーもやり方も。
でも私のやろうとしている事は一貫して一つです。
どれも全く違うし全く同じなのです。
どれかしらお気に入りを見つけてくだされば幸い。
http://www.kichijoji-crescendo.net 0422-228561
w西海しげるgt
phoebiesnow,tracychapman,original
■4/23@稲田堤まめり 投げ銭 15時〜1stage
http://d.hatena.ne.jp/mamenajinsei/20121105/1352134788
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jazz,pops,bossa,original
■5/21@吉祥寺mandala2 時間未定問い合わせ 0422-22-1579 ¥2000 1stage
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w越智泰彦eb ボンバードラミvo gt 西海しげるgt
original,tracychapman,bill evans,john lennon
■5/23@三軒茶屋obsounds 19:30~2set ¥2000
http://www.obsounds.com/live.html
w宮前幸弘pf橋本学dsボンバードラミvo
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あれの意味が私には分かりません。
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勧められないようなら私は引き受けません。
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仮に全部来られたら、各々の違いに驚く事でしょう。
表面的にはまるで違います。
選曲も違う。メンバーもやり方も。
でも私のやろうとしている事は一貫して一つです。
どれも全く違うし全く同じなのです。
どれかしらお気に入りを見つけてくだされば幸い。
春の嵐が来るそうで、明日は延期になりました。4/23@稲田堤です。
明日はゆっくり休みましょうm(_ _)m
明日はゆっくり休みましょうm(_ _)m
51)17歳の肖像
52)愛と誠
53)セクレタリアト
54)スマグラー
55)アルバトロス
51)キャリーマリガン。
ドライブで愛らしさを知って、
プライドアンドプレジデスで初々しさを知って、
シェイムで歌のうまさを知って、
これで今まで感じていた事は決定的だと知る。
女優さんは
美しいのか美しくないのか見方でどちらにも転べ
ふくよかなのか痩せているのかも見方で変わる
というのが条件な気がする。
例えば原節子、深田恭子、小池栄子、宮﨑あおい、二階堂ふみ
キャリーマリガンやジェニファーローレンスにもそれを感じます。
結果から言えばきっとスタイルは抜群で超美しい皆さんなんだろうけど
画面に乗ったときに一般人と変わらない感じをだせるというのは
ひとつの絶対的説得力なのだろう。
17歳のパリと音楽が大好きな秀才のかわいい少女。
オックスフォードを目指している。
父にもプレッシャーを与えられている。
形にこだわり内容を無視した父。
チェロの練習は内申のためにやってるだけなんだからしなくてよい。
勉強だけすれば良い。
結婚しないなら勉強。勉強なら一番良いところ。
そんな偏見まみれの父に辟易しているところに
そこへ大人のステキな男性が現れて彼女を
どんどん変えてゆく。
ステキな音楽会。大人の友人。オックスフォードへの旅行。パリへの旅行。競犬。
かたくなだった父もこの大人にどんどん丸め込まれて
娘が泊まりの旅行に行くのを許すようになる。
結婚が決まると学校なんてつまらなく見えて来てしまう。
どんなに勉強して大学を出ても結局、こうして学校に戻って来て
生徒のつまらない論文を見てぐったりするだけの人生なんて
一体何の意味が有るのだ?
ジャズを聴いておいしい者を食べて素晴らしい映画を見て素晴らしい人生を送るほうが
良いに決まっている。
先生に食って掛かって辞めてしまう。
ところが。
価値が転換して再転換することで元の命題の意味が全く変わる。
途中で男の怪しさが指摘されるが
気付きたくないから無視して行く+
もっと凄い嘘が有るから一部真実を逆に明かすという文脈
詐欺の手口。
お父さんはこの男によって良い方に変えられて
娘に顔向け出来ないほど恥をかいたことで
比較的まともさを取り戻してくれてよかった。
ろくでもない詐欺男だけど
キラキラした夢とまともな父を与えてくれたなら
まぁ。
それより。
TSUTAYAにはCDも置いてるって知ってました?
今まで気付かなかった〜
早速借りてきました
携帯に入れてウォーキングの時に聴きましょう!
CD
1)マイケルジャクソン
2)2pack
3)ローリンヒル
4)the roots
love
52)愛と誠
53)セクレタリアト
54)スマグラー
55)アルバトロス
51)キャリーマリガン。
ドライブで愛らしさを知って、
プライドアンドプレジデスで初々しさを知って、
シェイムで歌のうまさを知って、
これで今まで感じていた事は決定的だと知る。
女優さんは
美しいのか美しくないのか見方でどちらにも転べ
ふくよかなのか痩せているのかも見方で変わる
というのが条件な気がする。
例えば原節子、深田恭子、小池栄子、宮﨑あおい、二階堂ふみ
キャリーマリガンやジェニファーローレンスにもそれを感じます。
結果から言えばきっとスタイルは抜群で超美しい皆さんなんだろうけど
画面に乗ったときに一般人と変わらない感じをだせるというのは
ひとつの絶対的説得力なのだろう。
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オックスフォードを目指している。
父にもプレッシャーを与えられている。
形にこだわり内容を無視した父。
チェロの練習は内申のためにやってるだけなんだからしなくてよい。
勉強だけすれば良い。
結婚しないなら勉強。勉強なら一番良いところ。
そんな偏見まみれの父に辟易しているところに
そこへ大人のステキな男性が現れて彼女を
どんどん変えてゆく。
ステキな音楽会。大人の友人。オックスフォードへの旅行。パリへの旅行。競犬。
かたくなだった父もこの大人にどんどん丸め込まれて
娘が泊まりの旅行に行くのを許すようになる。
結婚が決まると学校なんてつまらなく見えて来てしまう。
どんなに勉強して大学を出ても結局、こうして学校に戻って来て
生徒のつまらない論文を見てぐったりするだけの人生なんて
一体何の意味が有るのだ?
ジャズを聴いておいしい者を食べて素晴らしい映画を見て素晴らしい人生を送るほうが
良いに決まっている。
先生に食って掛かって辞めてしまう。
ところが。
価値が転換して再転換することで元の命題の意味が全く変わる。
途中で男の怪しさが指摘されるが
気付きたくないから無視して行く+
もっと凄い嘘が有るから一部真実を逆に明かすという文脈
詐欺の手口。
お父さんはこの男によって良い方に変えられて
娘に顔向け出来ないほど恥をかいたことで
比較的まともさを取り戻してくれてよかった。
ろくでもない詐欺男だけど
キラキラした夢とまともな父を与えてくれたなら
まぁ。
それより。
TSUTAYAにはCDも置いてるって知ってました?
今まで気付かなかった〜
早速借りてきました
携帯に入れてウォーキングの時に聴きましょう!
CD
1)マイケルジャクソン
2)2pack
3)ローリンヒル
4)the roots
love
43)13人の刺客
44)武士の家計簿
45)the magic on belle isle
46)グスコーブドリの伝記
47)少年と自転車
48)僕たち急行A列車で行こう
49)悪人
50)恋はデジャヴ
45)自分の中にある忘れがたいアメリカ人の部分が一気に噴出し快楽的に楽しめた。
監督を調べたらロブライナーはスタンドバイミーやミザリーを撮った伝説的な人だと知った。
奥さんに先立たれ、生きる気力を失った初老の西部劇作家が
別荘で一夏過ごすうち、お隣に住んでいる人々と出会い変わってゆく。
特に隣に住む9歳の少女に物語の作り方を教えているうちに
忘れかけた書く事への情熱を次第に取り戻す。
言葉がものすごくきれいで聴いていて気持ちがよい。
それに子供に話を教える過程がまるで音楽と一緒でこれまたはっは〜ん。
子供は既に物語を作る事が出来る。
それを知らないだけなのだ。
彼が少しずつヒントを出して気付かせる。
そうそう。音楽もそんな感じ。
「見えないモノを探し続けるように」
46)絵はとても美しい。ブレードランナーみたい!
でも宮沢賢治が残したメッセージって言うのは違うんでないの。
プロパガンダ映画もしくは宗教勧誘映画に見えてしまった。
昔の美しい暮らし(自給自足)→戦争(干ばつ)→高度成長何も考えず働く。思考停止。(繭を編む)
→自分の事しか考えないでゴミや悪い空気を他の国に向かって垂れ流す(アカヒゲ田んぼ)
→勉強して理想ができる。人の役に立つ。自分が味わった辛酸を次の世代に渡したくない。
強い意志により自己犠牲的に私利私欲を捨て他者の役に立つ。
熱く、熱く、なんなら暑苦しいくらいに。
頑張ればいい。。
頑張ったってどうにもならないのが世の中だよ。
滅私ってそういう事ではないと思う。
誰にも知られず埋もれる生き方を恥じないという事じゃないの?
死んで役に立つって、今時人柱じゃ有るまいし。
だれにも認められなくてもひっそりやる事をやってれば
良いではないかって事何じゃ無いんですか?
命かけて何かを守るって美談のように言いますが
それはただの粗忽者です。
命をかけずさっと守ってそれについて一言も言わないで黙ってる。
誰からも評されない。何故なら誰もその人が助けたという事を知らないから。
こうして英雄的に少年が奇跡を起こした!って新聞の見出しみたいに宣伝するのが
そもそも本論と真っ向からぶつかっちゃうではないでしょうか。
43)13人の刺客!!!
三池監督=悪の教典の監督そうか。結びついてなかった。わっちのばかばか。
顔をゆがめながら見る。冒頭の切腹シーンも首に欠陥が浮き立ち
ぐちゃぐちゃという肉の切れる音とあいまって。
エチケット袋プリーズ状態。
田舎の小さな藩に立ち寄った殿はそこの若い侍の妻をレイプ。
駆け寄る若君を串刺し。滅多切り。
続いて、手足を切り落とされた女が殿の生きたラブドール。
いらないからポイ捨て。
殿は切腹してまで訴えた間宮家の残された家族を的にして
弓道。
エチケット袋溢れる。
稲垣吾郎さんの役所にこの間みたダークナイトの
ジョーカー役ヒースレジャーを見た。
突き抜けた悪。悪のイディア。
武士の世の矛盾をついてくる。
盲目的に上に従うしか無い形式の中では
かような凄惨な事がまかり通り許される。
ある意味一番空の境地に近い存在。
主君に仕えるのが武士の勤め。
しかし武家の構造自体が崩壊している江戸末期。
形だけ有って機能してないもの。
世の中に沢山転がっている。
形だけ有って機能してないもの。
資本主義、家族、地方自治、会社。
逆切れ、素直、すねる、マイナスな反応は稲垣。
このままでは駄目だ。なんとかしないと。プラスな反応。別所。
つまり同じ主題に対する表と裏なのだ。
市村さんは矛盾する体制の迎合的象徴⇄山の男。伊勢谷。誰にも何処にも属さない。
剣豪にお手合わせを願い出た島田。
しかし「大事の前に辞めておいた方が良いですよ」と
一蹴される。
このシーンは剣術を扱う人の研ぎすまされた感覚を表す面白いシーン。
島田の佇まいを見ただけでこれから何か大変な事をしようとしている
と見破る。
それだけこの剣豪は凄いということを台詞のやり取りで表している。
実際剣豪同士は抜く前に優劣が分かってしまうらしい。
島田にコンプレックスを抱く鬼頭の様子もよく描かれていて
認めているけど認めたくないだから卑屈になる意固地なる。
わかるなぁ。同感!
鬼頭の台詞で島田は凄いだから周りに凄い剣豪仲間達が集まる
という事の説明になっている。
13人で200人以上の兵に挑むという無謀な戦いが始まる動機付け
ばっちり!
で面白い事にこの戦いな無意味な事を島田も殿様も分かっている。
市村だけが形式という箱を守ろうとするからこの戦いがある。
44)43あとにこれを見ると。残念な気持ちになる。
仲間由紀恵のわざとらしい演技に吐きそうになって一回さらっと見るのがやっとであった。
結婚式のシーンの沈黙目と表情だけの演技にはエチケット袋が必要だ。
編集やシーンの選び方などからも、もっさりカンが漂っていて
2時間が果てしなく長く感じた。
故に1日自体が長かったことに感謝。
そろばんで武家を支える刀を使わないけれど武士。
という部分と
父子の間の葛藤。
そろばんなんかで生業をし武士で有るという事に合点の行かない息子。
生真面目な性格で藩内の横領に気付いて帳簿で証明し出世する下り。
なのになぜか貧乏で家財道具を売らなきゃ暮らしていけないのか。
家計簿帳簿を付けるプロなのに家の者を全て売り払わないと生きて行けない
って。
それプロとしてどうなの?
主題がぶつかりすぎて、意図が全く読み取れなかった。
そろばん方は刀で武士をしているより
低いとか悪いとかそういう前提が有るのだろうか。
47)少年と自転車。
父に捨てられた息子。事実を受け入れる事が出来ない。
お父さんが自転車を売ってしまうはずが無い。
=自分を愛していないはずは無い
淡い期待に人生のすべてをかける少年の幼い壊れ易い心。
児童ホームに入れられてもなお信じ続ける。
記を見計らっては脱走し家に帰って父の部屋に入れてもらおうとする。
其処で知り合った女性に週末だけ里親になってもらう。
まず日本だとこの制度が無い。
子供から「ねぇ週末だけ里親になってよ」
「寮長に聞いてみないと」
っていう台詞は日本ではまずあり得ない。
日本にもそういうのが有れば良いのに。
両親のいない子とそうではない子がどんどん離されて行く
両親のいる子の生きる普通の社会から隔絶されて行きやすい
息子が重荷だからホームに入れてもう会わないと考える
父親も日本にはいないのかもしれない
邪魔だという事を言い続けながら子供を直接的に傷つけ続ける。
ヒミズの父親のように。
どっちもどっちだけど。
フランスの方が国としてそういう父親の犠牲になる受け皿を
2重にも3重にも用意しているのだ。
ホームが有り、週末里親制度が充実していて、そういう環境を当たり前とする
里親予備軍的存在もいる。
両親から捨てられた息子が一人でボートハウスで暮すなんて
ありえないわけだ。
日本ではレールに乗った人は何処までも住みやすく
乗れなかった人には何処までも厳しく住みにくい世の中である。
逆もしかり
施しを受けるのをよしとしない
恥をかくくらいなら死んだ方がまし
優しさや施しのようなものを偽善ととらえたり
横柄何様と考える風潮もある。
だからどっちに転んでも
優しさを発揮する方にも二の足を踏むような仕掛けが有り
優しさを施される方にもそれを受け入れられない仕掛けが有る。
日本はほとほと生きにくい国になって来ている。
お父さんをお金でつなぎ止めようとするけなげで幼気な少年に
愛をもらえない人の必死さをみいだし人生の重さ、辛さを改めて考えてしまった。
最後に殴った青年に殴り返されて死にそうになる場面。
これは何のメタファーか。
里親ままを悲しませないために絶対に喧嘩したくない
気付いたら誰を責めるでも無く
自転車に乗って里親ままのもとへ帰る
少年は希望を知った。
それを与えたのは里親ままの無償の愛。
子供の演技が抜群に良くてぐわーっと話に引き込まれる。
世間が与える圧力縛り拘束を無言の目つきと態度で弾きちぎって行こうとする彼の
熱い愛への渇望が切なく胸に響きました。
フランス映画ディープ。
48)大丈夫。少しだけ好き。
仲間由紀恵さんわざとらしいとか言ってごめんなさい。
武士の家計簿よりはるかにわざとらしい。
けどわざとわざとらしくやっているのだという事が分かりました。
わざとらしくやりまくる事でわざとらしさの先に突き抜けて行く。
つまら無いのかと思ったらつまらないを超えていく。
超局所的な鉄ちゃんが二人。
車窓の景色を楽しみつつ音楽を聴く不動産関係の会社員の小町圭さん。
鉄道の鉄の素材やエンジンや電車そのものに興味が有る下町工場の機械工のコダマさん。
鉄道マニア的独特な間で会話が時代を無視した人たち
ある者に異常なまでに特化した人たち独特の
不思議な雰囲気。
気持ちがよい。
世間で今何がはやっているかとか
そういう事に全く頓着しないから何の焦りも無い。
そういう人たちにしか出せないのんびりとした空気。
それを象徴するかのような衣装。
時代を感じさせない。
つまらない訳が分からない
から一気に超大好きに変更。
面白いフックのある映画でした。
しゃべり方もわざとものすごいところで切ったりして
独特だ。
信じられないほどわざとらしいとこれまた気にならなくなってくる。
見る側に変換スイッチを入れさせればこれははまる。
いつも見ている者と同じテンションで見ると多分好きに離れないだろう。
見る側のギアを問うている。
こっちにシフト変換機能がいるのですね。
面白い。
44)武士の家計簿
45)the magic on belle isle
46)グスコーブドリの伝記
47)少年と自転車
48)僕たち急行A列車で行こう
49)悪人
50)恋はデジャヴ
45)自分の中にある忘れがたいアメリカ人の部分が一気に噴出し快楽的に楽しめた。
監督を調べたらロブライナーはスタンドバイミーやミザリーを撮った伝説的な人だと知った。
奥さんに先立たれ、生きる気力を失った初老の西部劇作家が
別荘で一夏過ごすうち、お隣に住んでいる人々と出会い変わってゆく。
特に隣に住む9歳の少女に物語の作り方を教えているうちに
忘れかけた書く事への情熱を次第に取り戻す。
言葉がものすごくきれいで聴いていて気持ちがよい。
それに子供に話を教える過程がまるで音楽と一緒でこれまたはっは〜ん。
子供は既に物語を作る事が出来る。
それを知らないだけなのだ。
彼が少しずつヒントを出して気付かせる。
そうそう。音楽もそんな感じ。
「見えないモノを探し続けるように」
46)絵はとても美しい。ブレードランナーみたい!
