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一人でいると、なかなかの孤独感です。
強い人は耐えられるけど、そうでないと駄目ですね。
特に今まで一緒にやってた音楽仲間たちと一緒にやらずに、ほぼ一人でやるという事はすべてが自分に押し寄せてきてこれはなかなかのプレッシャーってやつです。
先日、高さ120センチ近くの柵の丸馬場の中で運動していた馬が、調教師の鞭から逃げようとしてついに柵を飛び越えてしまい、みんなあんぐりのびっくりでした。
ウマは習性として逃げ回るのが本能なわけで。いやな鞭から逃げたい一心だったんでしょうが、ド迫力でありました。飛び降りたところには運悪く木の看板があり、それはみごと木端微塵と化しておりました。ウマは平然としておりました。鞭が怖くて逃げたくせに看板をぶち壊しても平気でいるなんて。さすが馬。
そんな馬の気持ちがよくわかる今日この頃です。
矛盾するのは調教師も自分ってことなんですがね。
自分で鞭くれて追い込んで自分から逃げたくなるという。
なんともいやはやな展開であります。
最近一人になったのは、好き好んで一人になったわけじゃないからよけいに淋しさ倍増ですね。
一人にならざるを得ないのは自分の弱さであり、こればっかりは何かや誰かのせいにすることもできず、向き合うしかないけど、自分、馬っ気があるため、つい逃げちゃうってやつっス。
“馬っ気”っていいなぁ。気に入った。(^^;)
それはつまり、本当にすごい乗り手なら、馬を選ばず、どんな癖があろうとなんでもあっという間に乗りこなすということでありましょうが、大した乗り手でないと、すぐにその馬の癖に引っ張られて自分の姿勢というものが崩れてしまうという事です。だから最初が肝心で、ちゃんとした乗り手になるためには癖馬ではなく良い調教をされた馬で勉強させてもらうことが肝心なわけです。
そして基礎が自分の体に叩き込まれたら、どんな癖の強い馬でも挑戦すればよいのです。
そういうベストな順番で馬を習う状態をつくるのには乗馬の場合ものすごいお金がかかると思います。
そういうことはオリンピックの選手になるような人がすることなのです。
それはやはりそれなりの覚悟というものがいるんでしょうね。
今までの人生であまりにも多くのミュージシャン達とかかわって来ることができたために、それが全部一気にいなくなるという現実は何やらあまりにも勇気が要りすぎるというものです。
だって、目の前に当たりの宝くじがあって、これを換金したら2億円だというのに、「私はこれから生きる方針として『自給自足』をモットーとするため、これはいらないので破り捨てます。」
って言えます?
もったいなーっ!!!
それはそれで取っておいて、で、自給自足すりゃいいじゃん。
んえ?んねっ?
よーく考えて。田畑を買うのにもお金入るんだよ。わかるでしょ?
早まってはいかん!
それでもやっぱり駄目なんだよね。
宝くじを保険としてとっておいた状態での自給自足は、いつでも元の状態に戻れるという安心があるため、うまくいかないんだよね。あるいは一見うまくいっているように見えるだけなんだよね。
自給自足に失敗したら死んでしまうってところでやる自給自足じゃないと、それは本当の自給自足じゃないんだよね。
今の弱い状態ではミュージシャンの個性やいわば癖のようなものにどんどん引っ張られてしまうのですね。だから影響を受けないためには切るしかない。
音楽的に良く調教された人とやるしかない。
やるしかないってそんな人いるのかな?
と思うけど、実際いるんだよね。怖いことに。
師匠とか今一緒にやっている人とか。
彼と一緒に演奏していると相当いい調教をされた馬に乗っている気分になります。
そういう馬に乗ると、教えられていることを感覚で感じることができるのです。
で、馬は何かを教えてるつもりもないんですよね面白いことに。
ウマの良い動きにつられてこっちも自然に良くなっちゃうの。
だからアンサンブルってたまらないんだと思うのですね。
二人いて初めて成立する。
人馬です。
今まで数々出会ってきた素晴らしいミュージシャンたちもみなそうした葛藤の中にいるんだろうか。
長期、中期、短期全部合わせたら多分共演者300人は下らないだろうなって思う。
それなのに今一人の演奏家(それはものすごくよく調教された馬のごとき人です)と付き合うためにそれを全部、あるいはこれから出会うであろうその他のミュージシャン全部を切り捨てているのだ。
そして結果的にそれはジャズという音楽からの離脱にもなってしまい、これがまた、やや矛盾することだが、ジャズのことばかり考えて、やっていくと結果そこからどんどん離れて行ってしまうという状況に陥っている。
そんなにオリンピックを目指すほど音楽好きだっけ自分そもそも?
いやぁ~ん。
こわいよーっ。にげたいよーっ。
それでも踏ん張ろうとしているのはなんだろうな。
結局最後は誰から「あほな音楽」と揶揄されようと、これが自分のスタイルですからというしかしょうがない、そういうのを見つけるための試練です。って納得するしかないんだろうなぁ。
今までが贅沢過ぎたから余計にこの変化に馴染めないんですね。
ピアノやギターがめっちゃいい感じになったら、
この怖さは消えるのか?
ほんまかーっ?
“ボンバードラミのほんまにそれでいいのか?”
になってきた。
ただ一つ支えになっているのは、「何かを変えようとするとはじめは今よりもっと悪くなるよ。」っていう昔のありがたーい師匠の言葉でありますね。
師匠の言葉というのはその場ではただムカムカ苛々させられるだけなのに、(←謙遜じゃないよねサイテー(^^;)あとでズシーンと響いてくるんだよね。忘れたころに。
何かが実際変わった時に初めてあぁあぁあぁあぁ~っ!
あの時師匠が言ってたのはこの事かよ~っっっぅっ!!!ってなるんだよね。
で、変わった直後から次の課題が鮮明に見えてくる。
それまではそこに課題があったことにすら気付かないんだよね。
おっかシーね。
で、そういうのからも馬っ気強い私はいつも逃げ回ってしまうんだ。
馬と人間の関係ですごいなと思うのはやはり、馬にしてみれば重い人がまたがっているのだから心地よいはずがないのに、実際人馬一体となっている馬と人との間には両者に共有される心地よさが絶えずあるわけで。そうなってくると重いとかは馬は全く気にならないわけで。
むしろ進んで、次は次は?こう?こう?出来た?出来た?
すごいーっ。楽しい―っ。次は?(以下リフレイン)
という関係が芽生えるんだよね。
だからわっちも自分で自分をほめた有森さんを見習わなけりゃいけないわけだけど、明らかに逃げ回っているだけなので、いまいち自分というものを褒めてやることが出来ないわけで。
結局何か問題がるとすればそれは自分の中から出てくる問題しかないわけで。
「やるならやるしかないんだ」
ということです。
吉祥寺mandala2
ボンバードラミ(vo gt)
西海しげる(gt)
越智泰彦(eb)
start 20:00~¥2000
⇒都内ツアーのスケジュール詳細
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