でも宮沢賢治が残したメッセージって言うのは違うんでないの。
プロパガンダ映画もしくは宗教勧誘映画に見えてしまった。
昔の美しい暮らし(自給自足)→戦争(干ばつ)→高度成長何も考えず働く。思考停止。(繭を編む)
→自分の事しか考えないでゴミや悪い空気を他の国に向かって垂れ流す(アカヒゲ田んぼ)
→勉強して理想ができる。人の役に立つ。自分が味わった辛酸を次の世代に渡したくない。
強い意志により自己犠牲的に私利私欲を捨て他者の役に立つ。
熱く、熱く、なんなら暑苦しいくらいに。
頑張ればいい。。
頑張ったってどうにもならないのが世の中だよ。
滅私ってそういう事ではないと思う。
誰にも知られず埋もれる生き方を恥じないという事じゃないの?
死んで役に立つって、今時人柱じゃ有るまいし。
だれにも認められなくてもひっそりやる事をやってれば
良いではないかって事何じゃ無いんですか?
命かけて何かを守るって美談のように言いますが
それはただの粗忽者です。
命をかけずさっと守ってそれについて一言も言わないで黙ってる。
誰からも評されない。何故なら誰もその人が助けたという事を知らないから。
こうして英雄的に少年が奇跡を起こした!って新聞の見出しみたいに宣伝するのが
そもそも本論と真っ向からぶつかっちゃうではないでしょうか。
43)13人の刺客!!!
三池監督=悪の教典の監督そうか。結びついてなかった。わっちのばかばか。
顔をゆがめながら見る。冒頭の切腹シーンも首に欠陥が浮き立ち
ぐちゃぐちゃという肉の切れる音とあいまって。
エチケット袋プリーズ状態。
田舎の小さな藩に立ち寄った殿はそこの若い侍の妻をレイプ。
駆け寄る若君を串刺し。滅多切り。
続いて、手足を切り落とされた女が殿の生きたラブドール。
いらないからポイ捨て。
殿は切腹してまで訴えた間宮家の残された家族を的にして
弓道。
エチケット袋溢れる。
稲垣吾郎さんの役所にこの間みたダークナイトの
ジョーカー役ヒースレジャーを見た。
突き抜けた悪。悪のイディア。
武士の世の矛盾をついてくる。
盲目的に上に従うしか無い形式の中では
かような凄惨な事がまかり通り許される。
ある意味一番空の境地に近い存在。
主君に仕えるのが武士の勤め。
しかし武家の構造自体が崩壊している江戸末期。
形だけ有って機能してないもの。
世の中に沢山転がっている。
形だけ有って機能してないもの。
資本主義、家族、地方自治、会社。
逆切れ、素直、すねる、マイナスな反応は稲垣。
このままでは駄目だ。なんとかしないと。プラスな反応。別所。
つまり同じ主題に対する表と裏なのだ。
市村さんは矛盾する体制の迎合的象徴⇄山の男。伊勢谷。誰にも何処にも属さない。
剣豪にお手合わせを願い出た島田。
しかし「大事の前に辞めておいた方が良いですよ」と
一蹴される。
このシーンは剣術を扱う人の研ぎすまされた感覚を表す面白いシーン。
島田の佇まいを見ただけでこれから何か大変な事をしようとしている
と見破る。
それだけこの剣豪は凄いということを台詞のやり取りで表している。
実際剣豪同士は抜く前に優劣が分かってしまうらしい。
島田にコンプレックスを抱く鬼頭の様子もよく描かれていて
認めているけど認めたくないだから卑屈になる意固地なる。
わかるなぁ。同感!
鬼頭の台詞で島田は凄いだから周りに凄い剣豪仲間達が集まる
という事の説明になっている。
13人で200人以上の兵に挑むという無謀な戦いが始まる動機付け
ばっちり!
で面白い事にこの戦いな無意味な事を島田も殿様も分かっている。
市村だけが形式という箱を守ろうとするからこの戦いがある。
44)43あとにこれを見ると。残念な気持ちになる。
仲間由紀恵のわざとらしい演技に吐きそうになって一回さらっと見るのがやっとであった。
結婚式のシーンの沈黙目と表情だけの演技にはエチケット袋が必要だ。
編集やシーンの選び方などからも、もっさりカンが漂っていて
2時間が果てしなく長く感じた。
故に1日自体が長かったことに感謝。
そろばんで武家を支える刀を使わないけれど武士。
という部分と
父子の間の葛藤。
そろばんなんかで生業をし武士で有るという事に合点の行かない息子。
生真面目な性格で藩内の横領に気付いて帳簿で証明し出世する下り。
なのになぜか貧乏で家財道具を売らなきゃ暮らしていけないのか。
家計簿帳簿を付けるプロなのに家の者を全て売り払わないと生きて行けない
って。
それプロとしてどうなの?
主題がぶつかりすぎて、意図が全く読み取れなかった。
そろばん方は刀で武士をしているより
低いとか悪いとかそういう前提が有るのだろうか。
47)少年と自転車。
父に捨てられた息子。事実を受け入れる事が出来ない。
お父さんが自転車を売ってしまうはずが無い。
=自分を愛していないはずは無い
淡い期待に人生のすべてをかける少年の幼い壊れ易い心。
児童ホームに入れられてもなお信じ続ける。
記を見計らっては脱走し家に帰って父の部屋に入れてもらおうとする。
其処で知り合った女性に週末だけ里親になってもらう。
まず日本だとこの制度が無い。
子供から「ねぇ週末だけ里親になってよ」
「寮長に聞いてみないと」
っていう台詞は日本ではまずあり得ない。
日本にもそういうのが有れば良いのに。
両親のいない子とそうではない子がどんどん離されて行く
両親のいる子の生きる普通の社会から隔絶されて行きやすい
息子が重荷だからホームに入れてもう会わないと考える
父親も日本にはいないのかもしれない
邪魔だという事を言い続けながら子供を直接的に傷つけ続ける。
ヒミズの父親のように。
どっちもどっちだけど。
フランスの方が国としてそういう父親の犠牲になる受け皿を
2重にも3重にも用意しているのだ。
ホームが有り、週末里親制度が充実していて、そういう環境を当たり前とする
里親予備軍的存在もいる。
両親から捨てられた息子が一人でボートハウスで暮すなんて
ありえないわけだ。
日本ではレールに乗った人は何処までも住みやすく
乗れなかった人には何処までも厳しく住みにくい世の中である。
逆もしかり
施しを受けるのをよしとしない
恥をかくくらいなら死んだ方がまし
優しさや施しのようなものを偽善ととらえたり
横柄何様と考える風潮もある。
だからどっちに転んでも
優しさを発揮する方にも二の足を踏むような仕掛けが有り
優しさを施される方にもそれを受け入れられない仕掛けが有る。
日本はほとほと生きにくい国になって来ている。
お父さんをお金でつなぎ止めようとするけなげで幼気な少年に
愛をもらえない人の必死さをみいだし人生の重さ、辛さを改めて考えてしまった。
最後に殴った青年に殴り返されて死にそうになる場面。
これは何のメタファーか。
里親ままを悲しませないために絶対に喧嘩したくない
気付いたら誰を責めるでも無く
自転車に乗って里親ままのもとへ帰る
少年は希望を知った。
それを与えたのは里親ままの無償の愛。
子供の演技が抜群に良くてぐわーっと話に引き込まれる。
世間が与える圧力縛り拘束を無言の目つきと態度で弾きちぎって行こうとする彼の
熱い愛への渇望が切なく胸に響きました。
フランス映画ディープ。
48)大丈夫。少しだけ好き。
仲間由紀恵さんわざとらしいとか言ってごめんなさい。
武士の家計簿よりはるかにわざとらしい。
けどわざとわざとらしくやっているのだという事が分かりました。
わざとらしくやりまくる事でわざとらしさの先に突き抜けて行く。
つまら無いのかと思ったらつまらないを超えていく。
超局所的な鉄ちゃんが二人。
車窓の景色を楽しみつつ音楽を聴く不動産関係の会社員の小町圭さん。
鉄道の鉄の素材やエンジンや電車そのものに興味が有る下町工場の機械工のコダマさん。
鉄道マニア的独特な間で会話が時代を無視した人たち
ある者に異常なまでに特化した人たち独特の
不思議な雰囲気。
気持ちがよい。
世間で今何がはやっているかとか
そういう事に全く頓着しないから何の焦りも無い。
そういう人たちにしか出せないのんびりとした空気。
それを象徴するかのような衣装。
時代を感じさせない。
つまらない訳が分からない
から一気に超大好きに変更。
面白いフックのある映画でした。
しゃべり方もわざとものすごいところで切ったりして
独特だ。
信じられないほどわざとらしいとこれまた気にならなくなってくる。
見る側に変換スイッチを入れさせればこれははまる。
いつも見ている者と同じテンションで見ると多分好きに離れないだろう。
見る側のギアを問うている。
こっちにシフト変換機能がいるのですね。
面白い。
本日池袋independence にて演奏です。
北条達子さんという美しいフルートの方と一緒です。
大橋佑子pf 吉峯勇二郎cb両名とは初共演です。
若手の有望株さんでしょうか。
http://jazz-independence.com
北条達子さんという美しいフルートの方と一緒です。
大橋佑子pf 吉峯勇二郎cb両名とは初共演です。
若手の有望株さんでしょうか。
http://jazz-independence.com
36)裏切りのサーカス
37)ヒミズ
38)ポテチ
39)ももへの手紙
40)black swan
41)booke back mountain
42)クヒオ大佐
36)レトロなイギリスをスタイリッシュに切り出しつつ話は良い感じに汚い。
全員汚過ぎて誰が誰にどういう出し抜きをしたのか?裏切りをしたのか?ややこしい。
名前とコードネームと一体いくつ覚えなくては行けないのか!
頭悪過ぎて付いて行けない!!!
原作を知らないのと、その時代背景をよくわかってないからしょうがない。
それでもドラマのCIAthe companyやMI5 spookesを見ていたから何となく分かる事もある。
ようはソ連に情報を送ると見せかけて、アメリカに情報を送る、と、見せかけて、
実は重要な事をソ連に漏らしていた犯人が
仲間を全員二重三重にだましていたというのを
隠遁したもと先輩同僚が暴いて最後には返り咲くと。
ん?これはこの人の復讐劇ってこと?
何度も見ないと話すら理解出来そうも無い。
それでも個別のシーンはど迫力。
役者さん達の抑制が効きまくった演技にうなりまくってしまう。
まずは役名とコードネーム、極秘潜入ネームなどを理解しないと一瞬で
置いて行かれるこの状況をなんとかしたいのでした。
37)ヒミズ。日を見ず=モグラなるぅ。
まるで日の目を見る事が出来ない少年と少女。
親に否定されている。彼の映画はそういう事が主題のようだ。
実際そういう目に遭っているのだろうか。
抑えがたい衝動の根源には家族からの非承認
あるいは過剰承認という状況がある
まず親が狂っている。
人生を完全にあきらめている。
人生に支配されいている。
ストレスを小さい者(子)に吐き出す。
子供には行き場が無い
マグマのようにたまった衝動は
はけ口を求めさまよう
3/11が重なったため全体がレクイエムのよう
ものすごい最下層の泥沼のような糞人生の中で
もがきながらも両親のようにはなるまいと。
人生に負けて、成り行き任せで
徳を完全に失ったくそ大人にはならない
最下層の家無しプータロー達には優しさが有り
思いやりが有り支え合いが有り助け合いが有る
極悪人のやくざには悪なりの筋が有る。
親には何も無い。何もかもが中途半端。
たまりたまったマグマはついに爆発する。
誰でも大なり小なり経験はある。
彼の映画はいつも大なりの方を提示する。
親に対する完全報復。
超エンターテイメント的に
だからものすごく溜飲が下がるというか
見応えが有るというか
アドレナが出まくるというか。
正しいヅラをした糞を踏みつぶす快楽。
正しいと思い込んでいるやつに
実は全く間違っているというのを気付かせ絶望させる快感
監督は親を恨んでいるんだろうか。
それともこの社会に転がる常識という
正しい面した全ての建前に親を代表させているだけなのか?
学校の先生。
最後に彼が地面から顔を出すことになる
原因が彼の安っぽい言葉になるというのは皮肉的展開。
マイナスのマイナスはプラスなのか。
38)短めのドラマ。泥棒さんが世直しをする。
泥棒は悪いに決まっている。
ところがそうならないから
お話は面白い。
こちらの思い込みを度頭から完全転回してくれる。
39)ももへの手紙
父の死に際にひどいことを言ってしまって後悔する少女。
親戚を頼って引っ越した先の小さな瀬戸内海の島で
母と娘の新生活。
それを見守る上からの使いのお化けさんたち。
話は荒唐無稽だけど細部の絵が素晴らしく美しくて
絵を見ているだけでも気持ちがよい。
お化けの3人組の声もそれぞれ特徴的でナイスコラボレーション。
お母さんが優香だって最後まで気付かなかったなぁ。
ももへ と宛てた父の手紙。
文章は無い。なんて書きたかったのか知りたいもも。
父にちゃんと謝りたいもも。
それをお化けさんが取り持っていく。
お化けさんを通して島に慣れ親しむようになるもも。
いろいろな題材が有ってもそれがぶつかって何が言いたいのか分からない
と感じさせる 武士の家計簿 の場合も有れば
こちらのようにすとんと腑に落ちる場合もある。
この違いはなんなんだろう。
うーん。
課題課題・
40)blackswan
アカデミー作品だしバレー好きだし。と思ってみてみた。
世代交代期のバレリーナ。
白鳥黒鳥に選ばれたナタリーポートマン
世代交代でおろされた元カリスマダンサーにウィノナライダー
いやいやそれはやり過ぎだって!!
よく引き受けたなウィノナライダー。(^^;)
万引きのし過ぎでもうこんないじめ?みたいな役でも受けざるをえ無かったのかしら。
くわばらくわばら。
白鳥と黒鳥は人間の両面を象徴している。
善⇄悪 清⇄汚 愛⇄憎 受け身⇄能動 内気⇄勝ち気
不安⇄自信
白鳥的な主人公は黒鳥さが足りないと指導者に指摘され
オナニーが足りない!(なんか私の師匠を思い出す。)
だんだん冷静さを失って行く。
何が現実で何が非現実なのかが見る側にも
分からないような設定になっている。
狂気。
37)ヒミズ
38)ポテチ
39)ももへの手紙
40)black swan
41)booke back mountain
42)クヒオ大佐
36)レトロなイギリスをスタイリッシュに切り出しつつ話は良い感じに汚い。
全員汚過ぎて誰が誰にどういう出し抜きをしたのか?裏切りをしたのか?ややこしい。
名前とコードネームと一体いくつ覚えなくては行けないのか!
頭悪過ぎて付いて行けない!!!
原作を知らないのと、その時代背景をよくわかってないからしょうがない。
それでもドラマのCIAthe companyやMI5 spookesを見ていたから何となく分かる事もある。
ようはソ連に情報を送ると見せかけて、アメリカに情報を送る、と、見せかけて、
実は重要な事をソ連に漏らしていた犯人が
仲間を全員二重三重にだましていたというのを
隠遁したもと先輩同僚が暴いて最後には返り咲くと。
ん?これはこの人の復讐劇ってこと?
何度も見ないと話すら理解出来そうも無い。
それでも個別のシーンはど迫力。
役者さん達の抑制が効きまくった演技にうなりまくってしまう。
まずは役名とコードネーム、極秘潜入ネームなどを理解しないと一瞬で
置いて行かれるこの状況をなんとかしたいのでした。
37)ヒミズ。日を見ず=モグラなるぅ。
まるで日の目を見る事が出来ない少年と少女。
親に否定されている。彼の映画はそういう事が主題のようだ。
実際そういう目に遭っているのだろうか。
抑えがたい衝動の根源には家族からの非承認
あるいは過剰承認という状況がある
まず親が狂っている。
人生を完全にあきらめている。
人生に支配されいている。
ストレスを小さい者(子)に吐き出す。
子供には行き場が無い
マグマのようにたまった衝動は
はけ口を求めさまよう
3/11が重なったため全体がレクイエムのよう
ものすごい最下層の泥沼のような糞人生の中で
もがきながらも両親のようにはなるまいと。
人生に負けて、成り行き任せで
徳を完全に失ったくそ大人にはならない
最下層の家無しプータロー達には優しさが有り
思いやりが有り支え合いが有り助け合いが有る
極悪人のやくざには悪なりの筋が有る。
親には何も無い。何もかもが中途半端。
たまりたまったマグマはついに爆発する。
誰でも大なり小なり経験はある。
彼の映画はいつも大なりの方を提示する。
親に対する完全報復。
超エンターテイメント的に
だからものすごく溜飲が下がるというか
見応えが有るというか
アドレナが出まくるというか。
正しいヅラをした糞を踏みつぶす快楽。
正しいと思い込んでいるやつに
実は全く間違っているというのを気付かせ絶望させる快感
監督は親を恨んでいるんだろうか。
それともこの社会に転がる常識という
正しい面した全ての建前に親を代表させているだけなのか?
学校の先生。
最後に彼が地面から顔を出すことになる
原因が彼の安っぽい言葉になるというのは皮肉的展開。
マイナスのマイナスはプラスなのか。
38)短めのドラマ。泥棒さんが世直しをする。
泥棒は悪いに決まっている。
ところがそうならないから
お話は面白い。
こちらの思い込みを度頭から完全転回してくれる。
39)ももへの手紙
父の死に際にひどいことを言ってしまって後悔する少女。
親戚を頼って引っ越した先の小さな瀬戸内海の島で
母と娘の新生活。
それを見守る上からの使いのお化けさんたち。
話は荒唐無稽だけど細部の絵が素晴らしく美しくて
絵を見ているだけでも気持ちがよい。
お化けの3人組の声もそれぞれ特徴的でナイスコラボレーション。
お母さんが優香だって最後まで気付かなかったなぁ。
ももへ と宛てた父の手紙。
文章は無い。なんて書きたかったのか知りたいもも。
父にちゃんと謝りたいもも。
それをお化けさんが取り持っていく。
お化けさんを通して島に慣れ親しむようになるもも。
いろいろな題材が有ってもそれがぶつかって何が言いたいのか分からない
と感じさせる 武士の家計簿 の場合も有れば
こちらのようにすとんと腑に落ちる場合もある。
この違いはなんなんだろう。
うーん。
課題課題・
40)blackswan
アカデミー作品だしバレー好きだし。と思ってみてみた。
世代交代期のバレリーナ。
白鳥黒鳥に選ばれたナタリーポートマン
世代交代でおろされた元カリスマダンサーにウィノナライダー
いやいやそれはやり過ぎだって!!
よく引き受けたなウィノナライダー。(^^;)
万引きのし過ぎでもうこんないじめ?みたいな役でも受けざるをえ無かったのかしら。
くわばらくわばら。
白鳥と黒鳥は人間の両面を象徴している。
善⇄悪 清⇄汚 愛⇄憎 受け身⇄能動 内気⇄勝ち気
不安⇄自信
白鳥的な主人公は黒鳥さが足りないと指導者に指摘され
オナニーが足りない!(なんか私の師匠を思い出す。)
だんだん冷静さを失って行く。
何が現実で何が非現実なのかが見る側にも
分からないような設定になっている。
狂気。
30)コクリコ坂から
31)ハートロッカー
32)ちょんまげプリン
33)岳
34)腑抜けども悲しみの愛を見せろ
35)パーマネント野ばら
30)演奏前日に緊迫した気持ちの中で見た。落ち着く。
かつての自分が音楽を見つけた部室、部活、仲間を思い出す。
だけど絵の切り貼りにいくつか疑問が残った。
技術は世界を支えるモノで
世界が足りないと技術が目立って来てしまう。
そういう箇所が何カ所かあった。
だけどそれは音楽も一緒で
全てがうまく行くと世界が現れ
技術には目がいかなくなる。
カットの切り替わりが唐突で
例えば旗を降ろすときに彼がおっこってくる絵を重ねてそれを受け止める
彼女のアッップショット。
これ他の映画でもやってたし。(多分ゲド戦記)
今必要だったこれ?
こういう難しいカットが出来ますと言いたかっただけ?
一番入り口の主人公が部屋の中を歩くカット。
この子は目が見えない役なんだろうか?
目が死んでいるみたいに見える。
なんで?
もったいない。
感情移入しにくい。
今回は筋が簡単だからまだましだけど
ゲド戦記で感じた伝わってこない感じは
やはりまだ残っている。
手島葵が巧過ぎて浮くって言うのも
こういうプロジェクトに素人を使うリスクのような気がする。
声優を使わないのは声優臭さを嫌い自然やリアルにこだわるからだと思うが
アニメを分かっていない素人がやると
音楽のプロ、女優のプロかもしれないが
結果台詞まわしの違和感がものすごい。
違和感の有る台詞を通常役者のプロなら自分の外見をあわせて使って軽減させられるが
それに合った絵に見えない。
現代劇的な要素を取り入れている。
平田オリザさんのやり方に影響されているということもわかる。
絵で見ると違和感が強い。
巧く伝えるって言うのは本当に難しい事なんだ。
目をリアルに見せるために白く抜いているが黒の部分が目立って
結果目が死んで見える。
同じ日本物で「耳を澄ませば」と比べてみる。
確かに日本のものでは黒目を一色にしているようだ。
ということはやはりシーンのつながりの違和感
音楽の違和感。 話に入り込みにくい。
そんな中カルチェラタンの魅力は一際光っていた。
33)ものすごい残念な仕上がり。演出って重要なのね。
山の素晴らしさ、残酷さ、過酷さ、その中で力強く生きる救助隊。
泣かせるように泣かせるようにと演出しすぎて結局全く泣けない展開に。
ものすごいのめり込んで陶酔しているシンガーを思い出してしまった。
脚本も大事なんだなぁ。事件が起きる。三歩が解決。涙。
事件が起きる。三歩が解決。涙。以下延々続く。最初の5分だけで良かったね。
っていう展開。で感情的なしかも絶対に言わないような台詞が横行する。
仕方なく演技が過剰になる。そして最後には山には合ってはならない展開。
(まだ見てないけど)でも三歩が解決。以上。で涙を流せと要求。
原作もこんなだっただろうか?
大切な主題を見落としたまま映画を作ったとしか思えない。
まず演出的に三歩が無謀な馬鹿にしか見えない。
山に対して死ぬ覚悟を持っているとは思えない。
演技の過剰が気持ち悪い。おセンチなドラマが延々続く。
山好きが見たら泣くだろうなぁ。
この映画に出た事で役者はこれからの評価が落ちるという
事を覚悟の上だったのだろうか。
ぐちゃぐちゃの死体とか体とか、トランシーバーの使い方とか、山の基本的なルールとか、もう少しディテールを山好きに対して誠実にするべきではなかったのか。
こんな過酷な思いをさせてこんな仕上がりって役者がかわいそうすぎる。
憤り!!!
こんな野に出ようってよっぽどお金に困っているのだろうか。
ミュージシャンでもこういう仕事有りますよ。
雇い主が全くわかってない。
なんで呼ばれたのか?
何のビジョンも無い雇い主。
好きにやってください。
そうじゃないでしょ?
客層、どんな曲をやってほしい。
どういう雰囲気の会にしたい。
何でもいってくださいよ
ギャラ払うんだから。
好きにしてください
と何もしなくても良いですよ
は同じ意味。
おセンチな感動風メロドラマ。
おえっおえっ。
久々にひどい仕上がりの映画だった。
こういう書き方は絶対しないと思っていたけどしてしまう。
なめてるってこういう感じなんだな。
映画業界の場合。
なるほど。
音楽もこんなのばっかだから
気をつけよう。
雪の中の我慢大会。役者の方達お疲れ様。
だからいきなりクレバスにおっこって行くなんてあり得ないんだってば。
それで登っている最中の彼女の上に落ちたらどうするんだって。
そういう演出をするなよ!腹立たしい!!!
そしてチューさせたいために彼女を殺すのかよ!
はいはい。
で生き返るのね。
山って楽勝な感じ。
そういう生温い演出をしないでほしいよ全く!
山を分かってない中途半端な素人が
軽はずみな行動に出ても三歩は見捨てない。
何故なら三歩は超人だから?
そんな感じにしかとれない。
普通の人でいつでも死ぬ覚悟があるとこうなるっていう
演出が出来てない。
それを説得するシーンが無さ過ぎる。
なぜならお涙頂戴のシーンが全体の9割を占めているから。
分かってない素人を演出するために
長沢まさみを入隊したてにするのはいいとしても
その彼女がいきなり普段着で任務に就くって言うのは
ありえない!山をなめている。
人を担いで山をあがったり下りたりしなきゃ行けないのに
あんなやせてぎすぎすの体の役者を使うのも
山をなめている。
山が好きなら絶対見たら行けない映画でした。
山好きじゃなくてよかった。
栗木史多さんや服部文洋さんや山野井泰史さんなんかの映像を見ていると
彼らは死線で生きている。
指が無くなろうが大した問題じゃない
一般人には計り知れない価値観の中に生きている。
それを描けなければ意味が無い。
過剰な演出をすればするほど山男の魅力が薄れて行く。
山岳救助隊の焦りの演出も過剰過ぎて
こんな人たちに命を助ける事が出来るんだろうか?と見える
実際こういうところのプロはこんな焦ったりしないだろう。
そういう事をして無駄に心拍数を上げると山に入ってから
良くないことが起きるという事くらい
誰でも分かりそうだ。
三歩というキャラが生きるための演出も
盛り、盛り、の演出をしているけれど
能天気。超ハイテンション。元気。焦らない。
だけど実は心に大きな傷がある。
隠しながら勇敢に生きている。
それを表現するために他の人を大バカにしてちょう焦らせる演出をするのは
学芸会演出だ。
佐々木蔵之介がかわいそうだ。
漫画の三歩さんのようなどっしりとした体躯が小栗さんに無いのも残念なポイント。
他に会う人がいなかったのか?
彼級の役者で体格がいいって言うのは厳しいのかな。
良いシーンでは蔵之介さん過剰な演技を押さえている。
という事は方々でやっている過剰演技はこの映画を意図的に演技力で
陥れようとしているのかな?
やり方が気に食わなかったから途中から演技方針を変えて映画にもの申す!
みたいな事をしたとしか思えない。
うぅ。せっかくの雄大な山の景色がもったいない。
こういう映画は演技力より体つき一つがすべてを表してしまう。
もったいない。
山本太郎君とかの方が肉体的には適任では?
自分より死体を担いで崖を上れるという説得力が体から感じられない。
ひとりで山を登る人ような人としてなら全然ありだと思うけど。
役者云々より監督演出脚本があまりにも映画をなめている
いや人をなめている。
音楽もこういう上から目線のこうやったらエンターテインメントだろ。
こうやったらここで泣けてここで笑えるだろ?
どうだよ?みたいなのが多いけど
問題に直面して
なんとか解決しようとするような
姿勢を忘れないようにしなければと
身の引き締まる思いです
反面教師的にありがとう。
あのナポリタンは食べたい!
31)ハートロッカー
ハートロッカーってそもそもどういう意味なのか?
hurt locker 痛みを閉じ込める?
=drug?=war is a drug?=war is unbarable unless you're knumb?
そうでないと生きて行けないからそういう風に生きていますという
イケイケ爆弾処理の男。
家族なんてどうでも良い。
戦場で完璧な仕事をこなしている時しか達成感を感じない。
音楽もそうだなぁ。
辛いから結婚したり伴侶をもうけたりするけど
結局音楽の現場で得られる感じ
高揚感、dopeness,気持ちよさ含め
自分と直で向き合っている感じは
他の場所では得られない。
戦争なんてもうたくさんだ=子供が欲しい。
ってなる一般的な人代表の台詞はよくわかる。
音楽だってのめり込んでいるのは異常事態なわけで。
これで金が儲かりまくる訳でもない。
業界はイラク戦争もそうであるように
矛盾だらけ。
だけど、嫌だ。駄目だ。意味が無い。
hopeless 自己嫌悪 自己憐憫
どんなマイナスな言葉を並べてみても
自分の下手さ加減、駄目さ加減を憂いてみても
結局其処に戻るしかない。
戻りたくない。
子供つくって幸せになりたい
そう思っても結局無理なんだよね。
だって好きだから
ぶーっ
好きだからとか言う言葉が出てこなくなるくらい
身にしみて来ている
歯磨きをいちいち好きか嫌いか考えないのと同じ。
完全に感覚を失って、自分の置かれた状態を当たり前と思う上司。
感覚を失いたいと思うのにビビりすぎて失う事さえできず結果痛い痛い辛い辛い部下。
感覚がありなんとか平常心を保とうと折り合いを付ける真っ当な部下。
真っ当な感覚があったら音楽はやめるんだよ。子供が欲しくなるんだよ。
何処かに無感覚にアディクトした部分が有るから音楽を続けて行ける。
そういう事を強く想起させる
映画だった。
人生とは無感覚に何かにアディクとしていないと
やり切れないものなのかもしれない。
少なくとも耐えきれない。
子供を産んで平和な家庭を作っている一般的な過程でさえ
そういう家庭という名の無感覚のなかで生きているに過ぎない。
人生の皮をめくったらどうあっても
生きて行くには辛すぎる現実が待っている
そこが戦場でなくても
人は死というあまりにも未知で
恐怖でしかないものに
向かっている。
向き合う気がなくても
向き合いたくなくても
向き合っていても
どんな態度だろうと
其処に向かっている。
彼は結局正面から向き合うしかないから
また其処に戻る。
私たちにもそれぞれ向き合うしかない現実があり
其処に戻るしかない。
結局其処しか戻る場所が無いのに
休息場を作るなんて人生に保険かけ過ぎ
じゃない?
戦場にはかなわないんだから。
ということで戦争に反対する映画ではなく
人は死と自分の仕事にどう向き合うのかという映画に見えました。
32)ちょんまげプリン
現代にやって来たお侍さんがある母子とマジワって何かをつかんで過去に帰って行く。
タイムスリプ設定はテルマエロマエと一緒なのだけど。
話の規模を小さくたのと主題を現代の問題にした事によりより共鳴出来る仕上がりに。
テルマエロマエでは仕事に悩んだ男が
現代と過去をいったり来たりするたび新しい仕事のヒントを得てゆく。
仕事をただパクって行くだけなので行き来にもあまり共感出来ない。
プリンは仕事人間で家事を何もしない父を離縁して
二人で暮す母子のところに途方に暮れた侍がやってくる。
優しくもてなしてもらって恩を返すべく侍が母に替わって家事をする。
母は仕事に専念出来るようになり仕事が巧く行く。
一方家事の中で侍が菓子作りに才能を発揮。
それで仕事を得るようになる。
すると離縁した旦那のように仕事人間になってしまい、結局男なんて同じだと母は再び失望する。
しかしある事件をきっかけに侍も母子も絆を深め侍は過去に戻ってゆく。
現代の夫婦がかかえる潜在的な問題。
夫婦ともに働くのに家事子育てをするのは女の仕事。
不公平さ理不尽さが離婚非婚を呼び
男尊女卑の男性中心の現代社会の有り様を描き
そこに全く違う価値観の人を投入する事で問題がどういう化学反応を起こすのか
昔の人の丁寧な物腰が現代にあった場合。
昔の人の子育て感が現代にあった場合。
昔も今も男性優位の社会だけれど
昔は相手に対する尊敬と人生に対する丁寧さ慎ましさがあったのかもしれない。
同じ仕事一途でも今の男には家事子育ては面倒くさいから女房に任せている
という感覚が少なからずあるように思う。
それに対する言い訳としては
朝から晩まで仕事を頑張ったから他の事は女房に任せて当たり前だと思っている。
女性側も朝から晩まで家事をして子育てをして、あげく会社での仕事もしている。
こんな面倒な事を押し付けられているのに、何の感謝もされないという不満がある。
家事子育ては面倒くさい仕事という位置づけにされているところがそもそもの問題で
過去においてはそれは奥向きの仕事ということで表向きの仕事をする男とは隔てられ
しかしそれに対する根本的尊敬が互いに合った。表と裏。
どちらも無くてはならなかった。
仕事が有る無しに関わらず家督に合わせて禄高が決まっていたというのも
今には無いセイフティーネットだろう。
いまだったらプータローにしかならない人にも嫁を持つ権利が合った。
それを保証していたのが身分制度。
現代では面倒が勝って尊敬が無くなった。
そういう事を色々考えてしまう本作でした。
あと錦戸さんは確実に何かを持ってます
福君も。
31)ハートロッカー
32)ちょんまげプリン
33)岳
34)腑抜けども悲しみの愛を見せろ
35)パーマネント野ばら
30)演奏前日に緊迫した気持ちの中で見た。落ち着く。
かつての自分が音楽を見つけた部室、部活、仲間を思い出す。
だけど絵の切り貼りにいくつか疑問が残った。
技術は世界を支えるモノで
世界が足りないと技術が目立って来てしまう。
そういう箇所が何カ所かあった。
だけどそれは音楽も一緒で
全てがうまく行くと世界が現れ
技術には目がいかなくなる。
カットの切り替わりが唐突で
例えば旗を降ろすときに彼がおっこってくる絵を重ねてそれを受け止める
彼女のアッップショット。
これ他の映画でもやってたし。(多分ゲド戦記)
今必要だったこれ?
こういう難しいカットが出来ますと言いたかっただけ?
一番入り口の主人公が部屋の中を歩くカット。
この子は目が見えない役なんだろうか?
目が死んでいるみたいに見える。
なんで?
もったいない。
感情移入しにくい。
今回は筋が簡単だからまだましだけど
ゲド戦記で感じた伝わってこない感じは
やはりまだ残っている。
手島葵が巧過ぎて浮くって言うのも
こういうプロジェクトに素人を使うリスクのような気がする。
声優を使わないのは声優臭さを嫌い自然やリアルにこだわるからだと思うが
アニメを分かっていない素人がやると
音楽のプロ、女優のプロかもしれないが
結果台詞まわしの違和感がものすごい。
違和感の有る台詞を通常役者のプロなら自分の外見をあわせて使って軽減させられるが
それに合った絵に見えない。
現代劇的な要素を取り入れている。
平田オリザさんのやり方に影響されているということもわかる。
絵で見ると違和感が強い。
巧く伝えるって言うのは本当に難しい事なんだ。
目をリアルに見せるために白く抜いているが黒の部分が目立って
結果目が死んで見える。
同じ日本物で「耳を澄ませば」と比べてみる。
確かに日本のものでは黒目を一色にしているようだ。
ということはやはりシーンのつながりの違和感
音楽の違和感。 話に入り込みにくい。
そんな中カルチェラタンの魅力は一際光っていた。
33)ものすごい残念な仕上がり。演出って重要なのね。
山の素晴らしさ、残酷さ、過酷さ、その中で力強く生きる救助隊。
泣かせるように泣かせるようにと演出しすぎて結局全く泣けない展開に。
ものすごいのめり込んで陶酔しているシンガーを思い出してしまった。
脚本も大事なんだなぁ。事件が起きる。三歩が解決。涙。
事件が起きる。三歩が解決。涙。以下延々続く。最初の5分だけで良かったね。
っていう展開。で感情的なしかも絶対に言わないような台詞が横行する。
仕方なく演技が過剰になる。そして最後には山には合ってはならない展開。
(まだ見てないけど)でも三歩が解決。以上。で涙を流せと要求。
原作もこんなだっただろうか?
大切な主題を見落としたまま映画を作ったとしか思えない。
まず演出的に三歩が無謀な馬鹿にしか見えない。
山に対して死ぬ覚悟を持っているとは思えない。
演技の過剰が気持ち悪い。おセンチなドラマが延々続く。
山好きが見たら泣くだろうなぁ。
この映画に出た事で役者はこれからの評価が落ちるという
事を覚悟の上だったのだろうか。
ぐちゃぐちゃの死体とか体とか、トランシーバーの使い方とか、山の基本的なルールとか、もう少しディテールを山好きに対して誠実にするべきではなかったのか。
こんな過酷な思いをさせてこんな仕上がりって役者がかわいそうすぎる。
憤り!!!
こんな野に出ようってよっぽどお金に困っているのだろうか。
ミュージシャンでもこういう仕事有りますよ。
雇い主が全くわかってない。
なんで呼ばれたのか?
何のビジョンも無い雇い主。
好きにやってください。
そうじゃないでしょ?
客層、どんな曲をやってほしい。
どういう雰囲気の会にしたい。
何でもいってくださいよ
ギャラ払うんだから。
好きにしてください
と何もしなくても良いですよ
は同じ意味。
おセンチな感動風メロドラマ。
おえっおえっ。
久々にひどい仕上がりの映画だった。
こういう書き方は絶対しないと思っていたけどしてしまう。
なめてるってこういう感じなんだな。
映画業界の場合。
なるほど。
音楽もこんなのばっかだから
気をつけよう。
雪の中の我慢大会。役者の方達お疲れ様。
だからいきなりクレバスにおっこって行くなんてあり得ないんだってば。
それで登っている最中の彼女の上に落ちたらどうするんだって。
そういう演出をするなよ!腹立たしい!!!
そしてチューさせたいために彼女を殺すのかよ!
はいはい。
で生き返るのね。
山って楽勝な感じ。
そういう生温い演出をしないでほしいよ全く!
山を分かってない中途半端な素人が
軽はずみな行動に出ても三歩は見捨てない。
何故なら三歩は超人だから?
そんな感じにしかとれない。
普通の人でいつでも死ぬ覚悟があるとこうなるっていう
演出が出来てない。
それを説得するシーンが無さ過ぎる。
なぜならお涙頂戴のシーンが全体の9割を占めているから。
分かってない素人を演出するために
長沢まさみを入隊したてにするのはいいとしても
その彼女がいきなり普段着で任務に就くって言うのは
ありえない!山をなめている。
人を担いで山をあがったり下りたりしなきゃ行けないのに
あんなやせてぎすぎすの体の役者を使うのも
山をなめている。
山が好きなら絶対見たら行けない映画でした。
山好きじゃなくてよかった。
栗木史多さんや服部文洋さんや山野井泰史さんなんかの映像を見ていると
彼らは死線で生きている。
指が無くなろうが大した問題じゃない
一般人には計り知れない価値観の中に生きている。
それを描けなければ意味が無い。
過剰な演出をすればするほど山男の魅力が薄れて行く。
山岳救助隊の焦りの演出も過剰過ぎて
こんな人たちに命を助ける事が出来るんだろうか?と見える
実際こういうところのプロはこんな焦ったりしないだろう。
そういう事をして無駄に心拍数を上げると山に入ってから
良くないことが起きるという事くらい
誰でも分かりそうだ。
三歩というキャラが生きるための演出も
盛り、盛り、の演出をしているけれど
能天気。超ハイテンション。元気。焦らない。
だけど実は心に大きな傷がある。
隠しながら勇敢に生きている。
それを表現するために他の人を大バカにしてちょう焦らせる演出をするのは
学芸会演出だ。
佐々木蔵之介がかわいそうだ。
漫画の三歩さんのようなどっしりとした体躯が小栗さんに無いのも残念なポイント。
他に会う人がいなかったのか?
彼級の役者で体格がいいって言うのは厳しいのかな。
良いシーンでは蔵之介さん過剰な演技を押さえている。
という事は方々でやっている過剰演技はこの映画を意図的に演技力で
陥れようとしているのかな?
やり方が気に食わなかったから途中から演技方針を変えて映画にもの申す!
みたいな事をしたとしか思えない。
うぅ。せっかくの雄大な山の景色がもったいない。
こういう映画は演技力より体つき一つがすべてを表してしまう。
もったいない。
山本太郎君とかの方が肉体的には適任では?
自分より死体を担いで崖を上れるという説得力が体から感じられない。
ひとりで山を登る人ような人としてなら全然ありだと思うけど。
役者云々より監督演出脚本があまりにも映画をなめている
いや人をなめている。
音楽もこういう上から目線のこうやったらエンターテインメントだろ。
こうやったらここで泣けてここで笑えるだろ?
どうだよ?みたいなのが多いけど
問題に直面して
なんとか解決しようとするような
姿勢を忘れないようにしなければと
身の引き締まる思いです
反面教師的にありがとう。
あのナポリタンは食べたい!
31)ハートロッカー
ハートロッカーってそもそもどういう意味なのか?
hurt locker 痛みを閉じ込める?
=drug?=war is a drug?=war is unbarable unless you're knumb?
そうでないと生きて行けないからそういう風に生きていますという
イケイケ爆弾処理の男。
家族なんてどうでも良い。
戦場で完璧な仕事をこなしている時しか達成感を感じない。
音楽もそうだなぁ。
辛いから結婚したり伴侶をもうけたりするけど
結局音楽の現場で得られる感じ
高揚感、dopeness,気持ちよさ含め
自分と直で向き合っている感じは
他の場所では得られない。
戦争なんてもうたくさんだ=子供が欲しい。
ってなる一般的な人代表の台詞はよくわかる。
音楽だってのめり込んでいるのは異常事態なわけで。
これで金が儲かりまくる訳でもない。
業界はイラク戦争もそうであるように
矛盾だらけ。
だけど、嫌だ。駄目だ。意味が無い。
hopeless 自己嫌悪 自己憐憫
どんなマイナスな言葉を並べてみても
自分の下手さ加減、駄目さ加減を憂いてみても
結局其処に戻るしかない。
戻りたくない。
子供つくって幸せになりたい
そう思っても結局無理なんだよね。
だって好きだから
ぶーっ
好きだからとか言う言葉が出てこなくなるくらい
身にしみて来ている
歯磨きをいちいち好きか嫌いか考えないのと同じ。
完全に感覚を失って、自分の置かれた状態を当たり前と思う上司。
感覚を失いたいと思うのにビビりすぎて失う事さえできず結果痛い痛い辛い辛い部下。
感覚がありなんとか平常心を保とうと折り合いを付ける真っ当な部下。
真っ当な感覚があったら音楽はやめるんだよ。子供が欲しくなるんだよ。
何処かに無感覚にアディクトした部分が有るから音楽を続けて行ける。
そういう事を強く想起させる
映画だった。
人生とは無感覚に何かにアディクとしていないと
やり切れないものなのかもしれない。
少なくとも耐えきれない。
子供を産んで平和な家庭を作っている一般的な過程でさえ
そういう家庭という名の無感覚のなかで生きているに過ぎない。
人生の皮をめくったらどうあっても
生きて行くには辛すぎる現実が待っている
そこが戦場でなくても
人は死というあまりにも未知で
恐怖でしかないものに
向かっている。
向き合う気がなくても
向き合いたくなくても
向き合っていても
どんな態度だろうと
其処に向かっている。
彼は結局正面から向き合うしかないから
また其処に戻る。
私たちにもそれぞれ向き合うしかない現実があり
其処に戻るしかない。
結局其処しか戻る場所が無いのに
休息場を作るなんて人生に保険かけ過ぎ
じゃない?
戦場にはかなわないんだから。
ということで戦争に反対する映画ではなく
人は死と自分の仕事にどう向き合うのかという映画に見えました。
32)ちょんまげプリン
現代にやって来たお侍さんがある母子とマジワって何かをつかんで過去に帰って行く。
タイムスリプ設定はテルマエロマエと一緒なのだけど。
話の規模を小さくたのと主題を現代の問題にした事によりより共鳴出来る仕上がりに。
テルマエロマエでは仕事に悩んだ男が
現代と過去をいったり来たりするたび新しい仕事のヒントを得てゆく。
仕事をただパクって行くだけなので行き来にもあまり共感出来ない。
プリンは仕事人間で家事を何もしない父を離縁して
二人で暮す母子のところに途方に暮れた侍がやってくる。
優しくもてなしてもらって恩を返すべく侍が母に替わって家事をする。
母は仕事に専念出来るようになり仕事が巧く行く。
一方家事の中で侍が菓子作りに才能を発揮。
それで仕事を得るようになる。
すると離縁した旦那のように仕事人間になってしまい、結局男なんて同じだと母は再び失望する。
しかしある事件をきっかけに侍も母子も絆を深め侍は過去に戻ってゆく。
現代の夫婦がかかえる潜在的な問題。
夫婦ともに働くのに家事子育てをするのは女の仕事。
不公平さ理不尽さが離婚非婚を呼び
男尊女卑の男性中心の現代社会の有り様を描き
そこに全く違う価値観の人を投入する事で問題がどういう化学反応を起こすのか
昔の人の丁寧な物腰が現代にあった場合。
昔の人の子育て感が現代にあった場合。
昔も今も男性優位の社会だけれど
昔は相手に対する尊敬と人生に対する丁寧さ慎ましさがあったのかもしれない。
同じ仕事一途でも今の男には家事子育ては面倒くさいから女房に任せている
という感覚が少なからずあるように思う。
それに対する言い訳としては
朝から晩まで仕事を頑張ったから他の事は女房に任せて当たり前だと思っている。
女性側も朝から晩まで家事をして子育てをして、あげく会社での仕事もしている。
こんな面倒な事を押し付けられているのに、何の感謝もされないという不満がある。
家事子育ては面倒くさい仕事という位置づけにされているところがそもそもの問題で
過去においてはそれは奥向きの仕事ということで表向きの仕事をする男とは隔てられ
しかしそれに対する根本的尊敬が互いに合った。表と裏。
どちらも無くてはならなかった。
仕事が有る無しに関わらず家督に合わせて禄高が決まっていたというのも
今には無いセイフティーネットだろう。
いまだったらプータローにしかならない人にも嫁を持つ権利が合った。
それを保証していたのが身分制度。
現代では面倒が勝って尊敬が無くなった。
そういう事を色々考えてしまう本作でした。
あと錦戸さんは確実に何かを持ってます
福君も。
お笑いの芸人さんには仲がいいタイプと本番まで別々に過ごすタイプがいると聞く。
話芸の世界で別々に過ごすなんてありなんだろうか?
と思うが、翻って自分の世界を考えたとき。
確かに。その日演奏する共演者とはリハーサルと本番でしか会わない。
それは非関係者には奇異に移るのかもしれない。
お客さんによく聞かれる。
「ずっとこのメンバーでやってるんですか?」
「いえ。今日でX回目です。」
「演奏以外はどういうコミュニケーションを?」
「全く会いません。」
「友達じゃないんですか?」
共演者は友達ではない。
友達ではないが、会っていきなり友達より深い会話をする。
互いの本音を語り合い今どの辺りにいるのか探り合う。
そしてそれを感じながら演奏に入る。
だからこそリハーサルは大事。
リハーサルで何かがかみ合う地点に行けるために。
練習が大事。
準備が大事。
本番も誤解を恐れず言うなら本番というパフォーマンス込みの練習だ。
その場でどれだけ伝える事が出来るか
伝えるに足りる資料を準備出来るのか?
家にいて一人でなんの承認も確証も保証もなく
演奏を準備しひたすら考える。
伝え方を。
お客さんに伝わるマエに演奏家に伝わらなければ
意味がない
お客さんは演者に伝わったかどうかを移す鏡なのだ。
巧く伝わっていればそういう反応がお客さんからくる。
まずはミュージシャン同士が何かを共有し合えるのかが
大切。
それを伝えるのがバンマス。
技量がないから切るというやり方では
共演者もバンマスも育たない。
それには相手を犯す事無く本音を引き出し
それに対応しうる構成や曲やキックやリズムを提供できるのかを模索する。
色んな物を入れまくる。
だから映画!
総合芸術。
目が行き届かない事がまだ多い。
演出がまだあまあまだ。
だからこそおもしろい。
難しい。
ちっとも巧く行かない。
だから面白い。
出来ない。
何も出来ないから。
面白い。
全て分かってしまったら辞めるしか無い。
全て出来てしまったらつまらない。
ちょっとした音楽的な演出でライブは劇的に変わる。
ちょっとしたを探して今日も色々吸収したい。
吸収すると同時に思い込みを一つひとつ
解き放ちたい。
デブは無知と貧困の象徴
こういうキャッチフレーズに全身を預けてしまうのは容易い。
何も考えなくても良い。
しかしそれなら飯野賢治は?
伊集院光は?
無知や貧困とは無縁のデブさんもいるのだ。
失礼。
何も考えずに簡単な標語のような言葉や音楽的形式を我々は信頼しすぎている。
Cとかいてあったらドミソと弾くとはどうやって決まった事か?
ジャズならこう弾けば良い。ボサならこうだ。
それをそのまま鵜呑みにしてよいのか?
世界はどういう順番で立ち現れるのか?
それをリハの1、2時間で一瞬に伝えるのはかなり困難。
だけどそれがやれなければ日本の現場はうまれない。
早く正確に面白く一瞬で。
瞬発力
話芸の世界で別々に過ごすなんてありなんだろうか?
と思うが、翻って自分の世界を考えたとき。
確かに。その日演奏する共演者とはリハーサルと本番でしか会わない。
それは非関係者には奇異に移るのかもしれない。
お客さんによく聞かれる。
「ずっとこのメンバーでやってるんですか?」
「いえ。今日でX回目です。」
「演奏以外はどういうコミュニケーションを?」
「全く会いません。」
「友達じゃないんですか?」
共演者は友達ではない。
友達ではないが、会っていきなり友達より深い会話をする。
互いの本音を語り合い今どの辺りにいるのか探り合う。
そしてそれを感じながら演奏に入る。
だからこそリハーサルは大事。
リハーサルで何かがかみ合う地点に行けるために。
練習が大事。
準備が大事。
本番も誤解を恐れず言うなら本番というパフォーマンス込みの練習だ。
その場でどれだけ伝える事が出来るか
伝えるに足りる資料を準備出来るのか?
家にいて一人でなんの承認も確証も保証もなく
演奏を準備しひたすら考える。
伝え方を。
お客さんに伝わるマエに演奏家に伝わらなければ
意味がない
お客さんは演者に伝わったかどうかを移す鏡なのだ。
巧く伝わっていればそういう反応がお客さんからくる。
まずはミュージシャン同士が何かを共有し合えるのかが
大切。
それを伝えるのがバンマス。
技量がないから切るというやり方では
共演者もバンマスも育たない。
それには相手を犯す事無く本音を引き出し
それに対応しうる構成や曲やキックやリズムを提供できるのかを模索する。
色んな物を入れまくる。
だから映画!
総合芸術。
目が行き届かない事がまだ多い。
演出がまだあまあまだ。
だからこそおもしろい。
難しい。
ちっとも巧く行かない。
だから面白い。
出来ない。
何も出来ないから。
面白い。
全て分かってしまったら辞めるしか無い。
全て出来てしまったらつまらない。
ちょっとした音楽的な演出でライブは劇的に変わる。
ちょっとしたを探して今日も色々吸収したい。
吸収すると同時に思い込みを一つひとつ
解き放ちたい。
デブは無知と貧困の象徴
こういうキャッチフレーズに全身を預けてしまうのは容易い。
何も考えなくても良い。
しかしそれなら飯野賢治は?
伊集院光は?
無知や貧困とは無縁のデブさんもいるのだ。
失礼。
何も考えずに簡単な標語のような言葉や音楽的形式を我々は信頼しすぎている。
Cとかいてあったらドミソと弾くとはどうやって決まった事か?
ジャズならこう弾けば良い。ボサならこうだ。
それをそのまま鵜呑みにしてよいのか?
世界はどういう順番で立ち現れるのか?
それをリハの1、2時間で一瞬に伝えるのはかなり困難。
だけどそれがやれなければ日本の現場はうまれない。
早く正確に面白く一瞬で。
瞬発力
27)サマーウォーズ 細田守
28)tour operator
29)PEDAL pist bike movement in NY
27)先日細田守監督作のおおかみ男の雨と雪がレンタル開始になった。
その関連商品という事で目につき易いところに有ったので思わず。
武田家の流れを汲む旧家の名門の家に夏休みの時期におこる大事件。
弱々しい青年が美しい先輩に頼まれて大おばあさんの誕生日の手助けをする。
大おばあさんには子供が4人。それぞれの夫や奥さん、その子供、更にその子供。
みんな勢揃いで誕生日の準備をする。孫の一人は野球青年でこの子は地方予選の決勝まで進み
テレビで毎日取り上げられている。
一方弱々しい青年は数学オリンピックに出られそうなくらい数学が得意。
青年に送られて来た数列だらけのメール。これを解いてしまったことで。・・・。
面白い対比。
弱々し青年が挑む戦いはネットの世界の中の被現実だけど
世界を揺るがす一大事で有るのに対し、
野球青年の戦いはリアルで現実なはずなのにテレビの中どまり。
球場の中から一歩も外には出ない。
とても閉鎖的な空間におけるリアル。
どっちがリアルだか分からない。
真逆の対比。
武田家に社会の縮図を当てはめているのも面白い。
医者がいて、消防士がいて、警察官がいて、自衛官がいて。
刑事は上から威張ってばかりで理不尽で何かする時はとんちんかんで役に立たない。
とか。
絵も美しくて。何度見ても色んな発見が有りそう。
28)youtubeで発見した自転車映像にすっかりはまって以来中毒的に自転車ものを見まくっている。
http://www.youtube.com/watch?v=Z2e3Kyw4z30
robbie mcewen選手の自転車の前部、多分ハンドルの間あたりに小型カメラが仕込んである。
それでレースに参加しながら同時録画してるのですね。
風をよけつつ、選手が前後を軽やかに交代しテイク様は見応えばっちり。
観衆の早さを見るとどんなスピードで走っているのかわかって恐ろしい!
これは集団競技なんだっていうのも映像を見るうちに判明。
自転車競技はマラソンよりもはるかに先頭が風を食らって不利になるスポーツ。
だから敵同士でも何人かの集団で逃げたりする場合先頭が交互に交代するように
譲り合って共存している。全体では同じチームの何人かを上位に送り込む事でポイントが稼げるらしく
監督のような人が試合前に指示を出している。
あなた逃げる人。あなたは後ろで温存している人。そして隊列を組んで行く場合、守られるエースは常に
一番後ろでその他のみんなでエースの風よけをする。
なんか野球に似てない?先頭で行かされる逃げる人なんてレースの終盤には必ず棄権する。
そもそも役割があるからその人の役は完走する事でさえない。
バントの役の人みたいですよね。
必ず送る事が仕事で自分はアウトになる専門職みたいな。
そういう犠牲を伴う美しいチームスポーツだって言う事が日本では
伝統的な武士道を想起させて人気になるんじゃないでしょか。
総大将を守るための戦い。他の兵士は死ぬ事をいとわない。
日本の精神にかなり近い。
だってこれがもし個人技だけだったら日本人は体格的に戦えない。
それで思うけど日本の実況のやり方は根本的に
間違っている。今現在誰が一番かという事だけにとらわれた中継
この競技の本質と関係なくない?
その点この自転車からの映像って言うのは面白くて試合のドキュメンタリーとしてはこんなに
面白い事は無い。
このロビーさんは引退したらしいのに隠居的に試合に出てお楽しみでカメラに映像をおさめ
あげく3位に入ってくる。
最後のスパート何かもみものです。
日本の選手は足が発達してしまう事がそのまま重さになって、力技でいかないとこげない。
なんか悪循環している。
音楽も同じだなぁ。
あ。
それでこの映画の方はツールドフランス2000をconfidisのチームとあるおじいさんの目線で切り取った
ドキュメンタリーで超超素敵で泣けます。
若きdavid millarが初めてlance armstrongに土を付けなんとかマイヨ〜ルとかいう一番の人だけがつけられる
ジャージをゲットする。
おじいさんは試合を追っかけてキャンピングカーで移動。
小さなベッドは椅子代わり。
キッチンでご飯を食べるシーンは本当になける。
死ぬほど頑張ってトレーニングするバイカー達。
それを人生をかけて応援するおじいさん。
選手達はこういうおじいさんやおばあさんを救う天使さんなんだなぁ。
同時に選手達もこういう存在に助けられているんだろうし。
トレーニングは自分のためにしか出来ないけど
試合だって自分のあるいはチームのためにしか出来ない。
だけど結果たくさんの周囲が巻き込まれ助けたり助けられたり。
う。う。。美しいぃ。
29)こっちはニューヨークの自転車便の話です。
こんな感じの現状がnyにはあるのかっていう新鮮な驚き。
まずやる人が社会の最底辺の人だということ。
スラム、ゲットー、プロジェクト出身者。
ニューヨークの市内の一番人が多いところを走る。
しょっちゅう事故が起きる。
映画の中でも一人タクシーにクリーンヒットされていた。(全然無事だったけど)
日本だと結構な試合を目指す人がバイトでトレーニングをかねる
みたいなイメージだけどニューヨークではならず者の職業みたいな意識も結構強いのかもしれない。
みんなおのおの改造したバイクを使っており、
そうだ日本ではこのバイクを町中で乗り回すのは禁止されてるんじゃなかたっけ?
競輪用のやつ。
29を見ると28の恵まれてるさ加減がよくわかる。
28)tour operator
29)PEDAL pist bike movement in NY
27)先日細田守監督作のおおかみ男の雨と雪がレンタル開始になった。
その関連商品という事で目につき易いところに有ったので思わず。
武田家の流れを汲む旧家の名門の家に夏休みの時期におこる大事件。
弱々しい青年が美しい先輩に頼まれて大おばあさんの誕生日の手助けをする。
大おばあさんには子供が4人。それぞれの夫や奥さん、その子供、更にその子供。
みんな勢揃いで誕生日の準備をする。孫の一人は野球青年でこの子は地方予選の決勝まで進み
テレビで毎日取り上げられている。
一方弱々しい青年は数学オリンピックに出られそうなくらい数学が得意。
青年に送られて来た数列だらけのメール。これを解いてしまったことで。・・・。
面白い対比。
弱々し青年が挑む戦いはネットの世界の中の被現実だけど
世界を揺るがす一大事で有るのに対し、
野球青年の戦いはリアルで現実なはずなのにテレビの中どまり。
球場の中から一歩も外には出ない。
とても閉鎖的な空間におけるリアル。
どっちがリアルだか分からない。
真逆の対比。
武田家に社会の縮図を当てはめているのも面白い。
医者がいて、消防士がいて、警察官がいて、自衛官がいて。
刑事は上から威張ってばかりで理不尽で何かする時はとんちんかんで役に立たない。
とか。
絵も美しくて。何度見ても色んな発見が有りそう。
28)youtubeで発見した自転車映像にすっかりはまって以来中毒的に自転車ものを見まくっている。
http://www.youtube.com/watch?v=Z2e3Kyw4z30
robbie mcewen選手の自転車の前部、多分ハンドルの間あたりに小型カメラが仕込んである。
それでレースに参加しながら同時録画してるのですね。
風をよけつつ、選手が前後を軽やかに交代しテイク様は見応えばっちり。
観衆の早さを見るとどんなスピードで走っているのかわかって恐ろしい!
これは集団競技なんだっていうのも映像を見るうちに判明。
自転車競技はマラソンよりもはるかに先頭が風を食らって不利になるスポーツ。
だから敵同士でも何人かの集団で逃げたりする場合先頭が交互に交代するように
譲り合って共存している。全体では同じチームの何人かを上位に送り込む事でポイントが稼げるらしく
監督のような人が試合前に指示を出している。
あなた逃げる人。あなたは後ろで温存している人。そして隊列を組んで行く場合、守られるエースは常に
一番後ろでその他のみんなでエースの風よけをする。
なんか野球に似てない?先頭で行かされる逃げる人なんてレースの終盤には必ず棄権する。
そもそも役割があるからその人の役は完走する事でさえない。
バントの役の人みたいですよね。
必ず送る事が仕事で自分はアウトになる専門職みたいな。
そういう犠牲を伴う美しいチームスポーツだって言う事が日本では
伝統的な武士道を想起させて人気になるんじゃないでしょか。
総大将を守るための戦い。他の兵士は死ぬ事をいとわない。
日本の精神にかなり近い。
だってこれがもし個人技だけだったら日本人は体格的に戦えない。
それで思うけど日本の実況のやり方は根本的に
間違っている。今現在誰が一番かという事だけにとらわれた中継
この競技の本質と関係なくない?
その点この自転車からの映像って言うのは面白くて試合のドキュメンタリーとしてはこんなに
面白い事は無い。
このロビーさんは引退したらしいのに隠居的に試合に出てお楽しみでカメラに映像をおさめ
あげく3位に入ってくる。
最後のスパート何かもみものです。
日本の選手は足が発達してしまう事がそのまま重さになって、力技でいかないとこげない。
なんか悪循環している。
音楽も同じだなぁ。
あ。
それでこの映画の方はツールドフランス2000をconfidisのチームとあるおじいさんの目線で切り取った
ドキュメンタリーで超超素敵で泣けます。
若きdavid millarが初めてlance armstrongに土を付けなんとかマイヨ〜ルとかいう一番の人だけがつけられる
ジャージをゲットする。
おじいさんは試合を追っかけてキャンピングカーで移動。
小さなベッドは椅子代わり。
キッチンでご飯を食べるシーンは本当になける。
死ぬほど頑張ってトレーニングするバイカー達。
それを人生をかけて応援するおじいさん。
選手達はこういうおじいさんやおばあさんを救う天使さんなんだなぁ。
同時に選手達もこういう存在に助けられているんだろうし。
トレーニングは自分のためにしか出来ないけど
試合だって自分のあるいはチームのためにしか出来ない。
だけど結果たくさんの周囲が巻き込まれ助けたり助けられたり。
う。う。。美しいぃ。
29)こっちはニューヨークの自転車便の話です。
こんな感じの現状がnyにはあるのかっていう新鮮な驚き。
まずやる人が社会の最底辺の人だということ。
スラム、ゲットー、プロジェクト出身者。
ニューヨークの市内の一番人が多いところを走る。
しょっちゅう事故が起きる。
映画の中でも一人タクシーにクリーンヒットされていた。(全然無事だったけど)
日本だと結構な試合を目指す人がバイトでトレーニングをかねる
みたいなイメージだけどニューヨークではならず者の職業みたいな意識も結構強いのかもしれない。
みんなおのおの改造したバイクを使っており、
そうだ日本ではこのバイクを町中で乗り回すのは禁止されてるんじゃなかたっけ?
競輪用のやつ。
29を見ると28の恵まれてるさ加減がよくわかる。
音楽より映画ばっかりです。
来週2/25は三軒茶屋obsoundsです。
http://www.obsounds.com
¥2000 19:30~2set ワンマン
宮前幸弘pf
橋本学ds
ボンバードラミvo
歌ボンバー全開です。
バンドはピアノの宮前さん曰く
「耽美派」
耽美派って何だろう。
wikiってみました。
道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にある、とする立場である。
フムフム。
・・・?むつかし。
モダンバレー的ってこと?
わからないけどとにかく先日、ボイトレ中に新境地がやってきました。
脳内が水色になってプールの中でカメラのレンズを構えているみたいでした。
自分の声が頭骨に反響して脳を刺激して
そういう景色を見せたとしか思えません。
そのとき歌っていたのはグリーンスリーブスという曲で
私の頭の中は水色の水がゆらゆらしている景色で一杯でした。
そのあと先生から「新境地に達している」というお告げを
もらいました。
出音も実際よかったのでしょうが私は頭の中の景色に
ゆられていました。
想像の景色ではなく実際に見える景色です。
幽霊をみたに近いと思います。
これが耽美ならたしかに耽美としか言いようが無いです!
皆さんにお見せ出来ないのが残念。
頭の中の水色は見せられないけど
そのときどんな声が出ているのかは
聴いていただけると思う。
多分。
音楽と映画では色々似ているところ違うところが有ると思います。
音楽は映画よりは、より落語に近いと思います。
脳裏に景色を呼び起こすという作用について言えば。
映画はスクリーンに景色が定着しているからそこは大きな違いでしょう。
音楽と落語は言葉や音声で景色を呼び起こします。
映画はより完全な妥協無い形で脳に飛び込んでくる。
それが可能なのは人数の違いだと思うのです。
落語は一人。
音楽も、特に私がやる音楽は2.3人でやるから圧倒的に人数は少ない。
映画はエンドロールが流れるのに5分は最低かかるくらいの大掛かりな人数で行っています。
落語は一人なのに完璧に世界を映し出せます。(もちろん映し出せればの話だけど。)
映画は様々な職業の人が寄り集まって一つの世界を描き出す。(もちろん以下同文)
音楽ってなんだか景色を映し出すには不便な道具。
少人数でやれる事は限られている。
ストーリーテリングではなくある種のテーマ、スタイルの提示になってしまう。
それは音楽に求められている事がそもそもストーリーテリングではなく
一人の人間の生き様やスタイルだからなのかもしれない。
だったら自分の生き様を晒す事に特に意味を感じない人はどうすればよいのか?
ボンバードラミがいうか?この晒しまくった名前のやつが!?
と思うかもしれないが、私のゴールは郡部で特に目立つ事なく
サラリと仕事をこなす事なのだ。
だったらもっと控え目な名前にすれば良いのにね。(^^;)
自然に定着した名前を放置したらこんな事になってきてしまって今更面倒くさいです。
だからといって今更本名よりこの名前の方が長くなって慣れ来てしまっているので
戻すのも面倒くさい。
でも戻してみようかなぁ。
なんてったて売れようとしている人の名前みたい過ぎるんですもの。
この方が目立つよ。
ってよくいわれるけど、そもそも目立ちたくないんですけど。
っておもってしまう。
目立ちたくないのにこの名前にして目立ってるなら良いけど
さらに目立ってさえいないという
超地獄的逆説。
あ。ちがうちがう。
違いについて。
そうそう。
映画が御麦に比べてすばらしいなぁと思うのはこんなところ。
分業制。
監督、金を出す人、出演する人、カメラの人、証明の人、宣伝する人、上映する人。
これ全てその道のプロの人。
音楽に例えると、バンマス、ギャラを払う人、出演する人、録音する人、PA、宣伝、ライブ会場。
これほとんど一人でやるのが音楽です。
人がたくさん関わっている方が他の人も説得し易いと思いますし、
それぞれがプロの領域でやる事を全部一人でやるってどれも中途半端なアマ状態になってしまう。
これが当たり前なのが今の音楽空間で
その気軽さをとるのか自由度をとるのか
その矛盾に悶々とするのかルサンチマンを溜めまくるのか
それはお前の勝手だよ。ということです。
ビジョンがガルという事がバンマスの条件ならば
私にはそのビジョンを伝えるすべが足りなすぎる。
出演する人としてはほとんどオファーが無い
これも力不足なのでしょう。
宣伝やライブ会場と交渉したりなどマネージメント的プロデュース的な部分については
興味も無いという(^^;)ひたすら
汗を大量に流すしか無いという現状。
とりあえず
名前を変えてみるしか無いかな。
びっくりする事に私自分の事を高松よりボンバーだと
感じているんですね。
名前を変えるってアイデンティティクライシスに陥りそう。
来週2/25は三軒茶屋obsoundsです。
http://www.obsounds.com
¥2000 19:30~2set ワンマン
宮前幸弘pf
橋本学ds
ボンバードラミvo
歌ボンバー全開です。
バンドはピアノの宮前さん曰く
「耽美派」
耽美派って何だろう。
wikiってみました。
道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にある、とする立場である。
フムフム。
・・・?むつかし。
モダンバレー的ってこと?
わからないけどとにかく先日、ボイトレ中に新境地がやってきました。
脳内が水色になってプールの中でカメラのレンズを構えているみたいでした。
自分の声が頭骨に反響して脳を刺激して
そういう景色を見せたとしか思えません。
そのとき歌っていたのはグリーンスリーブスという曲で
私の頭の中は水色の水がゆらゆらしている景色で一杯でした。
そのあと先生から「新境地に達している」というお告げを
もらいました。
出音も実際よかったのでしょうが私は頭の中の景色に
ゆられていました。
想像の景色ではなく実際に見える景色です。
幽霊をみたに近いと思います。
これが耽美ならたしかに耽美としか言いようが無いです!
皆さんにお見せ出来ないのが残念。
頭の中の水色は見せられないけど
そのときどんな声が出ているのかは
聴いていただけると思う。
多分。
音楽と映画では色々似ているところ違うところが有ると思います。
音楽は映画よりは、より落語に近いと思います。
脳裏に景色を呼び起こすという作用について言えば。
映画はスクリーンに景色が定着しているからそこは大きな違いでしょう。
音楽と落語は言葉や音声で景色を呼び起こします。
映画はより完全な妥協無い形で脳に飛び込んでくる。
それが可能なのは人数の違いだと思うのです。
落語は一人。
音楽も、特に私がやる音楽は2.3人でやるから圧倒的に人数は少ない。
映画はエンドロールが流れるのに5分は最低かかるくらいの大掛かりな人数で行っています。
落語は一人なのに完璧に世界を映し出せます。(もちろん映し出せればの話だけど。)
映画は様々な職業の人が寄り集まって一つの世界を描き出す。(もちろん以下同文)
音楽ってなんだか景色を映し出すには不便な道具。
少人数でやれる事は限られている。
ストーリーテリングではなくある種のテーマ、スタイルの提示になってしまう。
それは音楽に求められている事がそもそもストーリーテリングではなく
一人の人間の生き様やスタイルだからなのかもしれない。
だったら自分の生き様を晒す事に特に意味を感じない人はどうすればよいのか?
ボンバードラミがいうか?この晒しまくった名前のやつが!?
と思うかもしれないが、私のゴールは郡部で特に目立つ事なく
サラリと仕事をこなす事なのだ。
だったらもっと控え目な名前にすれば良いのにね。(^^;)
自然に定着した名前を放置したらこんな事になってきてしまって今更面倒くさいです。
だからといって今更本名よりこの名前の方が長くなって慣れ来てしまっているので
戻すのも面倒くさい。
でも戻してみようかなぁ。
なんてったて売れようとしている人の名前みたい過ぎるんですもの。
この方が目立つよ。
ってよくいわれるけど、そもそも目立ちたくないんですけど。
っておもってしまう。
目立ちたくないのにこの名前にして目立ってるなら良いけど
さらに目立ってさえいないという
超地獄的逆説。
あ。ちがうちがう。
違いについて。
そうそう。
映画が御麦に比べてすばらしいなぁと思うのはこんなところ。
分業制。
監督、金を出す人、出演する人、カメラの人、証明の人、宣伝する人、上映する人。
これ全てその道のプロの人。
音楽に例えると、バンマス、ギャラを払う人、出演する人、録音する人、PA、宣伝、ライブ会場。
これほとんど一人でやるのが音楽です。
人がたくさん関わっている方が他の人も説得し易いと思いますし、
それぞれがプロの領域でやる事を全部一人でやるってどれも中途半端なアマ状態になってしまう。
これが当たり前なのが今の音楽空間で
その気軽さをとるのか自由度をとるのか
その矛盾に悶々とするのかルサンチマンを溜めまくるのか
それはお前の勝手だよ。ということです。
ビジョンがガルという事がバンマスの条件ならば
私にはそのビジョンを伝えるすべが足りなすぎる。
出演する人としてはほとんどオファーが無い
これも力不足なのでしょう。
宣伝やライブ会場と交渉したりなどマネージメント的プロデュース的な部分については
興味も無いという(^^;)ひたすら
汗を大量に流すしか無いという現状。
とりあえず
名前を変えてみるしか無いかな。
びっくりする事に私自分の事を高松よりボンバーだと
感じているんですね。
名前を変えるってアイデンティティクライシスに陥りそう。
22)南極料理人 沖田修一
キツツキがとっても気に入ったのです借りに行きました。
南極の料理人は昔情熱大陸か何かで実際の方を追ったドキュメントを目にした記憶が有りました。
ストーリーのあらすじを聞いただけだと何が面白いのかよくわからない
木こりが監督とであってココロを通じ合わせる。
これはキツツキだけど
南極だって南極に送られて其処で共同生活する男達を描く。
・・・。
tutayaのポップ書き泣かせだなぁ。
どちらにも共通するのは
「脱日常を体験する事で自分の日常を見直す」
という設定かもしれない。
南極は妻と娘に尊敬されていない父が1年間の距離を置く事で互いの大切さを深く感じる。
キツツキでは木こりさんの普段の生活に映画クルーが入って来て、
彼らのゾンビ映画を何となく無理矢理まきこまれつつ手伝って行くうちに
亡くなった妻への悲しみに暮れていた自分を忘れ、息子と同年代の
監督と話すうちに息子への理解や愛が深まるという。
あるいはそれが双方公的に描かれている点も共通する。
主人公だけが変わるのではなく相手も変化するのだ。
監督も主人公の存在によって現場で何度も救われる
そのうち現場の空気が良くなって周りのクルーも
映画にどんどん集中して行く。
二人が関わる事で周りもすべて変わっていく。
そんな過程がコミカルにぷぷぷっていう笑いをいくつも交えながら展開し
本筋の部分では結果感動して泣いてしまう。
このつかみ方が絶妙。
1、日常←→ 2脱日常 3日常→←
23)winter’s born デブラズラニック
これは衝撃的。神話的。夢的。そして私が暮らしたテキサスにもこれに似た感じが有った。
懐かしく。寂しく。そして何処までもずぶずぶ落ちて行く。うらぶれ感200%。
薬の密造人の父が保釈中に消えて、狂った母と12歳の弟に6歳の妹を一人で面倒見る17歳の少女。
逃げ場が何処にも無い。
この小さな村では掟が法律に優先する。血がなにより重要。親戚を頼って生きて、父の消息をたどり
そして対立する部族との微妙な駆け引きと協力。
最後ティアドロップが犯人を知っているっていったって事は自分は殺されるっていったって事なの?
疑問が残るけど。
ま。それよりジェニファーローレンスのあまり美しくないけど画面を引っ張る魅力みたいなものにうたれる。
主演を張るソウルフルな顔立ちの人。
日本映画界では今や美人かブスかの両極端しか無いけど。
しかも美人9:ぶす1くらいでしか起用はなさそう。
他にも知的な顔とか、ソウルフルな顔とか、ものうげな顔とか
世の中にはかず限りない顔が有っていいはずなのにどんな形容詞を使った顔も
美人がやれば説得力が半減する。
なぜって実人生で美人はそんな顔をする必要がないからよ。
その気持ちはブスしか味わわないわ。ってことが世の中には核も沢山有り
それを説得力を持って表現しきれるブス系美人は少ない。
ああいう過酷な人生も美人が演じてしまえば説得力は無くなる。
日本の映画で見られるのは過酷系なものだけだ。
ここでは有名な俳優がほとんど出ていないというのも物語の力を増している
どの俳優さんもこの世界の住人にしか見えない。
ここに一人有名な俳優さんが入ったらやっぱり世界観が壊れる気がする。
ということで見所的に一般的な美人が沢山出て来たり有名俳優が出てくる嬉しさは何も無い。
ストーリ的にもあまり何も起きない。
主人公の女の子がリスの皮を剥くってところがなんならストーリーを飛び越えて一番衝撃的
スコットランドからやって来た人たちの特徴らしい。何でもかんでも揚げてしまう。
それとは別に途中の音楽が何といってもすばらしい。
この地域ではもしかしたら有名なのかもしれない。
演奏力を考えるとそうなのだろう。
だけど日本には絶対こういう音楽は入ってこない。
なぜって歌ってる人が日本マスコミ感覚的にはブスでデブだから。
すっごいステキな音楽でもブスやデブやその両方がやってたらいらないんだよね。
日本映画界も音楽会もそういうメンタリティー。
少なくともマスコミが押し付けてくる者はそういう地点からのモノに限られる。
美しければ良い可愛ければ良い頑張ってれば良い。
なんじゃそら。
死ぬほど良い音楽と向き合って
正面からあたってくだける恐怖を味わった事がある音楽は日本にはほとんどない。
それはこの映画ともおなじで成り立ちを無視して
型だけを受け取ってそれを模倣するだけ。
ジャンル音楽にはそれが成り立って来た過程が有り
学校へ行って最後の答えだけを教えてもらったモノを
これだよねってきれいに提示してみせたからって一体何なんだ?
hillbillyという種類のスコットランド系アイルランド経由アメリカ迫害移民という存在が
未だに歴然と存在するという事実。
それを都会のアメリカ人はどう受け止めるのか。
日本で言う被差別部落民にも近い存在。
日本でも河川敷クラスの民主主義的なループからは完全に外された
人たちはいる。
痛過ぎて見られない映画。封印している無意識的差別意識を目の前で見せつけられる。
故に絶対に入れてもらえない世界の深淵を覗き込む感じで黙ってびくつくしか無くなる
結構最近一好き。音楽もこういうことを忘れては行けないのだと強く感じた。
見た目はポップでも(ポップでもないけど)心根はパンクで!!
24)トウキョウソナタ 黒沢清
誰も疑ってない、何処にでもある日常は実は非常に危うい。
最初のシーンでそれが象徴的に現れる。
揺れるカーテン。突然の雨。
何も考えないでレールの上に乗っかっていただけの
大企業のサラリーマン。
妻をもらい子供をもうけ家を建てた土台はあまりにも
頼りないモノだった。
頼りない、社会の上に乗っかってそれぞれの役割を演じる
あっけなく崩れさる現実。複雑な様相を呈する役柄の世界。
25)the dark knight クリストファーノーラン
ヒースレジャーの怪演を見たくて借りた。
純粋悪、人間の本質を暴きたいだけ。
この設定はこの間見たセブンの犯人像とかぶる。
そしてどちらもどうやらミルトンの失楽園に触発されているらしい。
形而上学的悪。昔疑問に思っていたんだ。
美のイディアが有るならなんで悪のイディアはないの?
っていうか有るんじゃないの?
あの弁護士はセブンの若い刑事とかぶる。
つまりアダム。ナイーブ。バカ正直。
リンゴを食べて落ちる。
宗谷って考えると映画は神話の発展系もじった系。
神話は人間の本性を分かり易く解き明かしたもの。
ってこと?
26)歓びを歌にのせて ケイポラック
スイスの映画をみるのは初。
心臓病の悪化で休業を余儀なくされた指揮者。
地元に帰って休むはずが、教会のコーラス隊の指揮をまかされる。
で色々起きて最後どうなるのか。
音楽でつまり集まって楽しむ事で人はつながり
権威や教えや説教でつながってるんじゃない
とくにソロを歌った女性の歌は感動的で音楽に言葉は関係ないという事を
改めて思い知らされた。
キツツキがとっても気に入ったのです借りに行きました。
南極の料理人は昔情熱大陸か何かで実際の方を追ったドキュメントを目にした記憶が有りました。
ストーリーのあらすじを聞いただけだと何が面白いのかよくわからない
木こりが監督とであってココロを通じ合わせる。
これはキツツキだけど
南極だって南極に送られて其処で共同生活する男達を描く。
・・・。
tutayaのポップ書き泣かせだなぁ。
どちらにも共通するのは
「脱日常を体験する事で自分の日常を見直す」
という設定かもしれない。
南極は妻と娘に尊敬されていない父が1年間の距離を置く事で互いの大切さを深く感じる。
キツツキでは木こりさんの普段の生活に映画クルーが入って来て、
彼らのゾンビ映画を何となく無理矢理まきこまれつつ手伝って行くうちに
亡くなった妻への悲しみに暮れていた自分を忘れ、息子と同年代の
監督と話すうちに息子への理解や愛が深まるという。
あるいはそれが双方公的に描かれている点も共通する。
主人公だけが変わるのではなく相手も変化するのだ。
監督も主人公の存在によって現場で何度も救われる
そのうち現場の空気が良くなって周りのクルーも
映画にどんどん集中して行く。
二人が関わる事で周りもすべて変わっていく。
そんな過程がコミカルにぷぷぷっていう笑いをいくつも交えながら展開し
本筋の部分では結果感動して泣いてしまう。
このつかみ方が絶妙。
1、日常←→ 2脱日常 3日常→←
23)winter’s born デブラズラニック
これは衝撃的。神話的。夢的。そして私が暮らしたテキサスにもこれに似た感じが有った。
懐かしく。寂しく。そして何処までもずぶずぶ落ちて行く。うらぶれ感200%。
薬の密造人の父が保釈中に消えて、狂った母と12歳の弟に6歳の妹を一人で面倒見る17歳の少女。
逃げ場が何処にも無い。
この小さな村では掟が法律に優先する。血がなにより重要。親戚を頼って生きて、父の消息をたどり
そして対立する部族との微妙な駆け引きと協力。
最後ティアドロップが犯人を知っているっていったって事は自分は殺されるっていったって事なの?
疑問が残るけど。
ま。それよりジェニファーローレンスのあまり美しくないけど画面を引っ張る魅力みたいなものにうたれる。
主演を張るソウルフルな顔立ちの人。
日本映画界では今や美人かブスかの両極端しか無いけど。
しかも美人9:ぶす1くらいでしか起用はなさそう。
他にも知的な顔とか、ソウルフルな顔とか、ものうげな顔とか
世の中にはかず限りない顔が有っていいはずなのにどんな形容詞を使った顔も
美人がやれば説得力が半減する。
なぜって実人生で美人はそんな顔をする必要がないからよ。
その気持ちはブスしか味わわないわ。ってことが世の中には核も沢山有り
それを説得力を持って表現しきれるブス系美人は少ない。
ああいう過酷な人生も美人が演じてしまえば説得力は無くなる。
日本の映画で見られるのは過酷系なものだけだ。
ここでは有名な俳優がほとんど出ていないというのも物語の力を増している
どの俳優さんもこの世界の住人にしか見えない。
ここに一人有名な俳優さんが入ったらやっぱり世界観が壊れる気がする。
ということで見所的に一般的な美人が沢山出て来たり有名俳優が出てくる嬉しさは何も無い。
ストーリ的にもあまり何も起きない。
主人公の女の子がリスの皮を剥くってところがなんならストーリーを飛び越えて一番衝撃的
スコットランドからやって来た人たちの特徴らしい。何でもかんでも揚げてしまう。
それとは別に途中の音楽が何といってもすばらしい。
この地域ではもしかしたら有名なのかもしれない。
演奏力を考えるとそうなのだろう。
だけど日本には絶対こういう音楽は入ってこない。
なぜって歌ってる人が日本マスコミ感覚的にはブスでデブだから。
すっごいステキな音楽でもブスやデブやその両方がやってたらいらないんだよね。
日本映画界も音楽会もそういうメンタリティー。
少なくともマスコミが押し付けてくる者はそういう地点からのモノに限られる。
美しければ良い可愛ければ良い頑張ってれば良い。
なんじゃそら。
死ぬほど良い音楽と向き合って
正面からあたってくだける恐怖を味わった事がある音楽は日本にはほとんどない。
それはこの映画ともおなじで成り立ちを無視して
型だけを受け取ってそれを模倣するだけ。
ジャンル音楽にはそれが成り立って来た過程が有り
学校へ行って最後の答えだけを教えてもらったモノを
これだよねってきれいに提示してみせたからって一体何なんだ?
hillbillyという種類のスコットランド系アイルランド経由アメリカ迫害移民という存在が
未だに歴然と存在するという事実。
それを都会のアメリカ人はどう受け止めるのか。
日本で言う被差別部落民にも近い存在。
日本でも河川敷クラスの民主主義的なループからは完全に外された
人たちはいる。
痛過ぎて見られない映画。封印している無意識的差別意識を目の前で見せつけられる。
故に絶対に入れてもらえない世界の深淵を覗き込む感じで黙ってびくつくしか無くなる
結構最近一好き。音楽もこういうことを忘れては行けないのだと強く感じた。
見た目はポップでも(ポップでもないけど)心根はパンクで!!
24)トウキョウソナタ 黒沢清
誰も疑ってない、何処にでもある日常は実は非常に危うい。
最初のシーンでそれが象徴的に現れる。
揺れるカーテン。突然の雨。
何も考えないでレールの上に乗っかっていただけの
大企業のサラリーマン。
妻をもらい子供をもうけ家を建てた土台はあまりにも
頼りないモノだった。
頼りない、社会の上に乗っかってそれぞれの役割を演じる
あっけなく崩れさる現実。複雑な様相を呈する役柄の世界。
25)the dark knight クリストファーノーラン
ヒースレジャーの怪演を見たくて借りた。
純粋悪、人間の本質を暴きたいだけ。
この設定はこの間見たセブンの犯人像とかぶる。
そしてどちらもどうやらミルトンの失楽園に触発されているらしい。
形而上学的悪。昔疑問に思っていたんだ。
美のイディアが有るならなんで悪のイディアはないの?
っていうか有るんじゃないの?
あの弁護士はセブンの若い刑事とかぶる。
つまりアダム。ナイーブ。バカ正直。
リンゴを食べて落ちる。
宗谷って考えると映画は神話の発展系もじった系。
神話は人間の本性を分かり易く解き明かしたもの。
ってこと?
26)歓びを歌にのせて ケイポラック
スイスの映画をみるのは初。
心臓病の悪化で休業を余儀なくされた指揮者。
地元に帰って休むはずが、教会のコーラス隊の指揮をまかされる。
で色々起きて最後どうなるのか。
音楽でつまり集まって楽しむ事で人はつながり
権威や教えや説教でつながってるんじゃない
とくにソロを歌った女性の歌は感動的で音楽に言葉は関係ないという事を
改めて思い知らされた。
16)ミッション8ミニッツ ダンカンジョーンズ
17)キツツキと雨 沖田修一
18)pride and prejudice ジョーライト
19)マネーボール ベネットミラー
20)セブン デビッドフィンチャー
21)テルマエロマエ 武内英樹
町山さんが解説している20、19、16。
20は昔映画館で見たとき確かに衝撃だった。
その衝撃はのちのち犯人がケビンスペーシーだったと知った時のあとから衝撃も忘れられない。
その頃はまだあまり有名じゃなかったのですよね。少なくとも私には。
アメリカンビューティーやKPAXや交渉人をみてそれからテレビでセブンの再放送を見たとき
の驚きと喜び。
脳の何処かがぱすっってつながる感じ。
で今回改めて見返して、やっぱり何度見ても面白いです。
映画館でもっと頭をがっつり見たような気がしていたけど、ほのめかす程度だったんだっけ?
殺される事で説教が完成する。
観客は放り出され、お前も考えろよ!と張り手された気分になる。
それとあの脳の喜び方は何だろう。
知っていたと思っていた何かを別の角度から見る見方を知って、
新しい方向から見てみたら全く違って見えた感覚。
正方形だと思ってたら立方体だった!
17のキツツキと雨が拾い物だったです。
これをみて沖田修一監督作、他のもみたいと思いました。
ついクスクスしてしまう。
間。
絶妙。何が?それはまだわからない。
18のダーシーさんがgyaoのスパイドラマの主役の男性だったのも立方体!
キャリーマリガンもこれで初演技をしていたそうな!ドライブでのはじけっぷり!立方体!
もう一人の子も何処かで見た事あると思ったらジュリアロバーツステップマザーの子供役だ!立方体!
キスシーン無しのセクシー映画。キスが無い裸も無い。だからこそとってもむらむらする。
ミッション8ミニッツ。
面白い。量子力学の考え方ってこういう応用の仕方が出来るのね。
最後にそういう「ループ」がうまれるで脳みそスパーク!
だけど矛盾しないのか?ん?どうなんだ?
わからない〜。
テルマエロマエ・・・。うーん。うーん。うーん。
かわいそうでした。
こういうラインナップの中に入れてしまって。
純粋な娯楽映画として楽しむ分には十分なんですよね。
想像通りの話の展開。
娯楽ってそういう事じゃないですか!
見る側に考えさせない。
そうそう。
娯楽に見えて実は違うっていうのが私の音楽上の信条だけど
最近の娯楽的なモノは音楽にしても映画にしても何にしても人を馬鹿にしてない?
馬鹿にし方はどういう仕方かといえば
いらぬおせっかい的。
劇的ビフォーアフターで昔京都の町家を治すというときに
外人の建築士が現場の人ともめていたのを思い出します。
階段タンスに現場の人が手すりをつけた方が良い
といったのをバシっと一蹴して
そんなもんは馬鹿がやる事だ!と一喝した。
何が大切なのかを見失ってしまっている。
危ないから手すりをつけた方が良い
この考え方がいかに人を馬鹿にした考え方なのか
それが受けても分からなくなって愚鈍化している。
昔は説明不要だった箇所に説明が必要になっている。
こういう音楽的に手すりの付いたようなものをありがたがる客も増えてる。
それはありがたがるところではなく腹を立てるところだよ!
といいたくなるが気付いていないのだから放っておくしか無い。
映画を見ていると見方が分からない事もたくさん有るけど
例えばテルマエロマエなどにはいらない手すりがいくつも有るように感じる。
で返って全体の景色が崩れてしまう。
なぜ毎回彼女のところに流れ着くの?
そうなるために日本の話が設定の無理矢理具合がすごい。
次々見ているとはっきりするのは
娯楽映画は疲れていて何も考えたくなく癒されたいときに見るもので
こういうものが売り上げをのばすという事は疲れているんだぁ日本。
こういう世界が有りますよ外からのんびり見ててくださいという娯楽映画に対して
キツツキと雨のような映画はどういう構造になっているのだろう。
歌で例えるならアコギ一本で奏でるバラードで淡々と日常を歌いながらも
気付いたら泣かされていた。的な。
南極料理人をみて更にそれを強く感じたけど
ストーリーと訴える部分が分離している感じとでも言えば良いのか
だってキツツキにしたって
林業を営む疲れた中年親父が、都会からやって来た、気力も自信も全く無い映画監督と知り合って
彼の作るゾンビ映画をサポートしているうちにココロ通じ合って友情を育む。
といっても何一つ面白くなさそうじゃない!
それなら古代ローマ人の風呂作り職人が現代の日本にタイムスリップして現代文明を目の当たりにして
其処から持ち帰った日本の風呂の技術を古代に活かしてローマの歴史を変えてゆく。
みたいな方がなんだかスリリングだし一見面白そうじゃない!
ゾンビ映画ってフックを知らないとただ単に毛嫌いされてしまうアイテムだし。
これってある種の人たちは入ってこなくていいから宣言ともとれる。
ある種。
見た目で浅はかに決めつけ、毛嫌いする人。
そういえば桐島にもゾンビ出てたっけ。
ゾンビ映画の排他性
ほおっておいてください
分からなくて結構です
あなたには無理だと思います
すねまくっている感じ
これ感じるの私だけ?
ゾンビって
理解されない人が理解用としない浅はかな考えで人を決めつける人を
殺し、
それでもそういう人は生き返ってくる
その始末の悪さのメタファーみたいな事なのでしょうか?
だとしたら私の音楽も途方も無くゾンビ的だと思う。
この間深夜テレビでホラーサスペンスショートフィルム監督のコンペ番組をやっていて
一人ゾンビを題材にしていた監督がいたけどやっぱり通らなかった。
そして手すりがたくさん付いた作品が通っていた。
この監督さんが感じている思いと私がこの間でたコンテストで感じた
感覚はとても共有出来ると思いました。
やっぱり分かりやす方に行くよね。
そりゃそうだ。
どうぞどうぞ。
どうせ分かりっこ無いもん。
どうせ=ゾンビ
なんですかね。
とにかくまだ全然咀嚼出来てないけど
キツツキはかなり突き刺さりました。
17)キツツキと雨 沖田修一
18)pride and prejudice ジョーライト
19)マネーボール ベネットミラー
20)セブン デビッドフィンチャー
21)テルマエロマエ 武内英樹
町山さんが解説している20、19、16。
20は昔映画館で見たとき確かに衝撃だった。
その衝撃はのちのち犯人がケビンスペーシーだったと知った時のあとから衝撃も忘れられない。
その頃はまだあまり有名じゃなかったのですよね。少なくとも私には。
アメリカンビューティーやKPAXや交渉人をみてそれからテレビでセブンの再放送を見たとき
の驚きと喜び。
脳の何処かがぱすっってつながる感じ。
で今回改めて見返して、やっぱり何度見ても面白いです。
映画館でもっと頭をがっつり見たような気がしていたけど、ほのめかす程度だったんだっけ?
殺される事で説教が完成する。
観客は放り出され、お前も考えろよ!と張り手された気分になる。
それとあの脳の喜び方は何だろう。
知っていたと思っていた何かを別の角度から見る見方を知って、
新しい方向から見てみたら全く違って見えた感覚。
正方形だと思ってたら立方体だった!
17のキツツキと雨が拾い物だったです。
これをみて沖田修一監督作、他のもみたいと思いました。
ついクスクスしてしまう。
間。
絶妙。何が?それはまだわからない。
18のダーシーさんがgyaoのスパイドラマの主役の男性だったのも立方体!
キャリーマリガンもこれで初演技をしていたそうな!ドライブでのはじけっぷり!立方体!
もう一人の子も何処かで見た事あると思ったらジュリアロバーツステップマザーの子供役だ!立方体!
キスシーン無しのセクシー映画。キスが無い裸も無い。だからこそとってもむらむらする。
ミッション8ミニッツ。
面白い。量子力学の考え方ってこういう応用の仕方が出来るのね。
最後にそういう「ループ」がうまれるで脳みそスパーク!
だけど矛盾しないのか?ん?どうなんだ?
わからない〜。
テルマエロマエ・・・。うーん。うーん。うーん。
かわいそうでした。
こういうラインナップの中に入れてしまって。
純粋な娯楽映画として楽しむ分には十分なんですよね。
想像通りの話の展開。
娯楽ってそういう事じゃないですか!
見る側に考えさせない。
そうそう。
娯楽に見えて実は違うっていうのが私の音楽上の信条だけど
最近の娯楽的なモノは音楽にしても映画にしても何にしても人を馬鹿にしてない?
馬鹿にし方はどういう仕方かといえば
いらぬおせっかい的。
劇的ビフォーアフターで昔京都の町家を治すというときに
外人の建築士が現場の人ともめていたのを思い出します。
階段タンスに現場の人が手すりをつけた方が良い
といったのをバシっと一蹴して
そんなもんは馬鹿がやる事だ!と一喝した。
何が大切なのかを見失ってしまっている。
危ないから手すりをつけた方が良い
この考え方がいかに人を馬鹿にした考え方なのか
それが受けても分からなくなって愚鈍化している。
昔は説明不要だった箇所に説明が必要になっている。
こういう音楽的に手すりの付いたようなものをありがたがる客も増えてる。
それはありがたがるところではなく腹を立てるところだよ!
といいたくなるが気付いていないのだから放っておくしか無い。
映画を見ていると見方が分からない事もたくさん有るけど
例えばテルマエロマエなどにはいらない手すりがいくつも有るように感じる。
で返って全体の景色が崩れてしまう。
なぜ毎回彼女のところに流れ着くの?
そうなるために日本の話が設定の無理矢理具合がすごい。
次々見ているとはっきりするのは
娯楽映画は疲れていて何も考えたくなく癒されたいときに見るもので
こういうものが売り上げをのばすという事は疲れているんだぁ日本。
こういう世界が有りますよ外からのんびり見ててくださいという娯楽映画に対して
キツツキと雨のような映画はどういう構造になっているのだろう。
歌で例えるならアコギ一本で奏でるバラードで淡々と日常を歌いながらも
気付いたら泣かされていた。的な。
南極料理人をみて更にそれを強く感じたけど
ストーリーと訴える部分が分離している感じとでも言えば良いのか
だってキツツキにしたって
林業を営む疲れた中年親父が、都会からやって来た、気力も自信も全く無い映画監督と知り合って
彼の作るゾンビ映画をサポートしているうちにココロ通じ合って友情を育む。
といっても何一つ面白くなさそうじゃない!
それなら古代ローマ人の風呂作り職人が現代の日本にタイムスリップして現代文明を目の当たりにして
其処から持ち帰った日本の風呂の技術を古代に活かしてローマの歴史を変えてゆく。
みたいな方がなんだかスリリングだし一見面白そうじゃない!
ゾンビ映画ってフックを知らないとただ単に毛嫌いされてしまうアイテムだし。
これってある種の人たちは入ってこなくていいから宣言ともとれる。
ある種。
見た目で浅はかに決めつけ、毛嫌いする人。
そういえば桐島にもゾンビ出てたっけ。
ゾンビ映画の排他性
ほおっておいてください
分からなくて結構です
あなたには無理だと思います
すねまくっている感じ
これ感じるの私だけ?
ゾンビって
理解されない人が理解用としない浅はかな考えで人を決めつける人を
殺し、
それでもそういう人は生き返ってくる
その始末の悪さのメタファーみたいな事なのでしょうか?
だとしたら私の音楽も途方も無くゾンビ的だと思う。
この間深夜テレビでホラーサスペンスショートフィルム監督のコンペ番組をやっていて
一人ゾンビを題材にしていた監督がいたけどやっぱり通らなかった。
そして手すりがたくさん付いた作品が通っていた。
この監督さんが感じている思いと私がこの間でたコンテストで感じた
感覚はとても共有出来ると思いました。
やっぱり分かりやす方に行くよね。
そりゃそうだ。
どうぞどうぞ。
どうせ分かりっこ無いもん。
どうせ=ゾンビ
なんですかね。
とにかくまだ全然咀嚼出来てないけど
キツツキはかなり突き刺さりました。
花粉がひどいです。
今年は特にすごいような気がしません?
私は賃貸の団地に住んでいます。
南向きのベランダに出るための大きなガラス窓には鍵が有りません。
上層階だから、まさか収穫無しかもしれないのに
そんなリスクを冒してまでドロボーがよじ上ってくる事は無いと思うので
ほったらかしてあります。
実際よじ上って来ても収穫は無いでしょう。
クーラーのダクトを外に出すために
幅10センチの隙間ができてしまったので
窓を閉める事さえ出来ないのです。
ダクトを通す10センチ幅にアルミの柱のぶんだけ
しまらないので窓がその幅で重なった状態です。
つまり何が言いたいかと言えば
隙間が有るから花粉が入り放題!
しかも洗面所風呂場トイレへの扉も閉めておかないと
風呂場の窓と、南窓の隙間、北の部屋の窓にも隙間が有り
相互間の風疎通により、ばたばたうるさいのです。
ただでさえ隙間だらけの窓なのに
ドアを閉めなかったばっかりに5秒に一回風の出入りで鳴ります。
修学旅行に行ってみんなステキな部屋に泊まっているのに
私の部屋だけ(部屋番号は7だった。妙に覚えている。)
パーテーションで仕切られただけの2畳ほどの部屋で
布団は敷けないからソファーに寝ろと言われ
窓はがたがたうるさく
扉は閉まらないから人が勝手に入って来てしまう。
同じ金額なのに自分だけこんな部屋を与えられて
怒り狂うという夢をみました。
窓がガタガタしてたと思ったのは
実際はドアが鳴っていたのです。
あぁ。貧乏を楽しんでいます。
昨日の夜は湯船のお湯を捨てながら新しいお湯を足しつつ
お風呂に入っていたら溢れた湯が高さ10センチくらいの
風呂場の床を超えて洗面台、トイレの方まで浸水してしまって
床足ふきマット、トイレマットがびしゃびしゃに。
あぁ。麗しき貧乏生活。
トイレは5回に一回は詰まるのでスッポン常備は当たり前です。
貧乏ブラボー!そんな中。
mandala2で録音ライブ再び!の機会をいただきました。
3/19tueです。
詳細は追って。
越智泰彦ベース
西海しげるギター
ボンバードラミ歌ギター
今日はいよいよ前回の録音を聞き返します。
勇気が出ない!
でも出す!
いやライブ自体はすごく盛り上がってたんだけどね!
ありがとう!
今年は特にすごいような気がしません?
私は賃貸の団地に住んでいます。
南向きのベランダに出るための大きなガラス窓には鍵が有りません。
上層階だから、まさか収穫無しかもしれないのに
そんなリスクを冒してまでドロボーがよじ上ってくる事は無いと思うので
ほったらかしてあります。
実際よじ上って来ても収穫は無いでしょう。
クーラーのダクトを外に出すために
幅10センチの隙間ができてしまったので
窓を閉める事さえ出来ないのです。
ダクトを通す10センチ幅にアルミの柱のぶんだけ
しまらないので窓がその幅で重なった状態です。
つまり何が言いたいかと言えば
隙間が有るから花粉が入り放題!
しかも洗面所風呂場トイレへの扉も閉めておかないと
風呂場の窓と、南窓の隙間、北の部屋の窓にも隙間が有り
相互間の風疎通により、ばたばたうるさいのです。
ただでさえ隙間だらけの窓なのに
ドアを閉めなかったばっかりに5秒に一回風の出入りで鳴ります。
修学旅行に行ってみんなステキな部屋に泊まっているのに
私の部屋だけ(部屋番号は7だった。妙に覚えている。)
パーテーションで仕切られただけの2畳ほどの部屋で
布団は敷けないからソファーに寝ろと言われ
窓はがたがたうるさく
扉は閉まらないから人が勝手に入って来てしまう。
同じ金額なのに自分だけこんな部屋を与えられて
怒り狂うという夢をみました。
窓がガタガタしてたと思ったのは
実際はドアが鳴っていたのです。
あぁ。貧乏を楽しんでいます。
昨日の夜は湯船のお湯を捨てながら新しいお湯を足しつつ
お風呂に入っていたら溢れた湯が高さ10センチくらいの
風呂場の床を超えて洗面台、トイレの方まで浸水してしまって
床足ふきマット、トイレマットがびしゃびしゃに。
あぁ。麗しき貧乏生活。
トイレは5回に一回は詰まるのでスッポン常備は当たり前です。
貧乏ブラボー!そんな中。
mandala2で録音ライブ再び!の機会をいただきました。
3/19tueです。
詳細は追って。
越智泰彦ベース
西海しげるギター
ボンバードラミ歌ギター
今日はいよいよ前回の録音を聞き返します。
勇気が出ない!
でも出す!
いやライブ自体はすごく盛り上がってたんだけどね!
ありがとう!
10)music of the heart
11)hunger game
12)precious
13)冷たい熱帯魚
14)恋の罪
15)ステキな金縛り
ハリウッド映画と日本映画の違いは結局思想の違いなのだろうか。
なんなんだろう。ざっくりと分けなくても良いじゃない。
そうなんだけど見た後の感じが決定的に違う。
なんで?
ハリウッドはテーゼが有り、それに対して監督なりの解決策が打ち出されるという図式?
日本はテーゼが有るのか無いのか、あっても解決だってされない?
デカイもやもやの固まりを、どうなのよ!って投げつけられる。
ここのところ見たものでは少なくともそういう感じを受ける。
いや。でもセブンはそんな感じじゃなかったなぁ。
ゔ〜ん。
ステキな金縛りは別だけど。
ひくくらいどうしようもない感じだった。
これを支えているのは今までのレピュテーションだけではないのか?
疲れて帰ったサラーリンマンが何も考えずにビールを片手に癒されるためのもの
にしたって無理が無いか?
深津絵里が可愛くて歌が巧いから全て許されるなんてことはない
三谷さん他の仕事し過ぎで映画を考えられなくなってしまったの?
13や14と同じジャンルの者だと扱うのがためらわれる。
これが映画なら13、14は何なんだ?
自分にあり得たかもしれないもう一つの世界みたいな者を強烈に見せてくれる
園子温監督作品。
14は音楽も全く同じだなぁと思いながら見てしまった。
夢で何度と無く体験した究極の場合の選択の数々。
人間の一番根底にある共通項のような感覚感情に寄り添って世界が描かれる。
超リアルなシュールレアリズム。若冲の絵のような世界。
リアルを追求しすぎて脱リアル化してしまう。
あの鶏の絵のように。
ハンガーゲームも
夢の世界に近い。ああいうのを夢で見た経験あります。殺し合い。
多分ローマで昔奴隷を殺し合いさせて闘牛みたいに楽しんでいたという知識や
漫画家田村由美のBASARA を読んだ記憶とかの脳内処理だと思うけど。
殺し合い。
絶対死なないポジションにいながら見る事が出来て脳内がぶっ飛ぶ最高のエンタメ。
というのは人間の脳の秘密らしい。
他人の不幸は蜜の味って言うのは脳科学的には正しいらしく
他人の不幸を見ると脳内の麻薬が出まくって報酬系が激しく活性化して結果人間は癒されるらしい。
311の映像なんかが絶えずアップされるのも、あるいはそれを見てしまうのも
その辺りの脳が活性化されてしまうからだと思うの。
私たちはそれを見て脳内麻薬を出しまくって癒されてしまう。
ところが見ていて気付いてしまったことに
沿岸部で高いビルに逃げて無事な人が目の前を流れて行く人を見て
叫びながらやっぱり脳内物質が出てしまっていることに。
そして流れ行く人たちは超冷静。
これが脳のどの部分がどう反応しているのかよくわからないが
パニックを起こしたり泣き叫んだり出来るのは
安全が確認出来た人たちに与えられた特権なのだ。
現実のエンタメ化。
ハンガーゲームはそれにあらがうものであり、園監督は冷静に現状を映し出す。
911の時もこれは映画か?と思ったし、311も映画のように見えてしまった。
現代は映画の用が中だけのはずの事がリアルに起きてしまう。
ハンガーゲームはまだ掟はいないけど近未来的には起きうる仮想現実的リアル。
園監督のストーリーは嘘だけど
そこで人が感じたりしている人の気持ちは
現在進行形的古典的未来永劫本能的
人間の有り様を掘り出している。
人間ってこんな感じになっちゃうよ。
そこにこういう設定をぶち込んだらこんな事を言い出すに違いない。
遣り出すに違いない。
人間の本能本質の解析の精密さがあってから
逆算されてストーリーが生まれている感じがする。
311が起きたとき、人はこうだった、
この辺りの人はこう反応した。
あの辺りの人はこう反応した。
現状の分析力とそれに別の設定を与えて
新たな物語を立ち上げる力が半端ない!と思ったのです。
「愛のむき出しも」
オウム事件の本質を解析した後
別の設定を当てはめてストーリーを動かしている。
どうして人はうさんくさいと言われいるようなモノに
いとも容易くはまって行くのか?
人間観察の鬼
プレシャスは黒人と白人の対比というよりは
人間が人をねたむのには底が無いということをよく表している映画だった
主役はお母さんじゃないかと思うくらいに。
モニークの演技もヤバかった!
秀逸なのはきっと脚本なんだとおもった。
帰って来た娘に最初にかける言葉はそんなにひどくはない。
一つ受け入れたら次また受け入れたら更に次。
次々次第に要求がエスカレートして行く。
最後は殴る蹴るの暴行。
その流れのスムーズな事は脚本によるところが大きいように思う。
虐げられた最悪の状態の娘が自己実現して行くという話より
どのようにして最悪な状態が作られ、
そこから抜け出す事がいかに大変かという部分にものすごく
引きつける要素が有る。
実社会では底から抜け出せない方が確率的には高い。
主人公を人ではなく状況にしてみたかったから
新人さんをあえて起用したんじゃないのかしらね。
11)hunger game
12)precious
13)冷たい熱帯魚
14)恋の罪
15)ステキな金縛り
ハリウッド映画と日本映画の違いは結局思想の違いなのだろうか。
なんなんだろう。ざっくりと分けなくても良いじゃない。
そうなんだけど見た後の感じが決定的に違う。
なんで?
ハリウッドはテーゼが有り、それに対して監督なりの解決策が打ち出されるという図式?
日本はテーゼが有るのか無いのか、あっても解決だってされない?
デカイもやもやの固まりを、どうなのよ!って投げつけられる。
ここのところ見たものでは少なくともそういう感じを受ける。
いや。でもセブンはそんな感じじゃなかったなぁ。
ゔ〜ん。
ステキな金縛りは別だけど。
ひくくらいどうしようもない感じだった。
これを支えているのは今までのレピュテーションだけではないのか?
疲れて帰ったサラーリンマンが何も考えずにビールを片手に癒されるためのもの
にしたって無理が無いか?
深津絵里が可愛くて歌が巧いから全て許されるなんてことはない
三谷さん他の仕事し過ぎで映画を考えられなくなってしまったの?
13や14と同じジャンルの者だと扱うのがためらわれる。
これが映画なら13、14は何なんだ?
自分にあり得たかもしれないもう一つの世界みたいな者を強烈に見せてくれる
園子温監督作品。
14は音楽も全く同じだなぁと思いながら見てしまった。
夢で何度と無く体験した究極の場合の選択の数々。
人間の一番根底にある共通項のような感覚感情に寄り添って世界が描かれる。
超リアルなシュールレアリズム。若冲の絵のような世界。
リアルを追求しすぎて脱リアル化してしまう。
あの鶏の絵のように。
ハンガーゲームも
夢の世界に近い。ああいうのを夢で見た経験あります。殺し合い。
多分ローマで昔奴隷を殺し合いさせて闘牛みたいに楽しんでいたという知識や
漫画家田村由美のBASARA を読んだ記憶とかの脳内処理だと思うけど。
殺し合い。
絶対死なないポジションにいながら見る事が出来て脳内がぶっ飛ぶ最高のエンタメ。
というのは人間の脳の秘密らしい。
他人の不幸は蜜の味って言うのは脳科学的には正しいらしく
他人の不幸を見ると脳内の麻薬が出まくって報酬系が激しく活性化して結果人間は癒されるらしい。
311の映像なんかが絶えずアップされるのも、あるいはそれを見てしまうのも
その辺りの脳が活性化されてしまうからだと思うの。
私たちはそれを見て脳内麻薬を出しまくって癒されてしまう。
ところが見ていて気付いてしまったことに
沿岸部で高いビルに逃げて無事な人が目の前を流れて行く人を見て
叫びながらやっぱり脳内物質が出てしまっていることに。
そして流れ行く人たちは超冷静。
これが脳のどの部分がどう反応しているのかよくわからないが
パニックを起こしたり泣き叫んだり出来るのは
安全が確認出来た人たちに与えられた特権なのだ。
現実のエンタメ化。
ハンガーゲームはそれにあらがうものであり、園監督は冷静に現状を映し出す。
911の時もこれは映画か?と思ったし、311も映画のように見えてしまった。
現代は映画の用が中だけのはずの事がリアルに起きてしまう。
ハンガーゲームはまだ掟はいないけど近未来的には起きうる仮想現実的リアル。
園監督のストーリーは嘘だけど
そこで人が感じたりしている人の気持ちは
現在進行形的古典的未来永劫本能的
人間の有り様を掘り出している。
人間ってこんな感じになっちゃうよ。
そこにこういう設定をぶち込んだらこんな事を言い出すに違いない。
遣り出すに違いない。
人間の本能本質の解析の精密さがあってから
逆算されてストーリーが生まれている感じがする。
311が起きたとき、人はこうだった、
この辺りの人はこう反応した。
あの辺りの人はこう反応した。
現状の分析力とそれに別の設定を与えて
新たな物語を立ち上げる力が半端ない!と思ったのです。
「愛のむき出しも」
オウム事件の本質を解析した後
別の設定を当てはめてストーリーを動かしている。
どうして人はうさんくさいと言われいるようなモノに
いとも容易くはまって行くのか?
人間観察の鬼
プレシャスは黒人と白人の対比というよりは
人間が人をねたむのには底が無いということをよく表している映画だった
主役はお母さんじゃないかと思うくらいに。
モニークの演技もヤバかった!
秀逸なのはきっと脚本なんだとおもった。
帰って来た娘に最初にかける言葉はそんなにひどくはない。
一つ受け入れたら次また受け入れたら更に次。
次々次第に要求がエスカレートして行く。
最後は殴る蹴るの暴行。
その流れのスムーズな事は脚本によるところが大きいように思う。
虐げられた最悪の状態の娘が自己実現して行くという話より
どのようにして最悪な状態が作られ、
そこから抜け出す事がいかに大変かという部分にものすごく
引きつける要素が有る。
実社会では底から抜け出せない方が確率的には高い。
主人公を人ではなく状況にしてみたかったから
新人さんをあえて起用したんじゃないのかしらね。
5)サニー
6)おとなのけんか
7)幸せの隠れ場所
8)shame
9)the ides of march
サニー。
ココロに突き刺さる映画体験でした。韓国の女性たちの演技力すごすぎる。
大人の喧嘩。わかるわかる。で当の本人たちは既に仲直りしているという。
大人たちが社会的にかけているバイアスの種類の多さとそれが取り払われた時のディザスター。
子供の何倍もひどい。わかるわかる!
shame.は愛とセックスが分断している人について共感は出来るものの、
なぜ妹と愛し合うにいたったかも知りたかった。
そうなってしまったあとの二人の取り繕うようにぎこちない、
反発的な羞恥的なそれでも突き放しきれない距離感はすごくリアルだったけど。
幸せの隠れ場所。とても見たかったんだけど。ようはヘルプ、ミュージックオブザハート、プレシャス。
白人と黒人は永遠に水と油です。
だけどドレッシングとなる事が出来ました。
みたいな世界ですよね。不思議。
白人側からは「歩み寄る事も出来るんですよ我々も」というドヤ顔カン。
黒人からは「お前らには永遠にわかんのだよ分かったか!あ分かんないんだった。」みたいな。
かつて日本がおっぱじめた戦争も今になって私たちや子供たちの世代に
謝れと言われても私たちもなんとなくどうしたら良いのか分からない。
というのに似ているのかもしれない。
悪かったってのは分かるとしても、私たちに謝れと言われても困る。
無効のこうした映画の釈明的な感じを見るとむしろ白人に同情してまう。
そんなに言い訳しなくて良いよ。
ライアンゴスリングが見たくて借りたイデスオブマーチ。
アメリカ政治の内幕を描いた心理戦。ドキドキした。
日本の政治はこうした題材を映画に提供出来るのだろうか?
6)おとなのけんか
7)幸せの隠れ場所
8)shame
9)the ides of march
サニー。
ココロに突き刺さる映画体験でした。韓国の女性たちの演技力すごすぎる。
大人の喧嘩。わかるわかる。で当の本人たちは既に仲直りしているという。
大人たちが社会的にかけているバイアスの種類の多さとそれが取り払われた時のディザスター。
子供の何倍もひどい。わかるわかる!
shame.は愛とセックスが分断している人について共感は出来るものの、
なぜ妹と愛し合うにいたったかも知りたかった。
そうなってしまったあとの二人の取り繕うようにぎこちない、
反発的な羞恥的なそれでも突き放しきれない距離感はすごくリアルだったけど。
幸せの隠れ場所。とても見たかったんだけど。ようはヘルプ、ミュージックオブザハート、プレシャス。
白人と黒人は永遠に水と油です。
だけどドレッシングとなる事が出来ました。
みたいな世界ですよね。不思議。
白人側からは「歩み寄る事も出来るんですよ我々も」というドヤ顔カン。
黒人からは「お前らには永遠にわかんのだよ分かったか!あ分かんないんだった。」みたいな。
かつて日本がおっぱじめた戦争も今になって私たちや子供たちの世代に
謝れと言われても私たちもなんとなくどうしたら良いのか分からない。
というのに似ているのかもしれない。
悪かったってのは分かるとしても、私たちに謝れと言われても困る。
無効のこうした映画の釈明的な感じを見るとむしろ白人に同情してまう。
そんなに言い訳しなくて良いよ。
ライアンゴスリングが見たくて借りたイデスオブマーチ。
アメリカ政治の内幕を描いた心理戦。ドキドキした。
日本の政治はこうした題材を映画に提供出来るのだろうか?
1)Driver
2)Young adult
3)ヒューゴの不思議な発明
4)ヘルプ
立川に引っ越してもう二年以上経つけれど、初めてtsutayaでレンタルしました。
映画を毎日見るのは高すぎるし。
準新作4枚で1000円!とってもお得で有り難し。
宇多丸さんがハスリングしていた上記三作。
気になった4)ヘルプ。どれもこれも濃厚ですた。
1)ライアンゴスリング。エロっ!
なのにエロを押さえ込んで表面は飄々。
時々覆い隠した飄々の皮の隙間からエロが滑り出て来るチラリはみ出しエロ。
鼻血吹き出す!!!
古い80年風のタイトルロールや空気感。
でもアレンジが今風で、ものすごく新しい。
「トランスポーター」という映画に入口、設定が似ている。
トランスポータの007的華やかさに比べると地味だけどよりかっこいい。
かっこいい服を来て格好つけてだからかっこいいのではなく、
その辺のモノを引っ掛けたけどなぜかぱっちりはまってる的かっこよさ。
エドワードノートン、ジェイソンドーリングなどのたれ目金髪セクシーの系譜。
エドワードノートンの「真実の行方」、ライアンゴスリングの「完全犯罪クラブ」
マットデイモン「りぷりー」たれ目の白人の何とかなるだろ的犯罪。
同じ血を感じます。元の父はジェームスディーンなんだろうか。
間の取り方えぐい!
早くしゃべろうよ!って突っ込みたくなるくらい
印象的。
少し違和感があるくらい長い間がいい感じに鼻血を誘う。
エデュケーションのキャリーマリガンの可愛さ愛らしさ無垢さ弱さ儚さ
無言むっつりたれ目エロサイコ純粋青年の誤差ズレが
エロの幅を増幅させているのでしょうか。
キスの直後の殺人。
靜から動。
振り幅が整列的に整然と描かれる。
美しい。興奮する。とにかく鼻血。
i almost bleed to death
2)恐ろしい。自分過ぎるこの女。
とアラフォーシングル女子は全員思ったに違いない。
パソコンの汚さや、見られていないところでのぐだぐださ加減。
こんな誇張された人間がいるだろうかと思う人もいるのかもしれないが、私的にはこれは誇張が全くない。
こういう人が意外に多いのかもしれない安心してしまうくらいだ。
現実はしかも美しいプロムクイーンでさえないから悲惨だ。
every 37 year olds nightmare,
あぁ怖い怖い。
3)あこがれの舞台設定。
ああいう中で生きられるから役者さんってうらやましい。
ディズニーランドのパイレーツオブカリビアンを思い出してしまう。
これは何の感覚だろう。
ティムバートンのスウィーニートッドとか
クリスマスの映画スクルージとか。
屋根裏、低い斜めの天井、石畳萌え。
ライトニングインナボトルのマーチンスコセッシ監督なんだよね?
この振り幅!
4)この間gyao で弁論を題材にしたデンゼルワシントン主演の映画を見た。
ミシシピバーニング、など黒人と白人の関係を題材にした映画は白人のごめんね意識から生み出されるのだろうか。罪悪感強過ぎておかしな事になっている。結果白人の悪魔的描かれ方がすごい。あるいは言い訳的に優しい人もいますからみたいな無理矢理演出。こういう映画を黒人さんはどう見るのだろうか。
どんなに謝ってみても埋まらない溝。
自分のメイドにはトイレも使わせないのにアフリカの飢餓の子供は助けるという設定。
小さい時は可愛いくて無垢なのに、大人になると同じ差別主義者になってしまうという過程。
すごーく罪悪感を感じてるんだなぁ。
悪魔的白人より分かってます的白人の方がよりひどいと感じるのはなんでだろう。
ちょっとくらい反省したって結局メイドや庭師全員黒人じゃん。
いい人って言ったって結局雇ってるんじゃん。
いい雇い主ですってだけで上下関係に何ら変化は無い。
だからよけい興ざめするのかもしれない。
色々考えさせられるという良い意味で見てみてよかった。
2)Young adult
3)ヒューゴの不思議な発明
4)ヘルプ
立川に引っ越してもう二年以上経つけれど、初めてtsutayaでレンタルしました。
映画を毎日見るのは高すぎるし。
準新作4枚で1000円!とってもお得で有り難し。
宇多丸さんがハスリングしていた上記三作。
気になった4)ヘルプ。どれもこれも濃厚ですた。
1)ライアンゴスリング。エロっ!
なのにエロを押さえ込んで表面は飄々。
時々覆い隠した飄々の皮の隙間からエロが滑り出て来るチラリはみ出しエロ。
鼻血吹き出す!!!
古い80年風のタイトルロールや空気感。
でもアレンジが今風で、ものすごく新しい。
「トランスポーター」という映画に入口、設定が似ている。
トランスポータの007的華やかさに比べると地味だけどよりかっこいい。
かっこいい服を来て格好つけてだからかっこいいのではなく、
その辺のモノを引っ掛けたけどなぜかぱっちりはまってる的かっこよさ。
エドワードノートン、ジェイソンドーリングなどのたれ目金髪セクシーの系譜。
エドワードノートンの「真実の行方」、ライアンゴスリングの「完全犯罪クラブ」
マットデイモン「りぷりー」たれ目の白人の何とかなるだろ的犯罪。
同じ血を感じます。元の父はジェームスディーンなんだろうか。
間の取り方えぐい!
早くしゃべろうよ!って突っ込みたくなるくらい
印象的。
少し違和感があるくらい長い間がいい感じに鼻血を誘う。
エデュケーションのキャリーマリガンの可愛さ愛らしさ無垢さ弱さ儚さ
無言むっつりたれ目エロサイコ純粋青年の誤差ズレが
エロの幅を増幅させているのでしょうか。
キスの直後の殺人。
靜から動。
振り幅が整列的に整然と描かれる。
美しい。興奮する。とにかく鼻血。
i almost bleed to death
2)恐ろしい。自分過ぎるこの女。
とアラフォーシングル女子は全員思ったに違いない。
パソコンの汚さや、見られていないところでのぐだぐださ加減。
こんな誇張された人間がいるだろうかと思う人もいるのかもしれないが、私的にはこれは誇張が全くない。
こういう人が意外に多いのかもしれない安心してしまうくらいだ。
現実はしかも美しいプロムクイーンでさえないから悲惨だ。
every 37 year olds nightmare,
あぁ怖い怖い。
3)あこがれの舞台設定。
ああいう中で生きられるから役者さんってうらやましい。
ディズニーランドのパイレーツオブカリビアンを思い出してしまう。
これは何の感覚だろう。
ティムバートンのスウィーニートッドとか
クリスマスの映画スクルージとか。
屋根裏、低い斜めの天井、石畳萌え。
ライトニングインナボトルのマーチンスコセッシ監督なんだよね?
この振り幅!
4)この間gyao で弁論を題材にしたデンゼルワシントン主演の映画を見た。
ミシシピバーニング、など黒人と白人の関係を題材にした映画は白人のごめんね意識から生み出されるのだろうか。罪悪感強過ぎておかしな事になっている。結果白人の悪魔的描かれ方がすごい。あるいは言い訳的に優しい人もいますからみたいな無理矢理演出。こういう映画を黒人さんはどう見るのだろうか。
どんなに謝ってみても埋まらない溝。
自分のメイドにはトイレも使わせないのにアフリカの飢餓の子供は助けるという設定。
小さい時は可愛いくて無垢なのに、大人になると同じ差別主義者になってしまうという過程。
すごーく罪悪感を感じてるんだなぁ。
悪魔的白人より分かってます的白人の方がよりひどいと感じるのはなんでだろう。
ちょっとくらい反省したって結局メイドや庭師全員黒人じゃん。
いい人って言ったって結局雇ってるんじゃん。
いい雇い主ですってだけで上下関係に何ら変化は無い。
だからよけい興ざめするのかもしれない。
色々考えさせられるという良い意味で見てみてよかった。
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■7/29(mon)
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
⇒都内ツアーのスケジュール詳細
⇒my space音楽配信
⇒youtube風に還る日
⇒youtubeニレの木祭り
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